3 / 21

第3話:孤独な夜は苦手だ。

 各務誠一。泉生命外勤で地位は課長。顔はその筋の人間と言っても通じるぐらいの強面だが、営業成績は所内で一番。都内にある支社の中でも、五本の指に入る成績らしい。  聞いた話によると誠一は顧客に対して誰よりも誠実であり、加えて思いやりもあるところが人気なのだと言う。面談がどんなに夜遅くなったとしても顧客の予定を最優先にし、契約に不安がある時は顧客が安心するまで何度でも根気よく通う。ゆえに評判が良くなり、顧客同士の繋がりでどんどん契約が決まっていくことが多いのだそうだ。  しかも誠一のもっと凄いところは、その能力から幾度も営業部長に推薦されているのにもかかわらず「部長になると内勤業務が増えて外回りできなくなる」という理由で話を断っているところだ。きっと根からの営業好きなのだろう。   堂々としていて、信念や自信をちゃんと持っていて、何より人を見た目で判断しない。誠一は同じ男として憧れる男だ。  ――できればもっと仲良くなりたいな……。  そんな希望を頭に巡らせているうちに自宅に辿り着いた幸輝が部屋に入る。 目に入ってきた自室は、呆れるほど殺風景な部屋だった。  十畳ほどのリビングに置かれているのは、テレビとソファーのみ。隣接するキッチンもほぼ部屋を借りた時のままで、調理器具や食器類は一つも置かれていなかった。そこに唯一存在する冷蔵庫のもとへと向かった幸輝は、扉を開けて中を確認した。  冷蔵庫に入っているのは見事に水と酒のみで、食材は一つも入っていない。ここもまた殺風景だと自嘲しながらミネラルウォーターのボトルを取り出し、リビングに戻ってコンビニで買った固形の栄養補助食品を口の中へと放り込んだ。  ―――不味い。  口の中に広がるバターの味と粉っぽさは、食べている内に吐き気を催すほど不快なものだった。一刻も早く口の中のものを胃に流し込もうと、ミネラルウォーターを一気に飲み干す。 「はぁ……」  ペットボトルの水を全て飲みきったせいで、空腹が完全に満たされてしまった幸輝は、残った栄養補助食品をビニールの袋の中に戻してそのままゴミ箱へと投げ捨てた。  これで本日の夕食は終了。些か栄養面が心許ないが、これ以上胃が受けつけないのなら仕方がない。幸輝はさっさと思考を切り替えるため浴室へと向かい、軽くシャワーを浴びた。  それから十五分ほどで寝仕度まで調えリビングに戻ると、幸輝はテレビをつけソファーへと寝転がった。  まだ時刻は夜の十時を回ったばかり。だが特別やることもない幸輝はこのまま寝てしまおうと、興味のないテレビ番組から流れる人の声を聞きながら眠気を待った。  ――早く眠くならないかな。  が、慣れない仕事のせいで身体は疲れているはずなのに脳が冴えてしまっているのか、一向に眠気が現れない。  ――今日も、また酒か薬が世話になるのか……。  毎日の状況から、その予感はきっと当たることになるだなと予想しながら、ちらり床に落ちた薬袋を横目に見る。 こんな風に、毎日睡眠の心配ばかりするようになったのはいつからだろう。 ソファーの上で寝返りを打ちながら記憶を探った結果、大学を卒業して一人暮らしを始めた一年半前からだと思い出した。  幸輝は大学を卒業するまで、ずっと実家住まいだった。ただ実家と言っても住んでいたのは祖父母と家で、そこに幸輝の両親の姿はなかった。  幸輝の生い立ちは複雑だ。  父親は所在不明。母親は、所在は分かるものの生まれてから一度も会ったことがない。いや、会ったことがないというよりも、祖父母から会うことを禁じられていたから会えなかったという方が正しい。  幸輝の母親は、十四歳という若さで幸輝を生んだ。そんな若すぎる娘の出産に激高した祖父母は幸輝の母を勘当し、幸輝と会うことを固く禁じた上で親戚の家へと追いやったそうだ。  その後、祖父母に引き取られた幸輝は「母親と同じ過ちを繰り返さないように」と、異常なほど厳しく育てられた。  友人と遊ぶことを一切禁じられ、修学旅行すら一度も参加を許して貰えなかった。そのせいで学生時代の幸輝は、一人も友人を作ることができず孤独に過ごした。  そんな境遇が幸輝の心を少しずつ蝕み、そして壊してしまったのだろう。 いつしか幸輝は、異常なほど寂しさや人恋しさに敏感な人間になっていた。  今の生活のように誰の出迎えもない部屋に帰ってくると途端に無気力になり、食欲も睡眠欲もなくなる。あとは不意に誰かの体温に触れたくて堪らなくなったりもする。  とにかく『一人』が嫌なのだ。  こんな灰色の生活と比べれば、祖父母との窮屈な生活の方が身体にはいいのかもしれない。だが幸輝には実家に戻る意思はなかった。たとえ実家に帰ったとしても、幸輝の心が完全に埋まることはないとが分かっているから。  じゃあ、どうすればいいのだ。考えてみたものの正解なんて出てこない。思いつくのは夜の街へ出て一夜限りの相手を探す、なんて途轍もなく浅はかな考えだけだ。  社会人として、そして人間として情けなさすぎる状況に自嘲しながら、幸輝はふとテレビに向かって手を伸ばした。  テレビの中ではたくさんの人がいて、楽しそうに喋っている。それが羨ましくて仕方がなかった。  誰かに触れたい。  冷え切った身体を、包んでくれる体温が欲しい。  幸輝は届かない願望を心の中で並べながら、今夜も眠れない自分のために睡眠導入剤へと手を伸ばすのだった。 ・ ・ ・

ともだちにシェアしよう!