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二空間目②

「………」 「………」 しかし俺が室内に戻った所で和気藹々とした会話が弾むわけもなく。むしろ無言の状態が長く続いて、精神的に辛い。居心地がすごく悪い。 神田さんは再び新聞を読んでいるのだが、苛々している様子を隠せていない。というか隠す気がないのかもしれない。舌打ちばかりしていて、流石に恐いんだけど…。 一方の俺はというと何もすることがないし。いわゆる、手持ち無沙汰状態だ。 ……それに。 「………」 楽な仕事で雇われておいてあまりケチは付けたくないんだけどね。何でこういうときに限って、朝食も運ばれてこないのだろう。朝食の時間過ぎていると思うんだけどなぁ。お腹空いた。それに朝食が運ばれてきたら、それなりに会話するチャンスが増えると考えているんだけど…。 今まではちゃんと時間通りに運ばれてきたのに。 わざと時間をずらして、監視カメラで俺の焦っている様を楽しんでいるんじゃなかろうかとまで思えてきた。 ……いや流石に、それは考え過ぎか。 さっきから被害妄想激しすぎるぞ俺…。 「………」 うーん。しかし、どうしたものか…。 俺の早とちりな言動のせいで生み出したこの緊迫した状況を、どうやって打破するべきなのだろうか。神田さんからはまだ怒りを静めてくれる様子が垣間見えないし。 そりゃあ、そうだ。無実なのに疑われて気を悪くしない人間なんて居るわけがない。 よくよく冷静になって考えてみたら、これがドッキリ番組なわけないよな。まず俺のような面白味の欠片もない太った一般人なんかを使用するわけがない。 「(…これは素直に謝るのが一番なの、かな?)」 俺もゲンコツ食らわせて少し腹が立っていたけれど、その原因を作ったのは間違いなく俺だ。それなのに、一度も謝罪をしないというのは非常識だろう。 自分から神田さんに話し掛けるのは緊張するが、ここは素直に謝ろう。謝っても許してもらえないときは……、その時はその時に考えよう。 「あ、あの…!」 「…あ゛?」 「ひ、っ…」 何ていう凶悪な面に低い声なんだ。 番組に出演していたときの爽やかな表情はどうしたっ?世の女性を虜にする甘いボイスはどうしたっ?何処かに忘れてきたのか?! く、くそ…。恐いっ。 でも一回話し掛けたからには、もう後に退けない…! 「そ、その、先程の件なのですが…」 「………」 「えっと、…その、」 「…何だよ?」 「お、俺の勘違いでした。ごめんなさい…」 胡坐を掻いたままで新聞を広げている神田さんに向かって、俺は深々と頭を下げた。正座した状態から頭を下げたから土下座のようになってしまったが、プライドとかそういうのは別に俺にはないから。このギスギスした状況が打破出来るならば、土下座の一つや二つくらい屁でもない。 するとすくっと神田さんが立ち上がったのが分かった。 「……っ」 土下座をしているため目で直視しているわけではないが、足音が確実にこちらに近付いているのが分かる。 何を言われるんだろう? 単純に笑われるか。 奇跡が起きて許してもらえるか。 はたまた情けを掛けられるのか。 俺は大穴を狙いの、「以前のように後頭部を踏まれて罵声を浴びせられる」が正解だと睨んでいる。 というか神田さんの怒り具合から察して、これが一番正解に近いだろう。 誰だよ、こんな人に週刊誌で「今大人気の爽やか色男!」なんてキャッチコピーを付けたのは。全然当たってないじゃないか。爽やかの「さ」の字すら見当たらないよ。 ……しかし。 頭の中でそんな現実逃避をしていても、刻一刻と神田さんは近付いてきているわけで。 今更逃げることも、(恐くて)頭を上げることも出来ない俺は、暴力沙汰にならないことだけを祈る他なかった。 「い、っ!?」 だがそんな祈りも空しく、俺の傍までやって来た神田さんは、下がっている俺の頭を無理やり上げるように前髪を結構な力で引っ張ってきやがった。いや、洒落にならないくらい痛い。本当に。 「いた…ぃ」 そして突然訪れた痛みで閉じていた目を開けて、俺は更にびっくりすることになった。 ……だって。 「………」 顔が近い。 「離して」、「痛い」と自己主張することは出来る。 だが、これでは出来そうにない。だって今喋れば確実に自分の汚い息が神田さんのおそろしいほど整ったお顔に掛かってしまう。そう思うと、口を開けられない。 「………」 「………」 な、何だ何だ? 一体何の目的でこんなことを…。 俺と神田さんの埋められないほど大きな差を、こうすることによってまじまじと分からせるためか。精神的に追い詰めようという魂胆なのか。それが目的なら大成功だよ。変に罵声を浴びせられたり暴力を振るわれるよりよっぽど堪える。 でもこれでは神田さんもかなりの精神的ダメージを受けるんじゃなかろうか。俺の平凡以下のぶさいくな面を間近で見るのも堪えると思うんだけど…。 うーん。 「か、んださ…ん?」 この状況に耐えられなくなった俺はなるべく息を掛けないように気を付けながら声を出した。自分でも驚くほど小さくか細い声は、まるで自分の声ではないようだ。 すると神田さんは一度ハッとしたような表情をすると、掴んでいた俺の前髪から手を離してくれた。 でもだからといって、現状は先程と大きく変わらない。 「……あ、ぅっ」 それは何故かと言えば、今度は俺の顎を下から掴むように頬を指でホールドしてきたから。男らしく無骨な指は俺の顎の肉と頬の肉の感触を楽しむように動く。 「や、め…、」 「はは、ぶさっ」 「なっ、!?」 何と失礼な奴…!ぶさいくな面ということは自分でも知ってるよ!知っているからわざわざ言わないでくれ! それに頬の肉を掴まれ、唇を無理やり尖らせられて、その状態でも顔のいい奴なんているのかよ…っ。 「変な顔だな本当に…」 また言いやがった…! いくら俺でも気付くっつーの!バカ!シネ! でもその悪態を心の中で止めておける俺は、目の前に居るこの男よりも精神的に上だと思う。 「………」 擬態語はプニプニと可愛らしく表現するべきか。 それよりも現実味を伝えるべく、タプタプと表現するべきか。 確実に後者が正しいだろう。 いつまで経っても俺の頬と下顎の贅肉をタプタプと弄くりまわす神田さんに、そろそろ本格的に腹が立ってきた。 「は、なせ…っ」 しかし。 先程からこう伝えるものの、一向に手を離してくれない。もう「離してください」なんて丁寧語は使ってやらん。理由は、何故被害者の俺が下手に出らなければいけないのだ。そんな必要俺には一ミリもないはずだ。 ムキになって、俺の肉の感触を楽しんでいる神田さんの手の甲に爪を立ててやる。そうすれば神田さんの動きが止まった。 心の中でざまあみろなんて思ってみたものの。 「、ッ」 「邪魔すんな」 すぐにお返しと言わんばかりに、ギュッと贅肉を強く摘まれて俺はすぐさま先程の自分の行動に後悔した。 力でも口でも勝てるわけがないというのはもう学んだはずなのに。 「………」 だけど邪魔すんなってどういう意味だよ。 何の邪魔だよ、それは。邪魔しているのは確実にあんたの方だろうが。 大体俺は猫でも何でもないんだから顎下を揉まれようが、撫でられようが気持ち良くならないし、ゴロゴロとも言わないからな。 それに男の肌なんか触って楽しいのか? 俺だって見た目がこんなんだけど、一応男だから、柔らかくて良い匂いのする女の人の身体を触ってみたい欲望はあるものの、間違っても男の身体に触りたいとは思わない。 「(…この、ホモ野郎…)」 世の女性を選び放題間違いなしのこの男に限ってそれはないだろうけれど、精一杯の侮辱として心の中で悪態を吐いてやる。 ……すると、その瞬間。 「…痛、っ」 頭をパンッと叩かれた。それも多分結構本気の力で。 「は?…何っ?」 痛かったけれど、それよりもびっくりした。 だっていきなり何で…。 「…侮辱された気がしたから」 「はぁ…?」 何だよ、この人は。 俺の心の中まで読めるのか…? …偶然?いや、それにしてもタイミングが良過ぎる。 状況が上手く掴めず目を白黒させていれば、神田さんは一度だけ俺に目を向けると、もう興味がなくなったのか立ち上がり、ユニットバスルームへ入って行った。 「……変な、人」 と、とりあえず。 助かって良かった。

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