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櫻人3

 宵娯の父と名乗る男から移動中に昔語りを聞く頃、時を同じくして捕らえられた宵娯も、侑惺に似た男からその話を聞いていた。  それは太古の昔、神が地上に御座す頃のこと。  神は人を生み出す前に、自らの生命の源を切り離し、大地を作り出した。大地は神に見守られながら育ち、やがて森となり山となった。それらを健やかに育てるために、太陽と水も生み出すと、たちまち美しい楽園が出来上がる。  神は自分が直接手を加えなくとも自力で育つよう、それぞれの神の子たちに命じて、木には木の、水には水の、太陽には太陽の守り神とさせた。  その中でも神が最も愛した子は、桜の精とならせたものだった。神には性別という概念はないのだが、もし実体があれば、あるいはと思わずにいられず、桜の精にだけ特別に、何でも願いを一つ叶えてやろうと持ちかけた。  すると桜の精は、もしも叶うならば、私は実体を持ってあなたの傍にいたいと告げる。神は願ってもないことだったので、すぐに叶えてやることにした。互いに人の姿となった二人だったが、親子の情を超えて愛し合ってしまうようになる。  無限の時を幸せに過ごした二人だったが、桜の精はそのあまりの美しさゆえにあらゆる神々関心を引いた。次第に神々が人の姿となりゆく中で、ある時、桜の精に言い寄る相手の存在に気が付いた神は、激しい悋気を起こし、弁解も聞き入れないまま罰を与える。  それは、桜の精の生命力を奪い、短い一生とすることだった。また、その身に宿る神の力と美しさが後の世に争いを生むことを見越しながらも、冷静さを欠いた神はそれを放置し、その子孫も代々短命となるようにした。  一種の呪いとも言える罰は、現在も引き継がれ、それを解く方法は見つかっていない。桜の精は後の世で櫻人と呼ばれるようになり、その常ならぬ美しさはもとより、彼等の中にある神の力を得られると、人はあらゆる病もたちどころに治り、長生きできると言われている。  実際に、過去に櫻人から何らかの形で力を得た人がいたらしく、そのために研究員たちは血眼になって櫻人を見つけ出しては、人体実験を繰り返してきたという。  そして宵娯の母であるさくらもその身を追われ、命を落とす間際まで逃亡生活を送り、宵娯がまだ幼い時にこの世を去った。  さくらを弔っている間に居所を嗅ぎ付けた研究員が現れ、二人揃って囚われると、宵娯の父、影綱は研究の協力すれば宵娯の命を保証すると半ば脅され、研究が成功すればさくらを生き返らせることもできるかもしれないぞと言われ続けるうちに、そのまま自ら研究に手を染めるようになった。  しかし、自分の息子があらゆる実験で傷付き、正気を失いかけているのを見かねた影綱は、こっそり開発していた麻酔薬を他の研究員に吸わせて眠らせている間に、宵娯にここでの記憶を全て忘れさせる薬を渡して逃がした。  無事に彼を逃がした後、目覚めた研究員たちからどんなに責め立てられようと素知らぬふりで通し、自分はそのまま宵娯の身を案じながらも研究員たちが彼を見つけ出さないように監視し、研究を続けた。  宵娯が無事に入院したと知った後は、友人の桜庭夫婦に頼み込んで引き取ってもらう手続きを済ませた。  やむを得なかったとはいえ、犯罪に手を染めた自分の息子とするのは気が引けたからだという。  その一方で、研究の過程で新たな事実を発見した。  それは唯一櫻人の魔力に引き込まれず、櫻人に対して普通の人間と同じように嫌悪感を抱いたり、無条件に引き寄せられることのない人々の存在だ。  彼等の存在が櫻人に与える影響は明らかではないが、ただ人と同じように普通の恋を望む櫻人も少なくなく、呪いうんぬんを抜きにしても特別な存在に違いない。 「その人間というのが、君さ」 「俺が……」 「さあ、着いたよ。くれぐれも、君がその特別な人間だと気付かれないように。万が一でも悟られれば、君まで実験の対象になってしまうだろうからね」 「はい」  気を引き締めて顔を上げると、車窓越しに山中の木々に覆い隠されながら佇む研究所が白く浮かび上がっていた。    一方その研究所で話を聞かされていた宵娯は、男にこう尋ねた。 「お前の名は何と言う」  一つの確信めいた悪い予感を抱きながら、男の顔を見つめる。男はかつて想いを寄せた女の面影でも見つけたのか、一瞬ぼうっと気の抜けたように見返してきて、答えた。 「清水だ。清水時真」  思わず呻き声を上げそうになった。これで侑惺の父親だということはほとんど間違いなく、もっと悪いことに彼の家庭をめちゃくちゃにした原因が自分の母親にあることが判明した。侑惺に合わせる顔がない。  どうせ短い命ならば、ここで果ててしまった方がいいのかもしれない。逃げ延びたところで、侑惺は自分のものになるどころか一生恨んでくるだろう。  どろりと絶望が兆し、舌を噛み切ろうとした時だった。 ――宵娯、だめよ。諦めないで。  とてつもない色香を含んだ女の声が、囁かれるように身の内で響いた。それは酷く懐かしく、慈愛に満ちたものだ。  母さん、と胸の内で呼びかけると、彼女が儚く美しく笑う光景が浮かんだ。 ――私が逃げる手助けをしてあげる。だから、あなたは二人と一緒に。  二人とは誰のことだ、と問いかけようとした時、照明が突然落ちた。そして、警報器が作動し、人が駆けつけてくる音がする。  また新手の研究員か、と身構えた時、両手両足の戒めがふっと解けた。暗闇に目が慣れると、侑惺の父、時真の脇をすり抜け、手探りで出入り口を探し出し、機能していない自動ドアとは別の非常口から外に出た。  音を立てないように出たつもりだが、時真も気が付いたらしく、後を追ってくる。 「待て。君のお母さんに会いたくないのか」  心が揺らぎかけて、母はすでにこの世にいないことを思い出して踏み止まる。 「母はもう死んだんだ」  階段を駆け降りながら、振り返りもせずに言うと、母が身の内で悲しむ気配がした。 「彼女の身体は、未だ生前のままで保管してある。君が協力すれば、彼女は生き返ることができるかもしれない」  ――耳を貸しては駄目よ。死者を蘇らせるなんて、神も絶対に許さない禁忌。あなたの命を無駄にしないで。  母の訴えを受け入れ、時真の声を振り切って階段を降りてしまうと、反対側から駆けて来た人物と正面衝突しかけた。 「侑惺」 「宵娯、よかった。無事だったんだ」  再会の喜びか、侑惺は迷うことなく宵娯の胸に飛び込んだ。驚き、戸惑いながら抱擁を受けていると、侑惺の身体越しに長身の男と目が合った。 「宵娯……」 「父さん」  記憶が戻った今となっては、男をそう呼ぶことに躊躇いはない。互いにぎこちなく笑っていたが、父は不意に表情を引き締めた。 「時真」  その名前を耳にした侑惺が、宵娯から身を離し、目を見開いてその男を見る。 「お父さん、なんで……」  その反応を見ると、侑惺は何も知らなかったようだ。しかし時真の身なりを見てそれと悟ったのか、父にそれ以上の問いはしなかった。そんな親子の様子を横目に見ながら、影綱は時真に言い放った。 「私はこれから警察に行こうと思う。研究のことを公にし、これまでこの手で失った彼等の命に対する償いのためにな。他の奴らは全員眠らせて拘束して拘束してある。お前はどうする。一生逃げ続けるのか。それともその拳銃で私を殺すのか」  ぎょっとして時真に目を向けると、確かにその手に黒光りする物騒なものがあった。しかし時真は影綱に言い当てられて興が削がれたのか、それを胸元に仕舞い、乾いた笑い声を立てる。 「お前のことだ。警察はすでに呼んであるんだれう。どうせ地獄に落ちるなら、さくらと共に逝きたかった」  そうして力なく頽れると、それを待っていたようにパトカーのサイレンが近付いて来た。宵娯と侑惺も事情聴取のために呼ばれることを予期しながら、その場に立ち尽くす。 「侑惺、ごめんな」  サイレンに紛れて掻き消されてしまいそうになりながら謝るが、侑惺には届かなかったようだ。

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