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三章 呼ぶ声と -捌拾伍夜 よもすがら-
日曜日、文月君に呼び出されて久々に賑わう駅前を歩いた。特に何かをしたかったわけでもないらしい文月君は、ぶらぶらと僕を連れてあちこちの店を冷やかしながら小野とのその後を聞いてきた。
前に文月君と話してから三週間近く経ったが、彼に話せることは少ない。当たり障りない所をかいつまんで完結に話すと、小柄な後輩はつまらなさそうにふーんと相槌を打った。
逃げられなかったあの夜が明けても、小野はそれまでとあまり変わらなかった。僕はと言えば、少しだけ距離を取ろうと奮闘しては失敗して笑われている。僕が意識していない時を狙って近づいてくるから、いくら警戒しても不意を突かれた。
「ふぅ」
「ぅあ!?」
ここ数日の攻防を悶々と思い出していたら文月君の悪戯をまともにくらった。息を吹きかけられた耳元に手をやって、まだ何かある気がする錯覚をぬぐい去ろうとごしごし擦る。
「何をするんだ」
「草町先パイ、考えてばっかで構ってくれないんだもーん」
笑って拗ねたふりをする後輩に罪悪感を抱く。他人といる時でも一人で考え込むのは悪い癖だ。
「僕はそんなに隙だらけだろうか」
「たまにイタズラしてくれってお願いされてるのかなって思うことはありますね」
「……自虐的な性癖を持ち合わせているつもりはないが」
「そらそーでしょ。草町先パイは天然でそーだから面白いんじゃないすか」
「僕の評価とは思えない単語だな」
「あきづきのメンツだったら全会一致っすよ!……あーでも、小野サンだったら違うかな」
虚空を見上げて思案する風の文月君の足元はしっかりしていて、人混みの中にあっても誰かにぶつかるようなことはしない。
見た目や言動の割にしっかりした後輩が推察する、僕に対する小野の評価が想像出来てしまって言及出来なかった。想像と言うよりは先日言われたことだが、文月君は違わずそこを言い当ててきそうだった。
「ここのところ、八つ当たりばかりしている気がする」
「穏やかじゃないっすね」
あからさまな話題転換にも動じない所を見ると、僕の思考回路まで予想していたのかもしれない。
「ちなみに、八つ当たりってどんなっすか?」
「……部屋に来ても茶を出さなかったり、むやみやたらと揚げ足をとってみたり、隣に座って足がぶつかった時に追加で軽く蹴ってみたり」
「なんだノロケか」
「なんでそうなる」
ちなみに、僕が茶を出さなければ小野が二人分用意したし、揚げ足をとってもなるほどーと感心はしても不快そうな顔はしなかったし、軽く蹴ってみた時はやり返してきて小学生のじゃれあいのようになった。
「僕自身もだけれど、小野は何がしたいのかさっぱりわからん」
街中に点在する現代アートの一つを覗きこむ文月君の傍らで立ち止まる。
歩道の端に靴が一揃えあって、そこから影だけが伸びていた。影の形に塗料が塗ってあるだけなのだが、その様が心情を具現化しているようで複雑な心地になる。
見えないし触れられないけれど、確かにそこに在ると分かる感情がある。存在は主張してくるが、実態は悟らせない。
持ち主の姿が見えないその靴は使い込まれた感のある絶妙なくたびれ具合で、まっすぐに背筋を伸ばして立つ影と少しだけアンバランスだった。若すぎない、働き盛りの紳士だろうか。靴と影しかないその作品は想像に壁を作ることなく眺めていられる。
靴の持ち主は何通りも思い描けるのに、気持ちの方は上手くいかない。形が仕上がりそうなのにタイトルが決まらないような、座りの悪い落ちつかなさがまとわりついていた。
「この作品のタイトルはなんていうんだろう」
「さー……靴、とか」
「メインは影のような気もするけど」
「あーそっか。んじゃ影で。あれだ、ローマ字表記にしましょう。大文字でKAGE」
「なんでまた」
「なんとなくかっこ良さそうじゃないすか。タイトルなんてインスピレーションっすよ!」
しゃがみこんでいる文月君の大きな目が、僕を見ていた。
「草町先パイなら、タイトルなんてつけます?」
現代アートに、ではなく小野との関係に、と言われている気がしたのは錯覚だ。けれど、文月君の真剣な目が全くの検討違いでもないのではと思わせる。
「どんな気持ちで作ったのかを知らないと、表題なんてつけられない」
「ふーん……マジメな先パイらしーすね」
素直な意見だ。作品にしても関係にしても、そこに在る心が分からないなら名前はつけられない。
インスピレーションも大事だろう。けれど、考える時間と材料があるならきちんと考えた上で決めたかった。
「ね、草町先パイ」
「ん?」
「珍しい顔見せてもらっちゃったんで、ひとついい事教えてあげましょっか」
「……あまりいい予感はしないんだが」
軽い掛け声と共に立ち上がった文月君がにこりと笑う。珍しい顔とはどんな顔だろう。
「恋って、相手にイラつくとこから始まるらしーっすよ」
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