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第8話

 人の生死など魔物である彼にとってはどうでも良いことの一つだ。どれだけの人間が争いを起こしその命を散らしたとしても魔界とは何の関係もない。 「ユーグ」  血はすでに止まっている。彼の障害も取り除いた。それなのにどうして目がさめないのか。 「我が主は力を使いすぎるとそうなる。人はわたし達と違い、力が無尽蔵にあるわけではない」  グリフィス、とユーグが名付けたフェイア家の血統が近づいてくる。 「力を流し込めばいいのか?」  小さな、しかし形よく整った唇は苦しげに僅かに開いていた。そこに己の唇を重ねて僅かに力を流し込むように意識すると、ビクリと人の子の身体が震える。一瞬。まるで、彼の力を拒むような力が動き、触れ合ったディズの唇を僅かに裂いていった。 「……面白いと思わないか、フェイアの。私の力に抗おうとしたぞ」 「次期王と目されている貴方らしくもない。玉座以外に興味がなかったのでは」  元々己のそれと決めた主以外には尾を振らない一族である。自分より位が上である彼にも冷静に、言葉を選んで返してくる。 「歌が、聞こえたんだ。伝説にしかいないような"暁の鳥"を思わせる、強烈な声が。貴様にも聞こえたんだろう?」 「歌? この度のフェアリーを召喚しようとあの森に行った際はユーグはほとんど詠唱していないはずだ」  いぶかしむフェイア族の言葉にはもう返すことなく、まだ気を失ったままの少年の身体をあまり力を入れたようでもなく抱え上げた。 「……あなたは……あの事件の時、ユーグを連れてきてくれた……」  グリフィスの意識の外から聞こえてきた人の声にオオカミそのものの尖った大きな耳が向けられる。彼もようやく気づいたとでもいうように視線を向けると、腹部を押さえながら立ち上がろうとする人間がいた。 「また助けて下さったのか……感謝申し上げる。後は俺が連れていきます」 「不要だ」  メリル、とユーグが呼んでいたのはこの青年なのだろう。そしてこの青年の顔に見覚えはなかったが、確かにあの時まだ名前も知らなかったユーグを近くにいた少年に預けた記憶はある。  少しだけ昔、興味本位で覗いた異界にいたのは傷つけられて血を流して倒れる人の子供だった。まさか、力強い『歌』を聞きつけ再び扉を超えた先にいたのがあの時の子どもだったとは。 「フェイアの。余計な口を塞ぐのは任せたぞ」 「……仕方あるまい」  あの時は面倒で少年以外を一掃してしまったが、この青年が残っていれば十分だろう。人々を騒がすことになる事件の当事者には。 *** 「目が覚めたか?」  長い夢を見ていたような気もするが今こうして起きてしまえばもう何も記憶に残っているものはない。枕元にいたのは人の姿をした竜でオレはすぐに声がでなかった。節ばった長いディズの指がオレの前髪に伸びてくる。竜のクセに人に触れてくるのが好きだなんて、本当に変なヤツだ。 「メリルは……」 「知らん。元はといえばあの人間が事の発端のようなものだろうが」  あれ、なんか不機嫌なのだろうか。刺々しい返しに目を丸くしていると、ふっとヤツの顔が近づいた。 「忠実に働いた下僕に褒美を」 「しもべぇ……? そんなエラッソーな下僕サマがどこにいるんだよ」  どう頑張ったってオレがご主人様には見えない。茶化したつもりだったのにディズはニヤリとも笑わずにあの琥珀色の瞳を細める。その無言の圧力に、彼の言うご主人様たるオレは根負けした。 「……なんだよッ、ちきしょう!! 目瞑りやがれッ」  顔をのぞき込まれているような状態で苦しい体勢。何とか枕に背を乗せるように上体をずり起こしてから両手でディズの嫌みったらしいほどに整いすぎた顔を、意外と硬質な黒髪を挟み込んだ――。 「ユーグ! 今日から隣に引っ越してきたからな!」  バターン、と飛び上がってしまうような大きな音を立てて開いた扉から飛び込んできたのは、怪我していたのにオレが意識を飛ばしてしまったせいで学院の東塔に置き去りにしてしまったメリルだ。気のせいかディズのような、それよりももっと兵士みたいないかつい格好をしている。そして彼と共に飛び込んできたのはグリフィスだった。 「メリル、学校はどうしたんだ……?」 「あー、辞めてきたんだ。前から分かっていたことだが俺には召喚術は向いてなかったんだよな。やっと諦めたられたよ。今日から晴れて傭兵ギルドの仲間入りだ!」  グリフィスが合いの手を入れるようにワン、とらしくもなく吠える。手を取って踊り出しそうな勢いで息がぴったりな一人と一頭はオレに報告してくれる。メリルが召喚士を諦めたのは残念だったが彼が言うように傭兵の方がメリルには合っているのかもしれなかった。 「それに相手を知るにはやはり傍にいなければ分からないしな。これから世話になるぞ」 「……? ん、よろしくな」  いまいちメリルの言っていることが分からなかったが取りあえず頷く。それにしても、オレは一体いつになったらディズの腕から解放してもらえるんだ。さっきよりも心なしか拘束する力が強くなっているような――。 「そういえばさ、あの連中ってどうなったんだ?」 「ユーグ、それは……」  何とかディズの腕から逃げ出そうともがきながらオレはふと思い出したことを口にした。すっかりと忘れていたが、オレをあんな目に遭わせた張本人たちがどうなったかを知らないのだ。ワイバーンの攻撃を受けていたようには思えなかったが、どちらにしろ学院にはいられないかもしれない。メリルは何かを言いかけたがちらりとディズを見やった。 「さあ、逃げ出してそこらの犬にでも尻を噛まれたんじゃないのか」 「ふーん……それで少しは改心できるといいけど」  ディズの適当な答えを聞いて、一体どうなってるのか想像するのも馬鹿らしい気がして、考えるのを止める。オレに応えるようにグリフィスが一つ吠えた。

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