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覚醒
「どこだ、ここは。我は一体……」
ぼんやりと見回すと、白塗りの天井にクリーム色のカーテンが目に入る。腕に異物感を覚えて触れると、腕に刺さった針から管が伸びていた。
「気がついたようだね。ここは病院だよ」
いつからそこにいたのか、ベッドの隣の椅子に腰掛けた白衣の男が、いかにも作り笑いといった感じの顔で話しかけてくる。
「そなたは……」
「私は君の担当医の香椎。君は雪山で遭難しているところを発見されたんだ。生死の瀬戸際だったはずなんだが、外傷はどこにもなくて、驚くほど早く回復したよ」
説明を受けながらも、自分の体を見下ろす。まだ年齢を思わせる皺が一つもなく、若者特有の滑らかな肌をしていた。その肌に自分で感嘆していると、医師の香椎は一つ溜め息をつく。
「何か覚えていることはないかね。名前とか、あの山で何をしていたかとか」
尋ねられても、雪山で何故遭難していたのか、親の名前や友人、知人の顔は一人も思い出せない。唯一思い浮かんだのは、自分の名前だけだった。
「我が名は朝霧宵娯(しょうご)。残念だが、それ以外は覚えていないようだ」
「そうか……自分の顔を見ても、何も思い出せないかな?」
香椎は不意に手鏡を取り出すと、半ば強引に宵娯の手に持たせた。宵娯はほんの少し首を傾げると、鏡を覗き込んだ。
「……」
そこにある自分の顔を見る。それは自分であって、自分ではないように感じた。どこかで見たことある気がするが、知らない者の顔だ。そう考えて、宵娯は自分が記憶喪失だと実感した。
大抵の者なら、こんな時に不安に思ったりするのだろうが、宵娯は違った。
「……ふっ」
唇の端を持ち上げ、不敵に笑う。何も思い出せないが、不安な気持ちなど少しもなかった。それどころか、新しい世界をこれから知ることができるのだと思えば、快感に胸が踊り、込み上げてくる笑いを抑えることができない。
突然笑い出した宵娯を見て、香椎が驚いているのが横目に見えたが、全く気に止めなかった。
周りがどう思おうと、関係ない。昔の記憶も、昔の自分も、忘れてしまった今は意味のないものに思える。今の自分があればそれでよかった。
「我は今産まれたも同然。これからの人生、存分に楽しもう」
その台詞を自分に言い聞かせるように呟いてみせた後、宵娯は高笑いを響かせる。香椎は宵娯が混乱で気が狂ったと思ったのか、慌てた様子で看護師を呼びつける声がした。
駆けつけてきた何人かの看護師に押さえつけられ、薬を飲まされて眠りにつくまで、何もかもが可笑しくなって宵娯は笑い続けた。
205号室に美少年が入院している、という噂は瞬く間に広まった。彼の名は朝霧宵娯。宵娯は容姿が人並み外れて美しく、その笑みは艶やかで魅力的だ。顔立ちや仕草が中性的な印象を与えるせいか、女に限らず男の心を捉えた。
宵娯は相手に特にこだわりがなく、どちらの性別であろうと構わなかったので、あらゆる看護師、医師、患者たちを、老若男女問わずあっという間に虜にした。
「宵娯君、なにすっ……ん……」
個室とは言え、堂々と若い看護師と口付けを交わす宵娯。
「……っは……」
唇を僅かに離し、その隙間から吐息が漏れる。
「そなたは何故、そう顔を赤らめる」
「それはあなたのーーっ」
終いまで言葉を紡がせる前に、宵娯は再び素早く口紅で彩られた唇を塞いだ。
「……!?」
相手に抵抗する隙を与えず、手慣れた動作で看護師の腕を掴むと軽々とベッドに引き込んだ。ベッドが軋む音を聞きながら看護師の上に跨がる。
「しょ……う……」
看護師の声は既に途切れがちとなっており、やがては喘ぎ声へと変化していく。
「何故お前の身体は我と違うのだ」
看護師の胸の突起を指で転がしながら、とうに応えられない状態へと変貌した相手へ問う。
「……っあ……」
「何故こんなに柔らかく」
乳房を両の手のひらに包み込み、弄びながら、
「こんなに丸く」
ゆっくりと這うように指を動かし、最も敏感な部分に触れる。
「こんなに濡れるのだ?」
次の瞬間、病室に女の歓喜とも取れる声が響き渡った。
宵娯が目覚めてから、しばらくはそういう生活が続いた。しかし、すっかり回復する頃になっても身元が判明しなかったために、ある中年夫婦の養子となる。
そして、朝霧宵娯改め桜庭宵娯となり、その春に私立の高校に通い始め、普通の同年代の少年少女に紛れて過ごした。やはり、そこでも彼は「普通」になどなれず、入学してまもなく学校中に知れ渡る存在となったのだが。
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