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第7話

 細かいこと……特に物事の顛末は当人だったオレすらもよく覚えていない。ただ分かっているのは血迷った連中が多分気に食わなかったオレを使って血の召喚を行おうとしたこと。  その結果、何かが現れたこと――そして、その現れた『何か』によってオレ以外その儀式に立ち会った人間は消えたこと、その三点だった。 「じっとしてろよ、召喚師サマ」  どこに忍ばせていたのか、学院内では持ち歩くのを禁止されているはずの刃物が眩しい照明にきらめいて、それからあまり味わいたくないあの身体が引き裂かれる鋭い痛みが、熱が左腕に襲いかかった。 「もっと悲鳴上げると思ったのになー。でも、耐える顔がなんかイイな……コイツ、思ったより顔キレイだし」  傷つけられた左腕も、全身も押さえられたままの状態で、長くのばしていた前髪を引っ張り上げられる。 「やべ、ちょっとモヨオシてきちまった」 「おいおい、オトコ相手だぜ? あー、なんかやばそうな顔になってんなぁ。とっとと終わらせて楽しもうぜ」  さすがにもう限界が来ている。引きずるようにメリルのそばに連れていかれると、メリルの流した血で男たちが魔法陣を描いていた。本当は召喚術にそんなものは必要ない。召喚士の『声』が召喚される魔物たちに届くかどうか、それだけなのだから。 「……おい、あの隅っこになんかいないか? あんな竜みたいなオブジェ、あったけ」 「ああ? そんなもんあるわけ――」  竜、と男たちが言っているのが聞こえてくる。竜だったらこんな部屋の中に収まるわけがないのに。何よりも大きな翼がはばたくだけで人間なんか簡単に吹き飛ばされてしまうんだから。 「まだ詠唱してないのに何でいるんだッ」 「竜なのか、あれ……? とりあえず逃げ……扉のところに移動しやがった!」  少し意識が遠のいた間に事態が動いていたようだ。突き飛ばされてメリルの背中に倒れ込む格好になる。いくらみんなに貧弱と言われていてもオレも成人が近いんだ、気にならないくらい軽いわけじゃない。案の定小さく呻いたメリルに申し訳ない気持ちになりながらも、今自分にできることを必死に考える。 (あいつは多分、竜じゃない……そんな知的な魔物じゃない)  どうやって出現したのかよく分からない魔物は竜に似た、しかし竜というには醜悪な姿をしていた。前足は見あたらずそのかわり大きな翼を持つが大きさは成人男性――メリルより一回りか二回り大きいくらいだろう。  召喚師よりも兵士になった方が余程いいのにと教官たちが嘆くメリルの剣の腕があれば征することができたかもしれないが、もうこれ以上はオレも回復術を行うほどの力は残っていなさそうだった。 (なんか、下級でもいいから人を連れて逃げ出せるようなヤツ……!)  そっと小声で詠唱を始める――が、血を流しているオレたちにようやく気づいたとでもいうようにそいつは爬虫類のように瞳孔が割れた目で一気に翼を使い近寄ってきた。逃げろ、と遠くから聞こえてくる声すらもすでにどうでもよくなっている。 「あーもう、ディズみたいにすごいのじゃなくていいから早くなんか出てこいってばッ!」  目の前で小型の、けれど醜悪な竜がぱくりと顎を開き鮫のように何列にも生え揃っているのが視界に映り、オレの視界に赤い光が幾重にも広がっていった……その時。 「私に助けて欲しいと素直に言えないのか、ユーグ」  轟音と共に東の塔の最上階に穴が開いた。容赦なく降り注ぐ、今の状況にそぐわない陽光、それによって闇の生き物であるあの小型の竜は目をやられたのかオレに大きく歯を見せたまま床へと縫い止められる。目の前はこんなにも光満ちているのにオレの真下は何かに覆われて影が延びていた。 「も、もしかして……ディズ?」  さすがに一度呼び出した召喚獣が、血を使ったとはいえ魔法陣の中から現れるとは思わなかった。 「私の使い魔に頼むことが、フェイアの犬を連れてこいだとは」  痛みも一瞬忘れるほどの驚愕も束の間、逃げだそうとしてか翼をばたつかせる小型の竜もどきに気づくと、ディズもそれに気づいたらしい。 「ふん、下級の下級――竜とは名ばかりのワイバーンだ。召喚士ならあれくらい魔界に追い返してみろ」 「お、追い返すってそんなの聞いたことないけど」 「……私を魔界に追い返そうとしたのはどこの誰だ。相手に名をつけて服従させろ。そして魔物たちを陥落させるその声で歌えばいい……後は自分で考えろ」  そうなるといったいなんでディズが出ばってきたのか分からない。そう口にしたらあっさりとオレたちを見捨てて飛んでいきそうだったので無言のまま、光の中でもがくそいつへとようやくまともに目を向けた。  フェアリーにも言葉が何となく通じるくらいなんだからもしかしてこのワイバーンにも通じたりするのだろうか。ディズが手を出す気配がない以上、生意気な黒竜の言うとおりにするしかなさそうだ。こんなのを野放しになんかできないし。 「名前……名前なんてもうグリフィスとディズでネタ切れなんだけどな。あ、じゃあホーマ!」  もう適当でいいだろ、と適当にこの場で決めた名前で呼ぶと、ワイバーンは眩しい陽光の中でうっすら目を開き、すごく嫌そうな顔をした。後ろで、しかも高いところでディズが笑っている気配に歯ぎしりしたい思いだが早々にお帰り願わないと混乱は激しくなるばかりのはずだ。 「ホーマ、家に帰りな! 人間の都合で勝手に呼び出してごめん、でもオレ、お前のエサになるの嫌だから!」  呼び出す詠唱の呪言は知っていてもその逆の呪言なんて聞いたこともない。だから心に浮かぶ通りの言葉を発していると、ホーマが小首を傾げた。 ……あ、意外と可愛いかも、と思ったオレは重症かもしれない。 「貴様に名をつけた"ユーグ"が帰還を促している。疾く帰還せよ」  一頻りオレの背後で笑った性悪竜が首を伸ばして、ワイバーンの真上からぼそっと呟くと、オレが言ったことって効果あったのかと思うような速さでワイバーン――ホーマの姿はディズが現れた血の魔法陣の中へと吸い込まれていったのだった。 「わぷッ」  オレの髪を大きな手のひらがかき回していく。乱された髪を押さえようとしたオレの隣には人の姿に戻ったディズがいた。出会ってまだほんの少ししか経っていないはずなのに、その姿を見て安堵してしまうくらいにはオレは危機的状況だったのだ。 「ディズ。ありがとう……」  髪がぐしゃぐしゃなままだ。けれどそんなことを構っていられないくらいに身体がふらつく。力を使いきった限界の訪れは突如として訪れた。 「……ユーグ?」  いつの間にか仮でもマスターなはずのオレを呼び捨てにしてるし。でも、これでメリルを助けられたんだと思えば安いものなのかもしれない。どんどんと意識が遠のく中で、そっとした手つきで前髪をかき上げられる感触だけは覚えていた。

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