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第76話

「その点については、私の素人解説よりもプロに任せましょう」  詩織莉さんがスラリとした足を優雅に組んで、1990年物のロマネのグラスを傾けている。ちなみに90年は当たり年なのでその分値段も高い。  薔薇やカサブランカ(敢えてユリという名前を避けたのは、嫌な予感がする人物の固有名詞、まあ、源氏名だろうが)胡蝶蘭がぎっしりと飾られた――胡蝶蘭の花は昨夜以降特別な思い入れがある――店内に「ロマネ入りました!」と言う大きな声と拍手が起きる。  一般人というか庶民が一晩で出せる金額ではない。オレだって新人の頃は「ロマネを入れてくれるお客さんを持っているなんてマジすげー」と値段表の目が飛び出しそうな数字を見て心底から感心するとともに、オレもこうなってみせる!!と決意した日々を懐かしく思い出してしまった。  そしてカサブランカの香りとか薔薇の華やかな空間にシャンパンタワーの煌めきとか女性客が楽しそうに呑んでいる空間は本当に「女王だか王妃を冠した店の名前」とオレは行ったことはないがヴェルサイユ宮殿の鏡の間のような雰囲気だった。重厚だしシックなお店の内装は本当にどこかの宮殿の一室のようだった。  まあ、そういう高級店だからこそ詩織莉さんを始めとする芸能人も足繁く通って下さる。 「詩織莉さんのご指名を受けたので、僭越ながら解説を致します」  恭子さんもかなり呑んでいるハズだが、銀行に居た時と変わりのない明晰な口調だった。  取り敢えず笑顔と拍手をして傾聴の構えをした。  この店のご常連の人でオレのお客さんの中にもパーッと騒ぎたい時も有れば愚痴りにいらした場合も有るので、そういうのは臨機応変に対処している。  今夜の詩織莉さんと恭子さんはそのどちらでもないようだったが、お金の問題についてとか銀行の裏側とかを話したいし聞きたいと詩織莉さんやオレなどは思っている。  つまりはどんちゃん騒ぎでなくて、しんみりとした話しが目的なのだろう。  まあ、その後に恭子さんの手柄でもある2億円分の「口座開設おめでとう&有難う」の派手な酒盛りが始まるかも知れないが。 「まあ、ざっくり説明致しますと――他にも銀行が稼ぐ手段が有るのはこの際置いておくとして――二億円を含めたお金をどこかの企業に貸し付けてもっとたくさんの利息を付けて貸し出すの。  遥か昔ならそういう小さなお金を定期預金で集めて大口に貸し出して、それで皆様の定期預金に還元出来ていたそうなんだけれど、今はほら、金利ゼロパーセントの時代でしょ?だからそれほど定期預金に預けていてもそんなにお金が増えないのも現実なんですが、それでも銀行は貸し付けてその利息を貰うのもビジネスの内に入るので。  だから――与信、つまりその個人なり会社などが「信用に足りますよ」という保証みたいなモノなんですけどね――与信の有るところに大きな額を貸して、その利息を頂くっていうのが基本です。  まあ、銀行単位でも株式投資とかその他金融商品で儲けているっていう部門もあるのはあるんですけど、そういうのは支店の仕事ではなくて本店のそういう部門でしています。  だから、借りて下さるお客様は本当に貴重なんです。この説明で分かりますか?  やっぱり酔った頭ではこれくらいしか話せなくてごめんなさい」  恭子さんが肩を竦めて紅い舌をチロッと出したのは、酔っているという自覚があるのだろう。泥酔とかにはなっていないし口調も明晰だったが、酔いが回っているのかもしれない。  お二人とも顔が赤くなるとかの酔いの兆候が出ないお客様ではある。 「なるほどね……。じゃあ、小金井辺りに土地とか建物とかを買うお金を現金ではなくて、恭子さんの銀行から借りれば良いのかしら?」  詩織莉さんが冷静な感じで紅い唇を開いた。 「そうですね。現金で入金して頂くのも確かにとっても有り難いのですけど、出来ればローンを組んで借りて頂く方が正直銀行的には嬉しいです。ここだけの話しですが。  恭子さんはロマネのグラスを高く掲げて詩織莉さんに「頂きます」という感じで会釈した後にとても美味しそうな笑みを浮かべて味わっていた。 「与信って、不動産とかの担保がなきゃダメなのかしら?  それとも現金でこれくらい有るとかの証明書でも良いのかしら?」  多分詩織莉さんはユキの件でお世話になった恩返しがしたいのではないかと勘ぐってしまう。  それに昨夜聞いた話では、実家からの仕送りを――ああいう世界では庶民とは一桁も二桁も違うのだろう――全部預金で置いているらしい。  オレなんかの常識では、大学生の仕送りに親が出すという話はちょくちょく聞く。  実際に店のスタッフでも昼間は真面目に大学生をしていて「月に7万円の仕送りだけじゃ生活出来ない」とかでバイトとして入っているヤツも居る。  詩織莉さんは女優として充分な収入を貰っているのでこういうホストクラブ通いも出来るし、シャンパンタワーだってオーダーしてくれるだけの稼ぎはある。  だから実家の仕送り分については手つかずで残っていると言っていた。  そのお金をユキのために動かす気になっているのだろうな……と思ってしまう。  ユキに対する複雑な思いが払拭されたようで本当に喜ばしい。  その時ポケットに入れていたスマホが思いもしなかった振動をしているのを感じて嫌な予感がした。

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