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第1話 彼

 僕がその人を見たのは、中学三年の夏の初め。  受験する高校の見学に行ったときだった。 「保くんの成績なら、うちの高校は余裕で合格できると思うよ」  そう太鼓判を押してくれたのは、僕の従兄で、この高校の教師でもあった。  ホッと僕が安堵の息をついたとき、開け放しにしてあった窓の外から、女の子たちの甲高い声が聞こえてきた。 「……? なんですか?」  きょとんと窓の外へ視線を投じる僕へ従兄が言った。 「ああ、今日は朝ヶ丘高校の陸上部との合同練習の日だな」 「朝ヶ丘高校っていえば……」 「うん。ここから電車で三つほど行ったところにある高校。そこの陸上部に一人かなりのイケメンがいてね。朝ヶ丘高校との合同練習の日は、ほとんどの女子生徒が残って練習を見守るんだ。……ほら、今スタートラインに立っているだろう? あの生徒だよ。橘くんって言ったかな」  僕の目がその人をとらえる。  スラリと背が高く、ほどよくついた綺麗な筋肉。  スタートの合図が鳴り、その人が走り出す。  ほんの少し明るめの栗色に染めた髪が風に流れ、ちらりとのぞいた耳には青い色のピアス。  切れ長の瞳が真っ直ぐにゴールだけを見つめている。  風を切って走る、その人はとても綺麗で、かっこよくて。 「朝ヶ丘高校の橘さん……」  僕はその日、彼に恋をした。    桜咲く、四月春爛漫。  期待と緊張をないまぜにした新入生たちが、次から次へと校門をくぐって入ってくる。  この日は、朝ヶ丘高校の入学式だった。 「ちょー、おい、誰だ? 橘まで呼んだのはー」  悪友の一人である加藤が、そう言って露骨に嫌そうな顔を橘に向けてきた。 「なんだよ? オレが来ちゃいけないのかよ?」  橘が言い返すと、 「だっておまえがいたら、女の子はみんなおまえになびくじゃん」 「言えてる、なんてったって、橘優也さまは超イケメンの王子様だからなー」  残りの二人の悪友、内川と和田も賛同した。  友人たちの言葉に、橘は軽く肩をすくめる。 「別に今日はナンパするわけでも、声かけるわけでもないんだろ。例の美少女を一足先に見るだけなんだから、オレがいてもいなくても関係ないだろ」  橘、加藤、内川、和田の四人は、この四月から二年生になった。  新学年の始業式は明日で、今日の入学式に顔を出す必要はない。  なのに、校舎の二階の、一番校門が良く見える教室で、四人の男が集まっている理由というのは……。  加藤が今年の我が校の合格発表を、面白半分に見に行き、一喜一憂する受験生の中に、ものすごい美少女を見かけたことが発端だった。  白のハーフコートを着たその少女は、まるで雪の妖精のようだったらしい。  うれしそうに口元をほころばせていたことから、雪の妖精は合格したみたいだという。   ――というわけで、そんなにかわいい子なら一足先に見てやろうと話がまとまり、今日に至っていた。  ……それにしても我ながら暇なことしてるよなー。  橘はぼんやりと、門をくぐってくる新入生たちを見下ろしながら、思っていた。  でも、ま、今日は特に予定もないし、そんなに美少女なら見てみたい気もするし。  つらつらと考えるともなしに考えていると、橘の切れ長の瞳が、今まさに校門をくぐって入ってくる一人の生徒にくぎ付けになった。 「あ」   思わず声が漏れる。  他の三人も橘の声に、いっせいに校門を見下ろした。  確かにとても綺麗な生徒だった。  その生徒が校内に入ってきた途端、そこだけパァッと明るく輝いたようになったくらいの。  しかし、橘をはじめとする四人の男たちは、顔を強張らせていた。  その綺麗な生徒はブレザーにネクタイ、グレーのズボンという制服姿だったのだ。  そう、その子は、男子生徒……男の子だった。 「男じゃん」  橘が呟くと、他の三人は一拍の間のあと、 「嘘……」  呆けたように呟き返した。  

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