1 / 121

第1話

「詩織莉さん。いつもお綺麗ですね」  ここは歌舞伎町で一二を争うホストクラブだ。  そしてその中でも将来役職決定済みのノルマを果たしたナンバー1ホストの俺は、太客の一人が来店したことを知って、細客のテーブルから離れて足早に向かって、俺のヘルプについていたホストの前を通り過ぎて隣に座った。  一目でヴィトンの新作だと分かるドレスと、大振りのエルメスのバックや――余りの人気ぶりに店頭には並んでいるのを見たことがない――すらりとした素足にクリスチャンルブタンのピンヒールを履いている「人気女優」様だ。  と言っても、テレビにはほぼ露出せずに、主演映画を一年か二年に一本撮るだけという、ある意味羨ましい地位を築いている。  俺達は客の経済状況を常にチェックしなければこんな仕事なんてしていられない。  OLなどの細い客には長い間を掛けてお金を落として貰えば良いが、そんな彼女が正社員か派遣社員なのかもさり気なくしかも絶対に聞いておかなければならない。  詩織莉さんも人気女優ではあったが、芸能人は正直水物だし浮き沈みも激しい。  ただ、詩織莉さんの場合は――俺のまた別の太客の女流作家さまが辛辣に評したことがある――「あの人の仕事振りで、あんな高いドレスや靴をとっかえひっかえ出来るわけないでしょ?どうせパトロンが居るに決まっているわよ」とのことだったが、お金の出所などはどうでも良い。  俺の場合、売り掛けは作らない主義で、現金払いをしてくれる客しか指名を受けないことにしている。ま、そんなワガママが通るのもナンバー1の座が不動だからだったが。  そして枕営業も売れない頃は仕方なくお付き合いしたが、あれは思い出したくもない黒歴史だ。 「リョウこそ良い男ね、いつも通り。シャンパンタワーにしようかしら。  ああ、でもそんなのじゃつまらないわね。ドンペリも飲み飽きたもの……」  古風な芸名に相応しくない感じの退廃的な綺麗な顔が詰まらなそうな表情を作っていた。  ただ、彼女の場合はカメラの前で演技をしている時以外はこういう顔が普通なので、俺は特に動じなかったが。 「詩織莉さんの今日のネックレスと指輪に合わせてロマネコンティの滝を作りませんか?  シャンパンのように泡が出るわけではないですけれど、濃いルビーがタワーを滴り落ちて行くのも綺麗ですよ……」  彼女の首筋にはハリーウィストンと思しきダイアとルビーのネックレスが煌めいている。  しかも、ダイアよりもルビーの方が多いし、エルメスのバックも赤色だった。  詩織莉さんはその日のドレスと靴の色に合わせてバックの色も変えている。  多分、今日は赤の気分なのだろう。 「それは素敵ね。じゃ、それをお願い」  真っ赤なルージュの唇が事もなげにそう告げると、俺のヘルプが――メインのキャストには派閥が有って、当然俺の客の席に付いているのはまだパッとしない新人だが、それでもロマネコンティの値段くらいは知っているのだろう――唖然とした表情になった。  そういうところが指名が入らない理由かもしれないなと思いながら、控室で注意をしようと思った。 「詩織莉様からタワーが入りました!しかもシャンパンではなくてロマネですっ」  上擦った声でヘルプのソータが告げると店中が騒然となった。  一本入っても――ネット通販とかで売っている最安値すら300万円程度で、当然ホストクラブ価格はその10倍は取る――それだけで凄いのに、タワーとなると20本は必要なことくらいこの店に居る人間は知っているので当然の反応だったが。  詩織莉さんが付けているルビーの色と同じ液体が「詩織莉様・リョウさん!有難う!」コールと拍手の中で店の中を赤色に染めて行く。  ただ、詩織莉さんは――多分、赤いエルメスのバーキンの中には札束が山のように入っているハズだ――珍しいことに目をキラキラさせている。 「リョウが気に入りそうなショーが有るのよね。  二丁目のお店で。本番も、そして気に入ったらお持ち帰りも有るそうなのだけれど、行ってみないかしら?」  良く誤解されるが詩織莉さんと俺とは深い仲ではない。  というよりも、俺は女を金づるとしか見ていなかったし、詩織莉さんはどちらかというと、ショーを観る方が――しかも若い男性が同性にいたぶられるというドン引きする人の方が多い――好きだそうだ。  そして、俺も男の方が好きなのを詩織莉さんは知っている。  そういう意味では趣味が合うので、指名してくれるのだろう。 「本当ですか?いかにも的な、マッチョとかは嫌ですが……」  詩織莉さんは血の色に酔ったような表情を浮かべて妖艶に微笑んだ。  スクリーンの前に居る観客の股間まで直撃させたと評判の美貌だけに女には全く興味のない俺ですらドキリとした。 「リョウの好みは知っているわよ。綺麗な男の子だと聞いたわ。  どう、行ってみない?」  ピアジェの時計の赤い文字盤をしなやかな手首を蝶のように翻して見ていた。  今時の女性で、時計を手の裏側に付けるという人も珍しいが、彼女の「日本的な」美しさには良く似合った。 「何時からですか?」  紅い唇がふうわりとした笑みを浮かべている。ただ目の煌めきは明らかに肉食系の感じだったが。 「今頃は前座だわね。真打ち登場まであと30分かしら。リョウが気に入るようなタイプの子だと思うわ」  30分……。覗いてみたい気は有ったが、ロマネの滝はどうするのだろう?

ともだちにシェアしよう!