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四空間目④
……だが理解するのが少し遅かったようだ。
俺は神田さんを止めることも、打開策も思い付くことができないまま、ただ黒髪のお兄さんが殴られるのを呆然と見ることしか出来なかったのだから。
「…、ぁ」
神田さんがキレた理由まで詳しく分からないが、その原因が俺にあるということは嫌でも分かる。
……そう。俺のせい……俺のせいなんだ。俺が悪いから皆に嫌な思いをさせてしまった。
家でも学校でも居場所が無いからって此処に逃げて来たのだが、俺に問題があるならば逃げた先で同じことを繰り返してしまうだけだ。
………どこに行ったって一緒じゃないか。
…あ。
やばい。泣きそう。
騒ぎを起こした張本人なのだが、助けを求めるように神田さんに視線を合わす。
「ひ、っ」
だが俺は自分の浅はかな行動にすぐに後悔した。
俺の目の前に居るのはいったい誰なんだ…?本当に神田さんなのか?
少なくとも俺の知っている神田皇紀とは全く違う。
いつもとは全く違う雰囲気を醸し出す神田さんが恐くて堪らない。このまま何もかも無視して逃げ出したいくらいだ。恐怖を脳がヒシヒシと察知したからか思わず後ずさりをして神田さんから距離を取ってしまった。
「来い」
しかし、それが癪に障ったのか、神田さんは有無を言わせぬまま俺の腕を強く引っ張る。
手加減もなく強く握られて俺の腕は悲鳴を上げていたのだが、俺は抵抗することなく素直に従った。
****
「っ、痛」
そして神田さんは部屋に戻ってくると俺をユニットバスルームに投げ込んだ。それに続くように神田さんも入ってくると、鍵の無い扉をゆっくりと閉めた。
………助けは、きっと来ない。
「………」
そんな恐い表情をしたまま無言で見下ろされると不安で仕方がない。
「(いったい何をされるんだろう…)」
とうとう神田さんにも本気で殴られるのかな…?
今の衝撃で打ち付けた背中を擦りながら、自嘲気味に苦笑いを浮かべた。
せめて臓器系は避けて欲しいな、そんなことを考えながら訪れるであろう痛みに目を瞑る。
だがそんな俺に訪れたのは、頭から被せられる冷水。
「つめたっ!?」
いくら夏とはいっても冷たいものは冷たい。それから逃げるように身体を捩じらせれば、頭上から低い声で「じっとしてろ。すぐに温まる」、「消毒出来ねえだろうが」と言われてしまい、それ以上抵抗することが出来なくなってしまった。
「(消毒…?)」
だが神田さんの言う通り冷たいのは最初の内だけで、すぐにほどよい温度のお湯が流れて来た。節くれだった無骨な手はそのまま俺の頭を洗い出す。嗅ぎ慣れた匂いがしてきたので、おそらくシャンプーまで使ってくれているのだろう。
先程まで痣が付くまで俺の腕を握っていた手と同じとは思えないほど、優しい手付きだ。人に髪の毛を洗われるのはいつ振りだろうか。小学生の低学年の時だっただろうか。
…それはこんなにも気持ちの良いものだったのか。
頭の泡を洗い流し終えると、神田さんは俺の着ている服を脱がし始めようとしてきた。
「ちょっ!?」
さすがにそれは無理だと抵抗を試みる。
「な、何してるんですか!?」
破る勢いで俺の着ているシャツを脱がそうとする神田さん。
流石にそれはない。絶対に嫌だ。
頭を洗ってもらうのとは訳が違う。俺のこんな贅肉だらけの醜い身体を神田さんに見せるわけにはいかない。見られたら羞恥で死ねる気がする。
「ちょ、止めっ、」
脱がされないように必死に服を下に引っ張り押さえ付ける。
しかし脱がそうとする神田さんがそれを快く思うわけがなく。
……間近で舌打ちが聞こえたかと思うと…、
「ひ、っ!?」
比喩ではなく、文字通りビリッと音を立ててシャツを破られた。
…な、何をしているんだ、この人は。
驚きのあまり声すら出ないよ!変態!野蛮人!
お陰で俺の醜いぶよぶよな身体が露出してしまったじゃないか。
「……っ、」
言いたいことは山ほどある。
何でこんなことをするんだ、とか。ふざけんな馬鹿野郎、とか。沢山あるけれど、今の俺にはそんな威勢もなければ、余裕もない。
みっともないけれども、今の俺には女の子のように胸元で自分の両腕をクロスさせて前を隠すことと、身体を丸めて背を向けることしか出来ない。
つまり神田さんを見る余裕も度胸もないのだ。
絶対呆れられている。絶対馬鹿にされている…っ。
「わ、!?」
しかし神田さんは俺の気持ちなんて知ってか知らずか、放心する俺のズボンと下着までをも同時に脱がして、身体を洗い始めた。
「ひっ、ば、馬鹿…ッ!ふざけ…、」
「うるせえ。暴れるな」
久しぶりに喋ったと思ったらこうだ。どれだけ理不尽なんだこの人は。
煩いって、その原因を作ったのはあんただっつーの。
もうこうなったら仕方が無い。このまま何のプレイか知らないが素手で身体を洗われるくらいならば、すっぽんぽんでリビングまで逃げてやる。
監視カメラ?
…知るかぁ、そんなものっ!
…………しかしそう簡単に逃げられるわけがなく。
「っ、痛…!離してくださ…、っ、離せ!」
「………」
「か、んださん」
「…大人しくしてろ」
「これが落ち着いていられる状況だと思いますか!?」
「大体てめえが悪いんだろうが…」
『…この阿婆擦れ』。
耳元で嫌悪感たっぷり含めた低い声で囁かれて、思考が停止する。
「……は…?」
……何を。
何を言っているんだ。
「俺以外の人物に触らせたお前が悪い」
首元や肩、そして背中を泡塗れの素手で乱暴に擦られながら俺は、今自分の置かれているこの現状が思っていた以上に悪いのだと今更ながら把握した。
どうする。どうすればいい?
この最悪の状況を打破するにはどれが最善の行動だろうか。
「………」
……分からない。
分からないけれど、考えないと。
このまま神田さんの気が済むまで大人しく従うのが吉か。
それとも口八丁で上手く丸め込んで穏便に事を済ますのが吉か。
はたまたリビングまで逃げ込んで外部からの助けを求めるのが吉か。
…やはりどう考えても大人しく従うのが最善のルートだと思う。
いつもの神田さんならば少しくらいは可能性があるかもしれないが、今の状態の神田さんを説得出来る話術は悲しいことに俺にはない。それに俺なんかが神田さんの隙を突いて逃げ切れると思うか?否、…無理だ。もし奇跡的にリビングまで逃げ切れたとしてもその後どうする?監視カメラに向かって助けを求めたとしても、来てくれる可能性は限りなく低いだろう。
それならばやはり事を荒立てず時が過ぎるのを待つのが最適だ。
「……っ、」
そう。
…例え今神田さんに腕を洗われている最中だとしてもだ。
頭を洗われることに抵抗はなかった。むしろ気持ちが良くてもっとして欲しいくらいだった。
だがやはりそれとこれは別だ。何が悲しくて顔もスタイルも抜群の有名人に自分の醜い身体を洗われなければいかないのだ。誠に遺憾である。
でもきっとこれももうすぐ終わる。
流石の神田さんだって前を洗おうとはしないだろう。だったら今だけ我慢して大人しく従っておこう。
「…って、バカッ!何するんですか!?」
「あ…?」
「ひ、低い声出してもこれは駄目ですからね…!」
まさかのまさか。
神田さんは背後から抱き付くように俺の下腹部に泡塗れの手を突っ込んできた。
俺は神田さんのぶっ飛んだ行動にギャーギャー騒ぎながら、手をバシバシと引っ叩いて必死に抵抗をする。そんな俺の嫌悪感丸出しの抵抗に「…耳元で騒ぐな」といけしゃあしゃあとほざくこの人に僅かながら殺意が芽生えてしまったのは致し方ないことだと思うので大目に見て欲しい。
「ちょっ、だ、駄目だって…ッ」
「抵抗するな」
「こんな状況で抵抗しない奴は居ませんよ!」
ああ、もう!
俺は一体この人の行動のどこから突っ込んで、そして何処を手で隠せばいいのだろうか。全部に対処出来そうにない。本当に誰でもいいから助けに来てくれ。
………だが現実はいつだって俺に冷たい。
「ひ…っ!?」
こんなところにタイミング良く助けなど来るわけもなく、神田さんの行動は更に度が増した。
すごく際どい部分を手の平でなぞられたのだ。それはもう本当にデリケートな部分で。
勿論他人にそんなところを触られたのは初めてな俺は、恐怖で一瞬の内に身体中に鳥肌が立つのが分かった。
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