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興味
宵娯に魅了される者が続出する一方で、たった一人その効き目がない者がいた。ある時、宵娯が廊下で女子生徒と戯れていると、向こうから歩いてきた男子生徒と一瞬目が合い、あからさまに逸らされた。初めて向けられた冷淡な態度に、戸惑いや驚きが生まれたが、同時に強い好奇心に突き動かされる。
「あの男の名は何と言う」
一緒にいた女子生徒に問いかけると、彼女はほんの少し考える素振りをした後、明るく応えた。
「清水侑(ゆう)惺(せい)君。見た目は悪くないけど、地味なんだよね」
言葉通り、彼の見た目はもう少し垢抜けた方が見映えが良さそうだったが、そこは大した問題ではない。清水侑惺という名前を舌先で転がしながら、面白いことが起こりそうな予感に笑みがこぼれた。
その翌日、宵娯は早速侑惺の情報を手に入れようと、周囲に尋ねて回った。情事の最中にまで問いかけることもあったぐらいだが、誰も宵娯を責めることもなく、疑問を挟む者もなく、素直に応えた。
「し……みず?」
「ああ、そなたは何か知らないか」
保健室のベッドを拝借し、汗で濡れた体を抱きながら問うと、恍惚とした表情で声を震わせながら応えてくれる。
「あいつは確か、有沢音(おと)成(なり)と親しかった」
「何組か分かるか」
「六組だったと思う」
「恩に着る」
礼の印に深い口づけをくれてやると、満足げに喉の奥で笑っていた。
その他、ほとんどが一度は体の関係を持った相手ばかりだったが、人脈を駆使して知り得た情報によると、清水侑惺は真面目で品行方正とも言える生徒で、恋愛事で何か良からぬ噂が立ったこともない。唯一、中学時代に一度だけ付き合った相手がいるらしいのだが、とっくに破局を迎え、以来誰とも関係を持っていないという。
宵娯とは正反対とも言えるため、そのせいで嫌われているのかもしれない。宵娯としては、返ってその方が俄然興味が沸いた。何しろ、病院で目覚めて以来、好意は持たれても反対の感情を向けられたことはない。
それから、よく図書室に出没するらしいとの情報も得た。まずは友人の有沢という生徒に接触してみようと考える。
その矢先のこと、ちょうど目的の人物が侑惺と一緒にいるのを見かけた。これは好機だと、迷いなく近付いていったところ、先に有沢がこちらに気が付いて顔を上げた。
男だと思えないほど、小柄で愛嬌のある顔立ちをしている。宵娯も中性的な雰囲気だと言われることはあるが、何分背丈があるので女に間違われることはない。しかし、有沢は男だと言われなければ確実に女だと間違われるだろう。
その大きな瞳が、驚きで見開かれるのを目にして、微笑みかけてみると、瞬時に顔中が真っ赤に染まった。そして、隣にいる侑惺に慌てて声をかけると、こちらを振り向かせる。
侑惺は宵娯の姿を確認すると、一秒と待たずに顔を背けた。まるで、目にしただけで毒にやられると言うように、それからは一切顔を向けない。
それでも構わずに近付くと、愛想よく声をかけた。
「こんにちは」
当然ながら、侑惺からは返事はない。その反面、有沢はすぐさま挨拶を返してくれる。
「こ、こんにちは。あの、もしかして侑惺に何か用が?」
「そうだ。だが、我は随分と嫌われているみたいでな。何か理由を知りたいのだが」
有沢に話しかけているようで、その実、侑惺に向けて尋ねた。侑惺の態度に戸惑いながら、有沢は彼の肘をつついたり、肩を叩いたり、いろいろと試みてくれるのだが、ようやく返ってきた反応はこうだ。
「有沢、次は移動教室だったな。もう時間がないから行くか」
「え、いや、ちょっと侑惺、それはないよ。感じ悪いって。返事をする時間ぐらいあるでしょ」
「行くぞ」
そして、有沢の腕を引っ張りながら、足早にその場を後にしようとする。有沢が申し訳なさそうに頭を下げてきて、それに下げ返すと、二人の姿は見えなくなった。
これは予想以上に手強そうだと、妙なおかしみが込み上げてきて、一人吹き出す。相手にされるまでにも時間がかかりそうだが、全く心が折れることはなかった。
その日以来、宵娯は侑惺の姿を見かけると声をかけようと試みるようになったが、当の本人は案の定宵娯を避けているようで、無視されてばかりだった。
それはそれで新鮮だったが、あからさまな侮蔑の色を浮かべて見られた時は、疑問を抱くより先にその顔が羞恥で染まる様を見てみたいと思った。
もっと宵娯自身を嫌悪し、嫌悪しながら欲してほしいなどと、奇妙な加虐心と被虐心のようなものをくすぐられ、訳が分からないままに、いつの間にやら侑惺のことで頭の中をいっぱいにしている。
誰か一人のことがこんなに心に占めたことはない。新しい感情を楽しく思いながら、どこか上の空でクラスメイトのお誘いを受けていた時だった。
「じゃあ、放課後にいつもの場所で」
「ああ」
挨拶代わりの口付けを交わす瞬間、偶然通りかかったその人と視線が絡む。わざと見せつけるように、情熱的なキスをした後顔を上げると、意外にも侑惺はまだそこにいた。
何かを言いたげにわなわなと唇を震わせたかと思うと、みるみるうちに顔を青くしていく。そして口元を押さえながら、嘔吐(えづ)きそうな気配を漂わせたので、咄嗟に駆け寄ってその背中を摩った。
余程気持ちが悪いのか、抵抗されることはない。それに寧ろ不安を覚え、そっと背中を支えると、成り行きを見守っていた水無月という男子生徒に声をかける。
「すまないが、約束は次の機会で構わないか」
文句の一つでも言われるかと思ったが、水無月は小さく頷いて言ってくれた。
「それよりも早く連れて行ってあげなよ。一回吐いたら楽になるだろうけど」
軽く手を振り、ひとまず水道がある所へ連れて行くと、侑惺は口から手を離し、思い切り吐き出した。きつい異臭が鼻についたが、宵娯は全く気に止めずにそれらを流してしまうと、何も考えずに水を手で汲んで差し出す。
戸惑うような眼差しを受け、無意識だったとは言え流石に他人の、それも宵娯が汲んだ水など飲みたくないだろうことに気が付いた。慌てて水をこぼし、蛇口を捻って上向けると、口をすすぐように促すつもりが、勢いよく吹き出してきた水が侑惺にかかる。
いつにない失態に、流石にしまったと焦りを覚えると、呆然とした侑惺と目が合う。謝ろうと口を開きかけ、侑惺が噴き出すのを目にし、今度は宵娯が呆然となった。そして、弾けるような笑顔と、滴る雫に透けた体の線に、陶然となる。
すると視線に気が付いたのか、侑惺は笑うのを止めて咳払いをした。
「ごめん、あんたのイメージに合わなくて、つい」
照れたように顔を背けて謝ると、黙り込んだ宵娯に気が付いて不安そうに見上げてくる。
「怒った?」
捨て犬のような瞳を見返して、一気に脈拍が早まった。地味なんだよねと言っていた女子生徒に言い返してやりたくなる。彼のどこが地味なんだと。
獰猛(どうもう)な欲望を抑えきれずに、侑惺の顔にぐっと近付くと、その唇に噛り付いていた。
「……!」
息を呑む気配を感じ、叩かれるか押し退けるかされるかと思って目を閉じたが、予想したような衝撃が来ることはなかった。恐る恐る目を開けると、間近で侑惺は目を見開いて静止している。それをいいことに、宵娯は侑惺の柔らかい唇をつついて、とびきり甘い顔つきと声で囁いた。
「もう気分は大丈夫か?」
条件反射なのかもしれないが、侑惺が頷いたのを見て、顔色を確かめた後、安堵しながら笑いかけた。
「この上なく美味だった。ありがとう。体を濡らしてすまなかったな。タオルでも持ってきてやりたいが、これ以上傍にいたら何をしでかすか分からないから、我は去ろう」
本来なら、ここで相手をものにしてしまうのだが、侑惺相手だと無理強いはしたくなかった。ゆっくりじわじわと堕ちるところまで落として手に入れたい。その時のことに想像を膨らませながら、侑惺が我に返る前に立ち去った。
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