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第6話:それは過去の話

 何度か、ガシャンガシャンと叩く音が続いたが、そのまま応じずにいた。  今日はいないってことで帰ってほしい。そう願った。明日も、明後日も居留守を使って、この際、あの男との関係を終わらせてしまうのがいい。じわりと目尻が熱くなるのをこらえたまま、銀次は窓を叩く音が過ぎていくのを待った。  静かになり、男の足あとが離れていくのを聞いて、ほっと安堵した途端、玄関の開き戸がガラガラと開いた。 「旦那、いるんだろ?」  どうやら勢いよく部屋に入ってしまったので、玄関に鍵をかけるのを忘れていたようだ。よりにもよって、と自分に呆れる。 「おや、部屋に明かりもつけないで。今夜はかくれんぼでもするつもりかい?」 「不法侵入」 「いやですよ、旦那。幽霊を不法侵入で訴えてたら警察が忙しくなって気の毒だよ」 「北川染衛門」  顔を伏せたまま、銀次はつぶやいた。少し、沈黙ののち、男は答えた。 「……いい名だろ?」  銀次は顔をあげた。そこにはいつものように着物姿の男が立っていて、銀次をやさしく見下ろしていた。 「そんな顔して、どうしたんだい?また誰かにいじめられたのかい?」 「とぼけるな。どうして父さんを捨てたんだ」 「いきなりだねぇ、旦那」  男は、睨みつける銀次の頭を優しく撫でる。銀次はその手をぱしりと振り払った。 「なんで死んだんだよ」 「病気。もともと心臓に持病があってね」  男は、表情ひとつ変えずに、答える。 「父さんとは、いつから会ってないんだ」 「うーん、別れてからそれっきり?こっちは見合い結婚が決まっててねぇ。なんせ呉服屋なんて商売してると、後継ぎのことがうるさ……」  言い終わる前に、銀次は立ち上がって男の胸倉をつかんだ。 「前にここに住んでいた人間に会いたいと言っていたよな」 「ああ、言ったねぇ」 「ここに住んでいたのは、俺の父親、南銀一だ。おまえが捨てた男だよ!」  勢いよくそれだけ告げると、男は、目元を緩ませた。 「知ってたよ。でもそれは、いつか会いたいと思ってるって話だ」 「知ってた……?それなのに、おまえは俺とあんなことしてたのか」  一層、声を荒げる。 「あっしが会いに来ていたのは、銀の旦那、おまえさんだよ。お父さんのことは関係ない」 「……はぁ?」 「お父さんだっておまえのお母さんと結婚して、おまえができたんだろ。すでに終わったことなんだよ」 「おまえ、父さんの気持ちも知らないで!」 「じゃあ、おまえの父さんはそんなことを言ったのかい?」 「う……」 「それは昔の話だろ。あっしと旦那には関係ない話だ」 「でも、父さんは……」    自分に背を向けてしまった父のことを思い出すと不憫でならない。あのとき、かつての想い人を思い出させてしまったのは自分だ。少なからず、気持ちがあるのではないかと思うのは当たり前のことだ。 「銀」  名前を呼ばれ、頬を撫でられる。気づけば涙が溢れていた。 「あっしがおまえの父さんのことを今でも好きだと思ったのかい?」 「そう思っててもおかしくない……」    男は銀次を抱き寄せた。 「あっしの好きなのは、銀、おまえだよ。毎晩会いにくるほど好きなのに、どうしてわからないんだい」  胸がぎゅっと締め付けられる。 「そんなこと、言われたことなんてなかったし……」 「好きでもない子を抱いたりしないよ」 「え……それってどういう……」 「おまえさんがここに越してきたときから、気になってたってことさ」  男の言っている意味がわからない。頭が混乱する。 「お父さんは今、どこにいるんだい?」 「今日、熱中症で運ばれて大学の付属病院に……」 「そうかい。じゃ、明日お父さんのとこに連れてっておくれ」 「え?おまえ、幽霊じゃ……」 「明日、ちゃんと説明するとしよう。今日のところは帰るよ」  男は額にキスを落とした。 「じゃ、明日十時ごろ迎えにくるよ。お父さんに挨拶にいこう」  そうして男は何もせずに帰っていった。  わけもわからず取り残された銀次は、その夜一睡もできなかった。 ***  約束の午前十時、玄関を叩く音がして、出迎えるとそこには着物姿の男が立っていた。窓からではないことに驚いたが、太陽のもとでこの男の姿を見るのは初めてだった。  そして男の後ろには、初老のご婦人が立っていた。銀次がその方を見て、キョトンとしていると男はくすりと笑った。 「一緒に連れていきたい人がいるんだ」 「あなたが、銀一さんの息子さんね」 「は、はい……南銀次です」 「北川染衛門の家内、徳子と申します」

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