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最終話:自称幽霊の男と一発屋小説家

 ガシャンガシャンと窓を叩く音がする。着物姿の男を目の前にしながら、銀次は腕組みをして、その男は睨みつけていた。  口の動きで、「開けて」と告げているのはわかるが、なんだかこのまま開けるのは癪である。何から説明してもらうべきか。結果、大団円になったのはいいが、自分だけ蚊帳の外だったことも正直おもしろくない。  とはいえ、ずっと窓を叩かせているのも近所迷惑なので、鍵だけは開けてやることにした。 すると男は窓をガラガラと開けた。 「お銀、ひょっとして怒ってる?」 「それなりに」 「一晩かけて謝るから、許して。ああ、ずっと気持ちよくさせて寝かさないのもいいね」 「おまえ、反省してねーだろ」 「仕方ないだろ?出会ったあの日に、全部説明するのは骨が折れるよ」  確かに、目を開けたら自分に跨っていた男に、ここまでの話を説明されても、自分は聞く耳を持たなかっただろう。 「怒ったお銀もかわいいけれど」 「うるさい」 「あっしが幽霊じゃないってわかって安心したんだろ」  男は、にやにやと顔を緩ませる。 「……そもそも、昨日の時点で染衛門さんじゃないって言ってくれれば!」 「銀の泣いた顔がかわいかったから、つい、ね」  再び、窓を閉めようと手を伸ばす。 「ああ、銀。せっかく開けてもらえたのに!」  閉めようとする自分、開けようとする男が攻防して、窓がガシャンガシャンと鳴る。 「お銀、好きだよ」 「今、言うことかよ!」 「いつでも言うよ。弱ってるお銀をほっておけなかったんだ」 「ずっと?」  窓の攻防から、一時手を緩める。 「有名な若い作家先生が、ここに引っ越してくるっていうのはみんな事前に知っていたんだ。 いつしかペンネームも知れ渡って、みんなが南風銀水先生の本を読んだものさ。街は歓迎ムード一色だった」 「悪かったな……実は、こんな一発屋小説家で」 「そうじゃないよ、旦那。あまり街にも出てこないし、姿を見かけても元気がないし、だからみんなで見守ることにしたんだ」  そんなことになっているだなんて知らなかった。確かに男の話を聞いていて、この街の商店街の人たちは温かい人が多くて、仲がよくてうらやましいと思ったのは事実だ。 「まぁ、いやらしい目で見ていたのは、あっしだけでしたけど」 「最低」  少しだけ見直したのに、もう前言撤回したい。 「まさか、先生が父のかつての想い人、南銀一さんの息子だとは思わなかったですがねぇ」 「どうしてわかったんだ?」  確かに、それにはいつ気づいたのだろう。 「不動産屋の親父が酔ったときに漏らしてて」 「……この街は個人情報を保護する気はないのかよ」 「もしかすると、借りたのは昔住んでた人の息子なんじゃないかって。その住んでた人が南銀一さんだったから」  父も自分も知らなかったけれど、不動産屋だけはその事実に気づいていたのか。 「この家は、父と銀一さんがかつて一緒に住んでいた愛の巣だからね」  いつか別れなければいけないとわかっていた二人が、それまでを幸せに過ごした家。それがここなのだ。 「母から父、染衛門のことは聞いていてね。男色の気があることも、かつて愛した人がいたことも。それでも母は、父を責めなかった。母の前の父はちゃんと目の前の自分を愛してくれたと言っていた」  それは今日、自分も思った。彼女は『二番目』でありながらも不幸だったわけではないのだ。もしかすると、すべてを受け入れた人間というのは、強いのかもしれない。 「ずっと気になっていた人が、自分と縁の深い人だと知ったら、ますます好きになるだろう?」 「そんなもんか」 「だから、あの夜はチャンスだって思ったんだ」 「普通に近づけよ!」 「だってお銀のガードが堅かったんだもん」 「うるさいうるさい!」  なんだか、恥ずかしくなり、再び窓を閉めようとする。 「旦那は本当に照れ屋さんだねぇ」 「うわっ……」  窓が閉まるかと思ったら、そのまま腕を引かれ、窓の外まで体を引き寄せられ、男の腕の中にどさりと飛び込むかたちになった。 「機嫌、なおしておくれよ」 「……本気で、おまえが幽霊だったら、染衛門さんだったらどうしようって思ったんだ」 「うん」 「俺だって、もう会えなくなるのは、いやだなって思ったんだから」 「悪かったよ」  庭先で、染太は銀次にキスをした。 「これからは堂々と会いにくるから」  ぎゅっと抱きしめられているその背中に手をまわし、ぎゅっと引き寄せた。 「……朝まで」 「うん?」 「勝手に帰るな。朝まで、いろ」 「あいよ」  銀次は潤んだ瞳を見られないように、染太の腕の中に顔をうずめた。 「ずっとお預けを食らってるんだけど、そろそろいいかい?」 「お預けって……おまえ!」 「朝までいろ、だなんて旦那も嫌いじゃないんだねぇ?」 「バ、バカ! そういう意味じゃない」 「はいはい。それじゃあ体に聞くとしようかね」 「うわっ……」  染太は銀次の体をひょいと抱き上げて、歩き出した。 「おいっ!おろせ!おろせって!」 「どうせ玄関は開いてるんだろ?あっしが入れるように」 「う……」 「たくさんかわいがってあげようね」  抱き上げられたまま、頬に、ちゅっとキスをされる。悔しいけれど、今はこの男に抱かれてもいい、抱かれたいと思っている自分がいる。  鍵の開いている玄関から、部屋に入る。そのまま奥の部屋まで運ばれ、ようやく布団の上で銀次の体は下ろされた。 「おまえさん、あの約束を覚えてるかい?」 「……自称幽霊に襲われた話を書けってやつか?」 「書いてみるといいよ」 「売れなさそうだろ、それ」  染太は優しく銀次を押し倒し、その上に覆いかぶさった。 「本と違うのは、あっしは毎晩、銀を襲いますけどもね」 「……うっ」  ふと「北川家は絶倫の家系』という父の言葉が頭をよぎり、恥ずかしくなる。 「一生、離しませんよ。お銀」 「……絶対だぞ」  銀次はそっと目を閉じて、染太に体を委ねた。  翌朝、銀次が目を覚ますと染太はの腕の中だった。染太は、すうすうと寝息を立てて自分を抱きしめて眠っていた。  初めてみる染太の寝顔に、銀次は嬉しくなって再びその腕の中に顔を埋めた。 ーーこいつの話なら、書けるかも。  そして、その後南風銀風の書いた『自称幽霊に襲われまして』という幽霊と生身の人間が織りなすラブストーリーは、銀次の期待を裏切って、南風銀水のヒット作になったのは、それから三年後のことだが、このときは知るよしもなかったのだった。                                   【完】

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