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第1話:幽霊に襲われた夜

 その夜、銀次はあまりの寝苦しさに目を覚ました。  それはまるで自分の体に重しを載せられているようで、体を起こそうとしても指一本動かすことができない。 (こういうのって金縛りっていうんだっけ)  南銀次(みなみぎんじ)は一応、小説家である。一応とつくのは、あえて言うならという意味である。  今日は、担当出版社の決起会に半ば強引に参加させられ、勧められるまま酒を飲んだ。人付き合いが苦手な銀次にその場は息苦しく、つい酒に逃げてしまったのもある。案の定泥酔し、出版社の方々に体を抱えられながらタクシーに詰め込まれた。  どうやら誰かが運転手にタクシーチケットを渡して、住所も告げてくれたらしく、降ろされた場所、マンションやアパートが立ち並ぶ中、ひっそりと立っている古民家で、間違いなく銀次の自宅前だった。  浴びるように飲んだ酒も手伝ってか、胃がムカムカとする。典型的な悪酔いの症状だ。  体は動かすことができないが、徐々に暗闇に目が慣れてきた。 (妖怪か、幽霊か、はたまた化け物か)  ぼんやりと自分の体の上に大きな塊が跨っているように見え、それが人型の男であると判別できた瞬間、銀次は一気に目が覚めた。 「うわあっ……」  慌ててその塊を片手で跳ね除けようとすると、そいつは流れるように銀次の腕を掴み、その顔を近づけ、しーっと自分の指を口に当てた。近づいたその男の表情は、悪戯っこのような顔をしていた。 「しー、じゃねーよ!おまえ誰だよ!」 「えっと、あっしは……その」  その男はキョロキョロと周囲を見渡し、銀次を見てにやりと笑った。 「幽霊ってやつです」 「幽霊?」  その男性は少々古風な口ぶりで、片手は銀次の腕を掴んだまま、いやぁと頭を掻いた。よく見れば、その男は着物を着ているようだった。 「別にあっしはおまえさんを殺めようというわけではないので、ここは見逃してくれませんかね」 「いやいや、どう見ても不審者だろ!いつまでのっかかってるんだ。早くどけよ」 「暴れたり、警察に通報したりしませんか?そんなことすると面倒くさいことになりますぜ」 「は?どういうことだ」 「おまえさんを恨んで、一緒にあの世へ連れて行ってしまうやもしれません」 「なっ……」  ただ、からかっているようにも見えるが、ふふっと笑うその顔が少し不気味にも見えて、銀次は一瞬ひやりとした。この男が幽霊だと決まったわけではないが、この現代社会に着物の男が早々いるわけがないし、なんとなく古風な口調に、切れ長の目に薄い唇、どことなく古き良き典型的な日本人の顔立ちで、こんなにわかりやすいザ・幽霊がいるだろうかと首をひねる。 けれど、変質者や不審者にしては、ひょうひょうとしていて、この後も自分に害を加える気はなさそうにも見える。 「百歩譲って、おまえが本当に幽霊だったとして、なんでここにいるんだ」 「それは一身上の都合といいますか、その……」  煮え切らない態度がますます妖しい。とはいえ、凶器を持っているようには見えないし、窃盗でもなさそうだ。何よりその線の細い体は力で勝てそうな気すらしてしまう。  銀次は、はぁとため息をついた。 「出てくつもりがないなら、せめてなんでここにいるのかだけでも説明しろ」 「おや、話し相手になってくださるんですかい?」  もしかするとこれは酒に酔った自分が見ている夢かもしれない。どうせなら、この得体の知れない男の茶番に付き合ってやることにした。  男がよいしょと体から離れ、ようやく身動きがとれるようになった銀次は、手を伸ばして枕元のランプの紐を引いた。オレンジの明かりに照らされた、着物姿のその男は、いまどき珍しいオールバックで、手慣れた手つきで着物の乱れを直すその所作はどこか家柄の良さを感じさせる佇まいだった。歌舞伎役者か、日舞の芸者か、とにかく気品に満ちている。 まるで明治か大正か、日本が日本らしかったその時代の人物そのものに見えた。 「おまえいくつなの?」  自分より年上なのは間違いないが、見ようによっては、この時代の人間かも疑わしい。 「嫌ですよぅ、いきなり年齢を聞くだなんて」 「いきなりまたがっているほうがよっぽど失礼だろう」 「うまいことおっしゃる」  銀次の枕元に正座をしたその男は、壁一面に並べられている本棚をぐるりと見渡した。 「それにしてもすごい本の数ですこと」 「趣味と仕事が本に関わることだからな」  ゆっくりと体を起こしながら、銀次は答える。 「さすがですね、“南風銀水”先生」 「……!」  即座にペンネームを言い当てられ、銀次は言葉を失った。確かに自分の本は一冊だけ本棚にあるにはあるが、それにしても、それがまさか自分が書いた本だとは当てられまい。 「な、んで?」 「ふふ。細かいことは気にしない気にしない」 「じゃ、売れない一発屋作家なのも、知ってるんだな」  自嘲気味に言うと、その男は一瞬、きょとんと首をかしげた。 「それよりなんでおまえがここにいるのか、早く話せ」  へい、と軽く返事をしてその男は律儀に床に正座をした。 「えーっと、そうですねぇ」  その間、男はふわふわと天を見上げ、あたかも何かを考えているような素振りを見せる。 「おい、もしかして、今、考えてるんじゃないだろうな、不審者」 「ゆ・う・れ・い!あっしは、こわーい幽霊です!」  そんなに張り切って、幽霊名乗る幽霊がどこにいるというのだ。  男は、わざとらしく、ひとつ咳払いをした。 「実は、この世に未練があって成仏できずにおります」 「よくある話だな」 「幽霊なんてそんなものと相場が決まっております」  そう決めつけたら世の中の幽霊に失礼じゃないのか、と思ったが銀次は黙っていた。 「で、どんな未練だよ」 「いろいろありますが、今は目の前にいる"南風銀水"先生に興味があります」  男は、ふふっと微笑んだ。 「ふざけるな、気持ち悪い」 「おや、銀の旦那はソッチの経験はないのですか?」 「ソッチ……」  ようやく、この男の言っている意味が理解できた。 「おまえ、もしかしてホモ、なの?」 「いやですよ。男色とおっしゃって」  その男は着物の袖を口元にあて、ふふふとおどけて笑った。男色、当時でいうところのホモである。 「待て、おまえ、不審者じゃなくて変質者じゃないか!」 「誤解です!そもそも旦那が玄関を開けっぱなしで部屋に突っ伏しているから悪いんですよぅ!」 「そこはっ……そっと玄関しめておいてくれればいいだろ!なんで跨ってんだよ!」  タクシーで家の前に降ろされ玄関の引き戸を開け、千鳥足で部屋までたどり着いた記憶はかろうじてある。汗ばんだ体をシャワーで流したいだとか、着慣れないスーツをハンガーにかけないとしわになってしまうだとか、気にかけながらも、どうにでもなってしまえばいいと自暴自棄になる自分の誘惑に負けてまぶたが閉じていったのもうっすら覚えている。  ということは、そのあとで、男は自分の部屋に侵入したことになる。 「気持ち悪い!出てけ!」  男を突き飛ばそうと腕を勢いよく伸ばした、はずだったが、するりとよけられて腕を引かれて、ストンと床に押し倒された。 「暴力はいけませんぜ、旦那」 「なっ……」 「合気道ってご存知ですかい?」  線の細い男が、まったく力を使わずに自分を押し倒した。まるで柳を相手にしていたかのように、緩やかな身のかわしは、かなりの腕前だとわかる。力では敵わない。すぐに、そう悟った。 「そんな怯えた瞳をしないでくださいまし」  男は、銀次の体をおさえつけたまま、ふわりと目元を緩ませた。 「本気で、俺を襲うつもりなのかよ……」 「信じてもらえないと思いますが、本当にそんなつもりはなかったんですよ?死んでんじゃないかって心配したんですから」  確かに、玄関が開け放たれていた上に、布団に倒れ込んでいた自分を見たら、身を案じてくれるのはわかる。けれど助けてくれる人間にホモのオプションは、必要なかったはずだ。 「もういい。好きにしろ」  強張らせていた体の力を抜いて、ごろりと大の字になった。 「おや、どうしました?旦那」 「せめて俺のケツが誰かの役に立つならそれもいいかって思っただけ」  今日の飲み会は、小説家として戦力外通告を受けたも同然だった。 「先生の充電期間はそろそろ終わりますか?」だとか「実は見せていない原稿があるんでしょう?先生は出し惜しみするからなぁ」とか、よくぞまぁ、次から次へと相手の気分を悪くさせる嫌味が思いつくなぁと感心したほどだ。  「旦那、そんな自暴自棄にならずに」 「うるせーよ。ヤるだけヤって、さっさと帰れよ」 もうどうだっていい。体のだるさも手伝って、今はヤケクソな気持ちで占めていた。 「そんなことをおっしゃってはいけませんよ」 淋しげに呟きと同時に冷たい手が銀次の頬に触れ、優しく撫でた。 「旦那の心は乾いてしまっているようだ。少し、うるおいが必要なようですな」 どういう意味だ、と尋ねる前に、男の顔が近づき、額に口づけを落とした。 あまりの優しいキスにぽかんとしている銀次を、男はとても優しい笑顔で見つめてくる。 「あっしは無理強いは趣味じゃないんでね。どうせならたっぷりと気持ちよくしてさしあげましょう」 「なんだそれ……」 男は銀次の服に手を伸ばした。 酔った勢いとはいえ、ミステリーを題材にしている作家が自称幽霊だという不審者に抱かれるなんて、 ネタとして最高に傑作だと思いながら、男にされるまま、肌色を露出させていった。 「ひゃっ……もう、無理……イッちゃ……」 「あー、またですかい?おまえさんのここは無尽蔵なんですか?まるで底なしだ」 体を震わせながら、自身の腹にもう何度目かの白濁液を吐いている。 銀次は男の愛撫の数々にすっかり骨抜きにされていた。 それだけではない。今まで排泄にしか使われていなかったそこが、この男の手にかかれば立派に性器として快感を得る場所として成立しているのだ。 銀次が吐き出した精液を潤滑代わりに塗りこまれ、何度も指を抜き差しされ、前立腺と思われる部分をトリガーとして何度も発射させられている。 そのたびに銀次は抑えきれず、甲高い声で啼いてしまうのだ。 「そんなにかわいく喘がないでくださいよ、旦那」 「も……やだっ……出ないっ…からぁ」 「なるほど、あっしの腕次第というわけですか。かわいいおねだり、たまりませんな」 銀次は必死に首を横に振るが、そこは無意識にきゅうきゅうと男の指を締め付けている。 「そろそろここに、もっと大きくて太いものを入れてみたくはないですかい?」 「嫌だ……壊れる…」 「ああ、旦那の壊れてしまうところ、見てみたいねぇ」 力を抜いて、と耳元で甘くささやかれたと思うと、どろどろにとけたそこに熱い塊をあてがわれる。 男は、いつのまに臨戦態勢になっていたのだろうか。がちがちに硬さを帯びたそれは、徐々に蕾を押し広げていく。 「あっ……あ、ああン…」 「あんなに馴らしたんです。痛くないでしょう?すぐによくなります」 男は銀次の耳元でそうつぶやくと、頬にキスを落とした。 「はっ……はぁっ…」 「こうされるのが、好きですか?」 「んっ…!」 ぴっちりと男のそれを咥え込み、 微動だにできなかったそこは、すでに抜き差しを繰り返され 未開の地だった内壁を擦られ、そのたびに自分の声とは思えないほど甘く啼いた。 当然ながら挿れられる側になってなったことはないけれど、明らかにそこで快感を得ていた。 怖いと思った。 自分の知らない快楽を与えてくるこの男に、意のままに操られてしまいそうなことに。 次々と快楽の波がうねりをあげて押し寄せてくるのを感じる。 いやだ、怖い、やめてくれ……と願う理性より、快楽を求める自らの体のほうが勝っていた。 お香の香りだろうか、自称幽霊の男からは、香水とは違う穏やかな香りが漂っていた。 穿たれる腰に頭の中が真っ白になりながら、その香りに誘われるかのように、銀次は再び落ちていった。

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