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第1話

(失敗した……!)  そうやって頭を抱えてからどのくらい経ったのだろう。そろりと目を開けてみても、そこにいるモノが変化することはない。 「そろそろ諦めたらどうだ、マスター」  また頭を抱えようとしたオレにそう嘯いたソレ。今のオレを超絶に悩ませているはずのソレはいけしゃあしゃあとそう言ってのけると、めずらしげにオレの周囲へと視線を巡らせた。  今いるのは何の変哲もない森の中だ。  ただし、普段人が立ち入るような生やさしい森ではない――オレのように召喚術を生業とする者たちが新たな使役獣を求めてやってくる、果ては魔界へと繋がると言われている曰くありの場所なのだ。  オレのような召喚士はまず優秀な使役獣や使役魔を従えないとお話にならない。戦闘や旅で役立つ彼らを従えさせることで召喚士自身の価値が上がり、ギルドから与えられるクラスや給金が変わっていくのだ。そんな中でオレはよく言えばパッとしない――有り体に言ってしまえば落ちこぼれだった。それでもこうして唯一できることである召喚術で喰いつないでいられるのは、奇跡的に召喚に成功できた魔犬と呼ばれる種族である相棒と、ある程度の傷なら治せるというちょっとした自分自身が持つ魔力のお陰だった。  だから、オレ自身には悲しいくらいに魔力も、ましてや召喚するための力などほとんどないと言っていい。相棒を召喚できたことがオレの人生で一番上出来な出来事だったのだ。 「人は私の姿を見るともっと悲鳴を上げたりと賑やかにしてくれるのだがな。ずいぶんと肝の据わった奴だ……それとも声すらでないのか?」  同じ魔の属性を持つ者たちは相手の気や力に敏感に反応するという。召喚獣の中では中位クラスで、簡単に召喚できる類じゃないオレの相棒をその気配だけで気絶させたヤツが、オレの前でニヤリと笑う……その鋭い牙の生え揃った口もとで。相手が身動きする度に、硬質な鱗が触れあって独特な音を出すのが聞こえた。 「……ごめんなさい、間違えました」  もう今はただ謝ってお帰り願うしかない――そう思って頭を下げると、ソレが現れてから一際大きな……両翼を広げる音がして、一気に巻き起こった風に吹き飛ばされそうになる。耐えきれずに腕で庇いながら目を閉じているとオレの体を支えるように誰かが後ろに立ったようだった。 「すみません、助かりました! ……れ?」  慌てて目を開けると、目の前で翼を広げたはずのソイツ――漆黒の鱗をした竜が消えていた。振り返ってみると、どうしてこんなところにいるのか分からないような美形な上に長身の、存在そのものがオレへの挑発かと思えるような男が人を笑うような目で見下ろしていた。 「今ここに竜がいたんだ、早く逃げないと――!」  男は旅をしている傭兵といった格好をしている。たまに召喚に失敗して襲いかかる召喚魔や召喚獣を獲物にしている連中がこの森をうろついていることがあるので突然現れてもそんなに驚くことじゃない。  それより最高位召喚士でも滅多に召喚することができないはずの竜がこの場についさっきまでいたことが大問題だった。竜といえば一国をも簡単に焼き滅ぼすことができる、召喚に失敗したら最後の、最凶最悪の幻獣だ。魔界との間の歪みがおかしなことになってしまっていたのかとか、あの竜が出現した理由はさっぱり分からないが、取りあえずこれ以上竜を怒らせる前に逃げるしか人にできることはなかった。 「へえ。凶悪な魔物を、人を呼んで退治するつもりか?」  こんな時だというのに、オレの背後に立っていた美丈夫は暢気にそんなことを聞いてきた。そういえばこの男もめずらしい漆黒の髪をしている。瞳の色は明るい琥珀色で、まるで宝石がはまっているかのようだった。 「あのな、人の都合で呼び出した召喚獣たちを退治するっていうのは考え方がおかしいんだよ。あんたたちはそうやって退治するのが仕事かもしれないけど……」 「でも、現実的に元の世界に戻せないんだろうが」  答えたオレを皮肉げな笑みを浮かべながら一刀両断してくる。初めて会ったはずなのにオレの実力を見破られたような恥ずかしさで顔が赤くなるが、オレにできることといえばソイツを睨みあげることくらいだった。 「もともとこの世界と魔界は繋がってたらしいし魔物がみーんな凶悪とは限らないだろ。取りあえずさっきの竜見つけたらもう一回謝って帰ってもらえないか聞いてみるし……あー、もう取りあえず行こう!」 「……おそらく、謝られてもその竜は帰る気はないと答えると思うが。探しものが見つかるまで――」  探しもの、というのが一体何なのか分からないがもういい加減この森にいるのは別な意味でも限界が近い。元々魔界と繋がるこの場所は魔界から漏れ出る障気が濃いためにふつうの人間が長時間いると体力を奪われてしまう。現に、何度もこの森に足を運んでいるオレも目の前がくらくらとしだした。早めに相棒を引き取って抜け出ないといけない――そう思うのに、次に踏み出した足がよろめいて地面へと衝突しかけて――視界は真っ白に弾けてオレの意識は簡単に消失してしまう。 「目的のものを見つけるまでしばらく世話になるぞ、マスター」  そう言って笑うあの黒竜の声が遠くで聞こえたような気がした。

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