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第115話
「こんな恥ずかしいコト……僕がしてたんだね?
シン……幻滅したでしょ?」
「こんな」と言いながら指から滴っている白い液を悲しげに見つめているユキが何を考えているのか分かってしまう。
オレの場合はそんな危なげなお客は居ないが、キャバ嬢とかそういう関係の金払いの良い客を狙っている同僚もいるのも事実だった。
シングルマザーでそういう職業に就いている人はかなりの確率でメンタルがおかしくなっている。実際に心療内科とか精神科に通っていて向精神薬を服用しながら――なんでもアルコールとその薬を同時に飲むのはヤバいらしいが、ウチだって商売なのでオーダーが入ればどんどん出す。ま、水商売の場合はみなそうだろうが。それにウチの店でもメンタルをやられている人間なんて山のようにいる。オレも新人時代はお金もない上にきついノルマを課されていたので――それは新人時代の通過儀礼のようなもので、それをクリアしないと店には居られない――病みそうになったこともある。
だから飲んでいる薬の話とかメンタルヘルスの話題は店でもよく話題に上る。
完全にメンタルが行ってしまっている状態だと、自分の仕出かしたことは覚えていないとか聞いている。
覚えていないものは「無かった」ことと同じなので――ま、店とか親兄弟・友人には心配を掛けることにはなっただろうが――本人的には良いのだろうが、ユキの場合中途半端に覚えているだけに厄介だった。
「気にしなくて良い。ユキがこういう状態なのは薬のせいで、ユキのせいじゃない。
ユキは何も考えずに薬が抜けるまでオレの看病というか、オレに任しておけばい良いんだ。
その覚悟があってこのマンションに連れ帰ったんだから。
ユキが気に病む必要とかは全然ないんだ。ホントなら病院に預かって貰うことも出来たんだが、それはオレが断った。
言うなればオレのワガママなんだからそんなに気にしないでくれ。
ユキが大人用のオムツを履くようになってもちゃんと面倒を見る積りで連れて帰ったんだからこの程度は笑い話で済む、オレ的には」
メンタルヘルスのことは素人だしお客さんとかの話を同僚から聞く程度だが「頭がおかしくなっている」ということが自覚出来ている方が本人的にも辛いらしい。
それこそ記憶もぶっ飛んでいるとある意味楽なんだろうな……とも思う。
ユキの場合、時々はマトモな精神状態に戻ることが有るので余計に辛いのだということも想像に難くない。
「大人のオムツ……。そんなモノが有るの?」
オレが――繕っている部分はあるものの、長年培った営業用の笑顔を交えて快活に言うとユキも可憐な花のような笑みを見せてくれた。
ユキの指をウエットテッシュで拭きながらなんでもないように微笑を浮かべているとやっと安心した感じで聞いてきた。
「あるみたいだな……。まあ、ユキの場合は不本意ながら手錠と足かせ(?)で繋がせてもらっているので、トイレも自分で出来るだろう?オレがトイレまで連れて行っても良いし。
大人用のオムツって割と需要があるらしくって、時たま来るお客さんは赤ちゃん用のオムツよか大人用の方が良く売れるとか言ってたぞ?
ほら、今は少子高齢化の時代だってよく言われているだろ?赤ん坊の数よりも高齢者の人数の方が多いからさ、オムツ業界もそっちが儲かるらしい」
ユキが納得したような感じの弱弱しい笑みを浮かべた。
「そっかぁ。でも、流石にオムツは恥ずかしいかも……。
それにさ、お父様の入院の時もそう言えば『大人用のオムツ』が必要とか『入院の案内(?)』みたいなものに書いてあったなって今思い出した。
お母さまが全部準備してたんだけど……。でもお父様はオムツじゃなくて管を繋いでいるんだけどね……。
シンの気持ちは物凄く嬉しいんだけど、そこまでしてもらうって良いのかな?
ほら、病院だとさ、お医者さんとか看護師さんはお仕事でしているし、そういう設備みたいなものもちゃんと整っているでしょ?
シンさんのマンションには当然そんな設備もないし……」
枯れかけた純白の胡蝶蘭のような笑みを浮かべるユキは食べてしまいたいほど綺麗だった。
詩織莉さんのお母さんは「姉御」として組に君臨するのが目的っぽいので、そういう入院とかの準備はユキのお母さんがしていたらしい。
ユキのお屋敷の状況は良く分からないが、組関係者としてではなくて「箱入りお嬢様育ち」として育てられているっぽいユキのお母さまがそういう家の中の家事は任されているのかな?と思ってしまう。
詩織莉さんのお母さんは見舞いくらいには来るだろうが、メロンとか花束を持って行くだけというような感じがする。どう考えても家庭的な人間でもなさそうだし。
「そんなことは気にしなくても良い。ユキを自宅で看病したいと言ったのはオレのワガマだ」
広尾の病院の豪華な座敷牢といった場所も、そして新田先生がさり気なく教えてくれた厚労省管轄だかの薬物専用施設は――あくまでもイメージだが――刑務所の中のような感じなのだろう。そういう場所にユキを閉じ込めるのは恋人として我慢出来ない。
それならばオレがここで看病したほうが百倍、いや千倍マシだ。
「シン、本当に有難う。こんな足手まといの僕を――そしてそんなにお返しも出来そうにないし、サ――恋人にしてくれた上に、こんな状態の僕を見捨てないでくれて。
でもね、シンの負担になったら病院に放り込んでくれたら良いよ?」
ユキがウチの有る一番大きなグラスにオレが継ぎ足したミネラルウオーターを飲み干しながらそう言っている。
しかも、切れ長な目を縁取る睫毛には涙まで宿しながら深々とお辞儀をしてくれていて。
手錠と足かせを嵌めているユキのお辞儀は何だかとても倒錯的だったが、ユキの気持ちは痛いほど分かったので、そういう「くだらない下世話な」見方はしないようにした。
「ユキ、トイレを今のうちに済まさないか?」
ユキが正気――薬でぶっ飛んでいるのも正直困るが、なまじ正気なだけに自分のしていることを分かっている分、ユキも辛いだろう。
務めてなんでもないような感じで声を掛けてみた。
「そうだね。あんな状態になったら……。トイレにも行けそうにないし。それにね……」
「それにね」の次は何だろう?
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