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第7話:北川染衛門と南銀一のはなし

 玄関前には、タクシーが待たせてあり、三人は乗り込んだ。暑い夏の日、初老の徳子の体を気遣ってのことだろう。  さきほどから、銀次の頭の中では疑問が尽きなかった。まず幽霊である北川染衛門が昼間に堂々と姿を表していること、そして連れてきたご婦人は北川染衛門の妻であることに加え、男と見た目の年齢差が全く違うこと。幽霊なのだから、見た目は若いままだったりするのか?まったくわからない。 「それにしても息子さんは、本当に銀一さんによく似てるのね」 「は、はぁ……父をご存じで?」 「ええ、染衛門の葬儀のときにお呼びしまして、来てくださいました」  そんなフレンドリーな関係だったのだろうか、もし父と染衛門がそういう関係ならば、父を恨んでも仕方ないだろうに。というか、幽霊である夫と一緒に、出歩くとか、この方も変わっている。  疑問だらけの中、病院にすぐに到着した。昨日と同じような手続きを踏んで、昨日と同じ個室に案内する。幽霊であるはずの男の姿はみんなに見えていて、一人前に見舞い客の札を受け取っていた。時折、男に顔を向ければ、穏やかに笑うだけ。まるで「大丈夫だから」と言っているかのようだ。 「父さん、入るよ」  扉を開けると、父は起き上がって本を読んでいた。 「なんだ、おまえか」 「ごめん、父さん。どうしても会わせたい人がいて」 「失礼します」  男が頭を下げながら、入ってきた。その後ろにはご婦人が寄り添うようについてきている。 「突然の訪問、失礼いたします。市川染衛門の息子、市川染太と申します」 「息子!?」  思わず、声に出してしまう。聞き間違いじゃなければ、今、男は息子と名乗ったはずだ。 「ご無沙汰しております、徳子です」  続いてご婦人も頭を下げる。 「これはこれは……大変ご無沙汰しております」 「いつか、ゆっくりご挨拶をしなければと思いつつ、今日まで時間が過ぎてしまいました。 失礼のほどをお許しください」  男は流暢に話し始める。普段のへらへらとした古典的な口調はどこにいったのやら。 「染さんの……そうですか。息子さんがいらっしゃるとは聞いてましたが、こんなにも大きく」 「今では呉服屋の五代目の店主として、働いてくれております。あの人の遺言通りに」 「それはよかった」  この中で自分一人だけが混乱しているのは、わかる。そして男が幽霊ではないということも、はっきりとわかった。 「父は生前、銀一さんのお話をよくしておりました。ずっとあなたに説明をせずに別れることになってしまったことを悔いておりました」 「いや、情けない話、あの頃は私も染さん……君のお父さんも若かった。お互いの家に迷惑をかけてしまった」  ご婦人がすかさず、言葉を挟む。 「銀一さん、私は生前、主人から言われておりました『おまえは二番目に愛している』と。それを承知で見合い結婚に応じたのです」 「そう、なんですか……」 「はい。そのお言葉をなんとか銀一さんにお伝えしたくて、今日は銀次くんに無理を言って連れてきてもらったのです」  父は、がっくりと肩を落とした。 「呉服屋の後継ぎを育てなくてはいけない染さんとは、いつか別れる日が来るとはわかっていました。けれど、受け止めきれなかった自分は本当に若かったのです」 「いえ、あのひとは本当に銀一さんを愛していました。そして私は、こうして染太を残してくれたことも感謝しています。そのことをどうしてもわかってほしくて」 「いえ、十分です。私も、銀次という息子がいるので、お気持ちがわかります」  突然、自分の名前が出て驚く。父の口から息子という単語が出てくるとは思わなかった。 「銀次」 父に呼ばれて、二人の前に出る。 「驚かせてすまなかった。でも勘違いしないでほしい。母さんのことは……」 「わかってる。二番目に好きだったんだろ」 「あ……いや、その……」  父が慌てる姿なんて見たことがなかった。思わず、吹き出してしまう。 「早く元気になって、今度は家に遊びにきてよ」 「……ああ、そうする」  穏やかに笑う父の顔に安堵した。おろそかにしてきた親子の関係が、これからようやく築けるのかもしれないと。 「その、銀一さん。このタイミングに申し訳ないのですが」 「なんだい、染太くん」 「僕と息子の銀次さんとのお付き合いを認めていただけませんか?」 「は!?」  思わず声を荒げてしまう。何を言ってるんだ、この男は。 「まぁまぁ、染太さん。毎晩、あいびきしていた相手は、銀次くんだったの」 「銀次、そうなのか?」 「いやいやいや、勝手にこいつ……染…太さんが家に来てただけで!」 「あれ?銀次くん、僕のこと嫌いだったっけ?」  何をこのタイミングで口走っているんだ!ぱくぱくと口を動かしながらも、言葉が出ない。 「銀次くん、安心してくださいね。あの呉服屋の後継ぎは、妹の旦那が継いでくれますから」 「へ……あ、そうなんですか」 「よかったじゃないか、銀次」 「よくないよ、父さんも何、快諾してくれてんの!」 「私は反対する権利なんてないからなぁ」 「していいよ!反対していいってば!」 「銀次くん、このあと、ゆっくり話し合おうね。夜に家に行くからさ」 「来なくていい!」 「まぁまぁ、銀次くん照れちゃって……」  そんな余計な報告もあったが、賑やかに北川親子は個室を後にして、部屋には父と銀次が残された。 「父さん、ごめん。突然」 「いや、構わない。今まで、仕事ばかりしてきて、こうして落ち着いて向き合う時間もなかったからな」  父は窓の外を見つめていた。それも遠くに、まるで誰かを想うようなまなざしを向けていた。 「染さんに別れようと言われたときはショックだった。けどこうして今、おまえという息子がいて、染さんにも染太くんという息子がいる。ようやく、これでよかったと今日初めて思うことができた」 「父さん…」 「ありがとう」  こちらを向いて礼を言った父は、優しく笑っていて、父の笑顔を初めて見たような気がした。 「まぁ、染太くんとは仲良くやんなさい」 「いやいや、父さん、それは反対してくれていいって」 「ひとつだけ気を付けたほうがいいことを伝えておく」 「……何?」 「染さんから、以前聞いたことがあるんだが、北川家はその……絶倫の家系らしいから」 「絶……倫?」 「それ以上は聞くな」 「はい……」  今まで父に何かを教えてもらったことなどなかったが、初めて教わったことがそれかと思うと頭が痛い。  何はともあれ、いろいろなことがすっきりとして、来た時よりも明るく、銀次は病院を後にした。

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