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第6話

「メリル、ここにいるのかー?」  東の塔は薄暗い。  かろうじて階段の両端には足下を照らす程度の灯りが備えられているが、そのくらいではこの塔自体が持つ不気味さを払拭することなどできない。  ようやく長い階段を登り終えて息をつくと、人などいそうにないような静けさを漂わせた大きな扉が目の前に現れた。その扉の向こうへと声をかけてみるが、やはり返事はない。気のせいか、オレが東塔で実習をやっていた頃よりもずっと障気が濃くなっているような……。先生も今日メリルが東塔にいると言っていたわけではないのだからここは引き返すしかないか――そう思っていたオレの背後から複数の足音が近づくのが分かった。 「もしかしてお前、ユーグ・エルリーズか? あの数年前にとんでもな事件を起こした召喚士のできそこない君」  ディズとはまた違う、心底人をバカにしたような言い方はオレも聞き覚えのあるもので、つい当人を前にしてげんなりとしてしまう。 「できそこないじゃないよ、カジ。今や立派な下町召喚士ギルドの一員、立派な召喚士様だ。宮廷召喚士を目指している我らなんかとは到底かち合わない、ね」  そういえばカジっていうのを先頭に、いつも5、6人がつるんでいた気がする。揃いもそろって親が金持ちで、一向に卒業することができないボンボンたちだっていう印象だけが残っていた。 「相変わらずつるんで暇な連中だな。それよりメリル知らないか」  どうせ連中がオレのことを馬鹿にしているのは今に始まったことじゃない。だが連中はお互いの顔を見合わせると、より一層笑いだした。 「おい、メリルだってよ! 一回も召喚に成功したことのない我らが友! ……ってことは、あいつに召喚獣連れてこいって頼まれたのは手前ってわけか。やっぱりな」  カジがニヤニヤとした顔でオレに近づいてきた。さっき鞄の中に無理矢理押し込めたフェアリーが出てきたそうに身を捩らせているのがわかったけど、今ここで出してやるわけにはいかない。無言で睨みつけていると、今まで静寂を守っていたはずの扉の向こうから何かが爆発するような大きな音が聞こえてきた。 「っおぉー、なんか派手になってきたな。メリル君大活躍ってか? 俺たちのお膳立てが効果出したってところかな」 「……ッ!」  中にメリルがいて、不穏な音がして。  ここにグリフィスを連れてこなかったのを後悔したが仕方がない。力づくで大きな扉を開くと、思ったよりも明るい照明の中に浮かび上がるようにメリルらしい青年が床の上に倒れ込んでいた。 「メリル!」  年上なのに、もしかしたらオレよりも召喚術へのセンスはない。けれど力持ちで、なによりこの貧弱な外見とか目の色とかでさんざん馬鹿にされることが多かったオレの唯一といっていい友人である。いったい何が起こっているのか分からなかったが慌てて駆け寄ると、とうとう耐えきれなくなったらしいフェアリーがもぞもぞと鞄から出てきて、外に出るやいなやびっくりするほどの叫び声をあげる。人の言葉を話せるわけじゃないからキーとかギーとかそんな音だけれど、彼女の鬼気迫る表情に、この場に何かが――いてはいけないものが、いるのを知った。 「ユ……グ? だめだ、ここは……」  オレよりもずっと体躯のいいメリルを起こすのは一苦労する。上体を起こしているうちに意識を取り戻したメリルだったが、すぐにオレの体を突き飛ばすように腕を伸ばしてきた。その反動で床に尻餅をつく格好となったオレの手に、何かの液体がつく。 「これって……?」  赤い、まるで血のような赤い、色。 「ヒューッ、できそこない二人揃ってお熱いこった。メリル一人じゃ足りないと思ってさ、召喚できる程度の力があるヤツを呼ぼうって話だったんだけど、中位召喚獣を召喚した実績のあるユーグ殿が現れるとは何というラッキー。是非我々の召喚を手伝っていただきたい」  背後からかかる声。のんきに囃したてるそれとは別に、何か恐ろしい気配が渦巻いているような気がしてならない。 「……ごめん、フェアリーちゃん。悪いんだけどさ、……グリフィス連れてきてくれないかな。こんなところでうまくグリフィスだけ呼び出せる自信がないんだ」  きっとフェアリーも恐ろしいのだろう、オレにひしっと掴まっているのを申し訳なく思いながらそう声をかけると、フェアリーはすごく不安そうな表情でオレを見上げてきた。――フェアリーも、オレたちからみれば一応魔物の種族の一つとされている。けれど、怯えているような表情を見てしまったら魔物扱いなんてできそうになかった。  そういえばディズ。あいつも竜のくせに変なヤツだな、と思い返したところで、オレの言葉を理解してくれたのだろうかフェアリーが緑色の光を放ちながら、しかし迅速に飛び出していく。さすがにフェアリーを捕まえることはできなかったらしく、連中が舌打ちするのが聞こえてきた。 「メリル、立てるか? ここ、すごく危険な気がする……」 「う……まだ無理そうだ、ユーグだけでも早く逃げてくれ……すまな、巻き込んでしまった……」  連中の気が逸れているうちに回復術を使う。召喚術以上にオレ自身のあるかないかの魔力をフルで使うから疲弊はけた違いだが、この際仕方がない。 「おいおいユーグちゃん、何余計なことしているのかな!」 「――ッ!」  回復術に集中していたせいで連中の一人が近づいてきたことに気づけず、呆気なく蹴りとばされた。腹や背に同時に痛みが走るが何とか立ち上がってメリルのところに戻ろうとすると、すでにメリルを取り囲むように連中が立ちふさがっていた。 「……な、んでこんなこと……」 「そりゃあさっきも言っただろ? 血――生贄を使った召喚をやるんだよぉ。本当はさっき逃げちまったフェアリーなんかを殺してプラスすれば効果覿面だったんだけどなー、てめぇが逃がしちまうからよッ!」 「ぐ……!」  立ち上がろうとしたところをまた蹴り倒されて一瞬意識が遠のいた。 連中の言う血の召喚、というのはその名の通り犠牲を払い、その血臭で中位や上位の、獰猛な魔物を呼び出すための術だ。しかしそれは失敗することがあまりにも多いために、ずっと昔に禁じられた術でもあった。 「そういやお前、あの事件で血の召喚に立ち会ったんだよな? 俺たちは失敗しないからな……面白いものを見せてやる。そして従わせるんだ」  召喚士を目指しているくせに人の戦意を失わせるのがうまい――そんなことを思ってしまうくらい容赦なく男の足がオレの腹に、背や頭に何度も襲いかかってきた。そんな中でも聞こえてくる、荒い獣の息づかい……こいつらは気づいていないのだろうか。 「あぐッ」  後ろから抱えあげられて床に足がつかなくなる。  この状況――痛みで目がかすんでいく中、オレの脳裏に忌まわしい数年前の記憶が蘇り始めていた。

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