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最終話:彼と僕は最幸の家族

 十二月も、もうすぐ終わりを迎えようとしている頃。幸輝と誠一はとある一軒家の玄関にいた。 「インターホン、まだ押せそうにないか?」 「もうちょっとだけ……時間を下さい」 「あんまり無理するなよ。俺はいつまででも隣で待ってるから、自分のタイミングで押せば良い」  緊張の面持ちをありありと出した状態で立ち尽くす幸輝の隣で、誠一が柔らかく笑う。その様子は喧嘩をした友達と仲直りする為、相手の家まで来た我が子を見守る親のようだった。  先程からの幸輝はと言えば、何度も震える人差し指を上げては下ろすを繰り返している。 しかし、それも仕方がない話だ。何故なら、目の前のインターホンを押せば、中から幸輝の母親、亜希が出て来るのだから。  生まれてから一度も会わなかった母親と初めて対面する。これは幸輝にとって人生一番の大勝負だと言っても過言ではない。  勿論、今日幸輝が会いに行くことは伝えてあるし、亜希も喜んでくれているから何も心配はないのだが、いざ会うとなると不安が一気に膨らんだ。 亜希と会って、何を話したらいいのだろう。その前に、言葉が出てこなかったらどうしよう。様々な心配が浮かんでは、幸輝を萎縮させる。  でも――――。  幸輝はチラリと誠一を見た。  隣には、誠一がいる。 「すみません、お待たせしました。じゃあ……押しますね」  幸輝大きく息を吸ってから、インターホンのボタンを押した。  家の中に来訪者を告げるチャイムが響く。それからパタパタと玄関に向かって走ってくる足音が聞こえた。その数秒後、ゆっくりと開かれた扉から出て来たのは、フワフワの長い髪の毛を揺らしながら満開の笑顔を浮かべた、少女のような女性だった。  満月のように丸くて、今にも零れんばかりの大きな瞳は、幸輝とはまるで似ていない。けれど長い睫や、唇の形は鏡で見る自分のものとそっくりだった。 「あ……」 「いらっしゃい、幸輝」  柔らかな声が、幸輝に掛けられる。その声に意識を奪われていると、次第に亜希の瞳が潤みだし、とうとう涙を零し始めてしまった。 「え、あの、その……」  目の前で亜希に泣かれ、どうしたらいいか分からない幸輝は、行き場のない両手を宙に浮かせたまま狼狽する。すると肩をポンポンと叩かれた。  振り向くと、誠一が無言のまま頷く。それだけで勇気が湧いた幸輝は一歩踏み出し、亜希の身体をそっと抱き締めた。 「初めまして……――――母さん」  生まれて初めて抱き締めた母の身体は思っていたより小さかったが、これ以上ないほど温かかった。  思わず感動して泣いてしまいそうになる。が、幸輝が泣く前に亜希の方が大泣きしてしまった為、涙は引っ込んでしまった。  どうやら、泣き虫なのは母親譲りらしい。ただ、あまりにも亜希が泣き止まなくて二人共に困っていると、後から出て来た玲二が幸輝に代わって彼女を宥めてくれた。  涙を流す亜希を、玲二が優しい笑顔で包んで泣き止ませる。その様子が自分と誠一の姿に似ていて、嬉しくなった。  亜希が泣き止んだところで、漸く二人は家の中へと招かれる。それから幸輝と誠一は、亜希と玲二、そして妹の里奈に迎えられてささやかな時間を過ごした。  たくさん話して、亜希の料理を食べて、里奈とも遊んで。  けれど残念なことに、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。  最初こそ緊張はしたが、次第に打ち解けることが出来た幸輝と亜希は、次も会う約束をした。そんな二人に玲二は嬉しそうにしていたが、その隣にいた里奈には「お兄ちゃん、帰らないで」なんて駄々を捏ねられた。どうやら年の離れた兄でも気に入ってくれたらしい。  最後に里奈と指切りをして、幸輝は初めての対面を終える。  玲二達の家からの帰り道、幸輝は誠一と並んで歩きながら今日の話に盛り上がっていた。 「やっぱり幸輝は母親似だな。笑った顔とか全体的な雰囲気とかもそっくりだった」 「そうですか? それなら……嬉しいです」  亜希に似ていると言われたことが嬉しくて、幸輝は素直に喜ぶ。こういう気持ちになったのは、今日が初めてだ。 「母さんや里奈ちゃんと会って本当に良かったです。これも全部、誠一さんのおかげですね」 「俺のおかげじゃない。母親に会うって決めたのは幸輝なんだから、全ては幸輝の勇気が呼び込んだ結果だ」  そうやって誠一は幸輝を立ててくれる。そんな優しいところが、やはり大好きだと思った。 「そういや、知ってるか? お前の『幸輝』って名前、実は亜希さんがつけた名前だったんってさ」 「え、それ、本当ですか?」  ずっと祖父がつけた名前だとばかり思っていた幸輝は、覚えず瞠目した。 「ああ。お前が妹と遊んでる時、ちょっとだけ二人だけ話したんだけど、その時に教えて貰った。彼女がお前のじいさん達に勘当された時、お前に会いに行かないことを条件に名前をつけさせて貰ったんだって」  誠一が「悪ぃ」と言って立ち止まり、胸ポケットから煙草を出す。  そう言えば玲二の家にいる時、誠一が煙草を吸っている姿を見なかった。  もしかしたら小さな里奈がいるということで、我慢してくれていたのかもしれない。深く考えなければ気付かないぐらいの気遣いを知り、幸輝の胸が温かくなる。 「誰よりも一番輝いた幸せを手に入れられる人間になりますように。そう願いを込めてつけたらしい。……だから俺も頼まれた。必ず、幸輝を幸せにしてやって欲しいって」 「母……さん……」  不意に知った亜希の思いに、涙が湧き出て来る。 「良かったじゃねぇか。漸く本当の家族になれて」 「はい」  煙草を持っていない手で頭を撫でられた幸輝は、亜希にそっくりな笑顔で笑った。勿論、その時も涙は止まっていない為、正しくは泣き笑いの状態だったが、それでも誠一は何も言わず、ただ隣で煙草を吸いながら涙を拭ってくれた。 「あ……でもね、誠一さん、母さん達とも家族になれましたけど、僕の一番の家族は誠一さんですからね」  程なくして落ち着いた幸輝が、左手を見せる。  今日は首にかけているのではなく、ちゃんと左手の薬指にはめていた。 「だって、誠一さんは僕の旦那さんでしょう?」  首を僅かに傾げてそう言うと、途端に誠一の顔が赤くなった。 「旦那って……ま、いいか。じゃあ、そろそろ帰ろうぜ、俺達の家に」  俺もあの二人を見てたら、もっとお前を甘やかしたくなったと誠一に言われ、幸輝は嬉しくなって隣にあった腕に飛びつく。 「はい!」  腕から伝わる誠一の体温は、いつも通り温かい。それが嬉しくて更に腕に力を込めると、頭の上から小さな笑いと一緒に、煙草の味の口付けが降りて来た。 END

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