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第18話 信じる

 菊池は透析患者で、光が駆け付けたとき既に顔色が悪く、苦しそうに胸を押さえていた。  光は患者の衣服の前を開けて聴診器で呼吸音を聴いた。背中側に聴診器を当てたとき、こぽこぽと小さな水音がする。 「たぶん、胸水が貯まってる。日勤の記録ではどうもなかったみたいだけど……。大谷さんはバイタルを測って。パルス(※)持ってる? 俺は酸素の準備をしてきます」 「わ、わ、わかりました」 「バイタルを測ったら頭を高めのファーラ―位にして様子観察。当直の先生には俺から連絡する。大丈夫だから、落ちついて」 「はっ、はい!」  光は冷静だった。後輩が見ていると、教える側だとこうも冷静でいられるのか。  いや、きっとそれだけではない。  今まで自分が努力してきたからだ。 (もう大丈夫。俺は過呼吸なんか、二度と起こさない……)  たとえ思い込みでも、光は自分自身の強さを信じることにきめた。 ※パルス…パルスオキシメーター。血中酸素飽和度を調べる機械。  当直医は光の予測したとおり、肺に胸水が貯溜していて軽い呼吸困難を引き起こしている、と診断した。透析患者にはよくみられる状態だ。  しかし体勢を整えて酸素吸入を行ったら症状が和らいだため、夜間のCT撮影や緊急透析はせず、それらは日勤に任せることとなった。  朝になり日勤のスタッフが来て、申し送りで『お疲れ様~』と口々に労われ、ひどい眠気と闘いながら夜間の記録を全て書き終えて夜勤業務は無事終了した。    昨夜は光も大谷も仮眠を取らなかったので、ロッカー室でも眠気と倦怠感におそわれながらゆっくりと着替えていた。 「大谷さん、昨日は初夜勤だったのになにかとバタバタして大変でしたね。でもあれからは何事もなくて良かった」 「……光さんのおかげで無事に終わることができました、本当にありがとうございます。やっぱり先輩は違いますね、俺一人じゃオロオロしてばかりでどうなっていたか……」 「当直ナースは師長だったし、どうしていいか分からないときはとにかく当直医に連絡すればいいんですよ。そうしたら何かあったときは全部先生の責任だから」 「ええ……光さん、意外と腹黒いですね」 「看護師の常識ですよ」  二人はくすくすと笑い合い、その後はどちらともなく押し黙った。  再び口を開いたのは、やはり光のほうが先だった。 「……あの、大谷さん。昨日のことですけど」 「すみません、昨日はうっかりプライベートに立ち入るようなことを聞いてしまいました! いいです無理に話さなくて。本当にすみませんでした」 「いやあの、聞いてください」 「いえ、自分で聞いといて本当最低なんですけど、聞きたくないです」 「えっ」 「俺、夜は合コンなんで先に帰ります、お疲れ様でした!」  大谷はコートも羽織らずに小脇に抱え、そそくさとロッカー室を出ようとした。 「待って!」  光は、そんな大谷の腕にしがみつくように両手で捕まえた。  大谷が驚いた顔で振り向く。 「光さん?」 「どうして俺の話を聞いてくれないんですか! どうしてそんなに合コンに行きたいんですか! そんなに彼女が欲しいんですか!?」 「……!」  大谷は、光を見つめて戸惑っている。  光を振り切って逃げ出すか、言い返すかどうかを迷っている表情だ。  でも、光は最後まで言わせて欲しいと願った。

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