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突き刺さるような愛情2

 それから数時間後、眩いほどの夕陽が部屋の中に差し込んできた頃、カーライルがルエルの部屋へ訪れた。話があるというので招き入れたところ、カーライルは険しい表情で切り出した。 「今、一応エドウィン様は落ち着いて眠っているように見えますが、それ表面だけに過ぎません。もうご存知かと思いますが、エドウィン様にはもう一つの人格があり、今までは到底信じられないことですが、ご自身である程度コントロールできていました。ところが、先ほどまでずっと付き添っていたところ、非常に精神的に不安定になっておられるせいか、人格が目まぐるしく変わっておられるようでした」  次に告げられる言葉を、半ば予期して背筋を伸ばした。 「はっきり申し上げますと、あなたの存在はあの方にとって悪影響でしかありません。できれば、エドウィン様がお目覚めになる前に、この屋敷から出て行っていただきたい。後の身寄り先などは私が手配しますので、ご安心ください。滅多なことでは再逮捕されないように取り計らいましょう。何か反論など、言いたいことはありますか」 「反論はないが、最後に一つだけ聞いておきたい」 「何でしょう」 「エドウィンがああなった原因というのは」  その問いかけを口にすると、カーライルは少し躊躇う素振りをした後、 「本来ならばエドウィン様の口からお聞きになった方がいいことですが、最後ですからお話しておきましょう。ただし、私も当時のことは人づてに聞きかじったことですが。二十年ほど前、世間を騒がせた無差別殺人事件をご存知ですか?無論、あなたのことではありません」 「ぼんやりとしか覚えていないな。そんなこともあった気がするくらいで」 「当事者でないとそんなものかもしれないですね……」 「まさか」  嫌な予感が膨らみ、カーライルを見つめると、彼は重く溜息をついて頷いた。 「その最初の事件の被害者というのが、エドウィン様のご家族でした。まだ幼かったエドウィン様は、目の前でご家族が殺されていくところを目にしてしまったようです。しかし、当然ながらショックが大きすぎたのでしょう。もう一つの人格を生み出すことによって、ご自分を守り、当時の記憶は失くしてしまわれたようです。封印した、と言った方が正しいのかもしれませんが」  耳の奥で心音が大きく鳴っている。不整脈のように歪な音を刻む鼓動に重なるようにして、ふっと幼い少年の前で殺人鬼が暴れている光景が浮かび上がった。それは今現在、目の前で繰り広げられているようにリアルで、その光景そのものが本物である気がしてくる。  その中で、少年に襲い掛かろうとしている殺人鬼を止めようと手を伸ばすと、振り返った顔立ちはルエルそのものだった。  視界がぶれて、吐き気を堪えようと身を屈ませると、待ちわびていたように床の上に血だらけの天使の顔が転がってくる。それもすぐさまルエルの顔に変わる。  エドウィンの叫び声が耳鳴りのように、あるいは壊れた機械のように延々と大きくなり、小さくなりを繰り返す。それはルエルを責め立てていて、やめろと叫ぶこともできない。いや、やめさせる資格はない。  今まで感じたことのない、知りもしなかった感情が、恐怖に似た悪寒を伴って突き上げてくる。ぎりぎりと内臓を締め付けるようなその感覚を、何と呼べばいいのか。本当はもう分かっている。  これは罪悪感だ。  認めた途端に、逆さ釣りにされているように正誤が引っくり返った。気持ち悪さを堪えられないで蹲っていると、男の声が降ってくる。今度はちゃんと外界から届く声だった。 「ルエル様、顔色が悪いですね」  夢から覚めるように現実感が戻ってくる。今度こそ本物の現実であることを確認するために自分の汗ばんだ手を握りしめた。 「何でもない。気にするな」 「分かりました。もう質問はありませんか?」 「ああ」 「でしたら、住処と仕事について説明させていただきますが、その前にご紹介したい人がいます。トロント、ランパルト、入れ」  廊下で待機させていたのだろう。カーライルの声に合わせて、二人の対照的な男が部屋に入ってきた。 「紹介します。こちらの茶髪でいかにもお人よしそうなのがトロント」 「どうも、お初にお目にかかります」  にこやかに会釈したトロントという男は、紹介通り嘘もつけなそうないかにも善人面だ。 「そしてこっちのいかにも悪人面の男ですが、その実はお調子者なランパルト」 「えっ、なんすか。その説明。ひどっ」 「いいから、挨拶を」 「へいへい。ども。よろしく」  対するランパルトという男は、裏社会にいてもおかしくなさそうな強面だが、第一印象からイメージがことごとく壊された。 「この二人は、実はエドウィン様の下で働いている部下です。こう見えて口が堅く、エドウィン様の両方の顔を知っている唯一の者たちですので、今回あなたの仕事を紹介してくれるには適任かと考えて呼びました。見た目で分かるかと思いますが、トロントには表の仕事を、ランパルトには裏の仕事を紹介させるつもりです。いかがなさいますか?」  カーライルに訊かれて、考える間もなくルエルはそちらを選んで答えていた。それから、速やかに住居を移す運びとなり、ろくに荷物もなかったために、その数時間後には屋敷を後にしたのだった。

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