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第116話

「シンがさ、恋人になってくれて日も浅いのに、こんな――こういう言い方が合っているのか分からないけど――下の世話までして貰えるってどれだけ幸せなことか分かるし申し訳ない気持ちでいっぱいだよ?  ううん、違うな……申し訳ないというよりも、シンの優しさも感じてとっても嬉しいんだけど……。  でもいつ薬の作用が出るか分からないでしょ?そん時には遠慮せずに警察にでも消防のでも通報してくれて構わないから……。  初めて出来た恋人がシンで良かったと思う。  一緒に笑い合って、そして時にはケンカして――っていっても僕が一方的に怒らせるような気がするけど、ね?――そういう風に過ごしていけるだけで良かったのに、こんなことになってしまって本当に申し訳ないって思ってる。だってシンは、僕の大切な恋人だけど、そこまで面倒を見てもらうのも何だか悪いって思ってしまう。  ウチのお祖母様が痴呆――昔は『恍惚の人』とか言ったらしいけど……。そうなった時には専門の人にお金を払って見て貰っていたよ?日に二万円払って。24時間付き切りだし、どこかにふらふらと出歩かないように見張ってないといけなかったし、オムツも替えてもらっていたしね  デートらしいデートをしないうちに一足飛びにこんなことになってしまってホントにごめんなさい」  薬で意識がぶっ飛んでいた方がユキにとっては幸せなことだったのかもしれない。  覚せい剤に似た成分だと新田先生から聞いていたし、てっきり薬が切れる48時間ずっと精神錯乱者のような――なんでもその時のことは覚えていないらしい――症状かと思っていたらどうやら違ったらしい。  なまじ正気でいる状態の方がユキ的にも辛いだろうなと身を切られるような気持ちになった。 「二人きりで出かけるデート……そういうことはこれからたくさん出来るだろう?  今は薬を抜くことが先決だ。  早く元のユキに戻って、これからいっぱい好きなことをして遊ぼう。行きたいトコとかは有るか?なんでもお医者さんが言うには48時間耐えきればもう大丈夫だろうって。  その後は何ともないらしいぞ?」  ユキがまだ正気を保っているうちにトイレを済ませた方が良いだろなと思って誘導することにした。 「本当だと良いね……」  ユキが暗い眼差しでオレを見ている。切れ長で澄んだ瞳が何だか物凄く悲しそうに見えてしまう。もしかして身体の中で何かが起こっているのを必死で堪えているのか、それとも新田先生が知らないことでもユキは「体験者の話」みたいな感じで聞いているのかもしれない。 「45時間ほど耐えきれば良いんだから、マンションの中で遭難ごっこでもしていると思えばいいだろう?それとも登山遊びとか……」  ポジティブに考えないとこちらまで参ってしまいそうだった。  ユキの暗い眼差しが気になってしまっていて。 「で、デートはどこが良い?東京ディズニーランドとか行ったこと、ないよな?」  正直、オレも行ったことがない。そして行きたいともそれほど思わなかったし。  お客さんだってディズニーやシーには行き慣れていて「店外デート」はもっとお洒落な場所とか詩織莉さんのように「普通ではないところ」にお呼びがかかるのが実情だった。 「ディズニーランドも興味が有るけれど、それよりもスカイツリーとか東京タワーが良いな?」  華奢な首を優雅に傾けたユキは何だか先ほどの暗い眼差しがウソのような雰囲気だった。 「東京タワーで良いのか?スカイツリーも景色が良く見えるそうだが。アトラクションとかパレードがないのでお祭り騒ぎにはなれないんだが?」  用を足して几帳面に手を洗い終えたユキは無邪気な笑みを浮かべている。  「まだ」大丈夫らしい。 「ウチの実家はね、純和式なんだ……。白亜の豪邸とかに住んでいる同業者も居るってお父様が言っていたけれど、ウチは昔ながらの建築様式なんだ。  だから、高いところに上ってみたいなってずっと思っていた。  シンと歩いた街もとても楽しかったけれど、これから行く東京タワーとかもとっても楽しみだよ?  晴れた日とかだと富士山が見えるってテレビでゆっていたけど本当?」  それは初耳だった。ただ、東京タワーを見ながらお酒を呑むとかいう店外デートは割とあったがオレだって東京に来た当時は文字通りお上りさんで、東京タワーに行った覚えがあった。ただ、何回も行きたいとも思えなかったのでずっと前の話だ。  そして、ユキの実家は昔ながらの「強きをくじき、弱きを助ける」というのがモットーらしい組なので当然純和風の家であることも容易に想像がつく。  そういう昔ながらの組は減っているとも聞いているし、今は顔を見たらフルボッコにして殴りたくなる諸悪の根源のユリが勤めている店に――まあ、詩織莉さんの怒りも尋常ではない感じなので、ユリが最も嫌いな罰を与えてくれるだろうとは何となく察しが付いたが――来ていた経済893とかカジノとかに手を染めていそうな「現代風」のソッチ系の人は白亜の宮殿みたいな家に住みたがりそうだが。 「それはオレも見たことないな……。じゃあ、約束しようか?指切りっ……」  小指を立ててユキに向けると、ユキの華奢な指が震えている。  しかも、もともと色白ではあるものの、血の気が引いて真っ青といった感じだったし。  (来たか……とうとう……)と内心で身構えつつ、無理やり小指を絡ませながら少しでも体温が与えられるようにして元の部屋に戻った。

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