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第1話

橘透羽(たちばな とわ)はこの春から、少し街から外れた片田舎の高校への転任が決まった。引っ越しの準備もひと段落し、夕食をコンビニ弁当で済まそうと近所のコンビニに足を向けた。 栗色の髪は艶やかに天使の輪ができ、つぶらな瞳に形の良い薄い唇。その唇の赤色は白い肌に映え、透羽の色気を更に引き出していた。中性的なその見た目で、よく『綺麗』だとか『美人』だと言われた。決して、『男らしくてカッコいい』などと言われた事はない。 透羽はバイセクシャルだった。 体が反応すれば、どちらとも性行為ができたが、どちらかと言えば、男に抱かれる事を好んだ。男の方が楽だと思っているからなのかもしれない。 自分はあまり人に執着する事がなく、どこか冷めた一面を持っていて、人を本気で好きになったという記憶がない。 セックスは好きだったが、気持ち良ければそれで良く欲求不満解消だと思っている節があり、愛だの恋だのはどうでも良かった。なので、特定の恋人を作った事は過去女が三人と男が二人と意外に少ない。だがそれも長くは続かなかった。いずれもやたら執着され、それが面倒になりもう特定の恋人を作る事をやめた。 見た目とは裏腹に、随分冷めた人間だと自分でも思う。 いつも飄々とし、何を考えているのかわからない、そう周囲からも良く言われていた。 わからないようにしているのだから当然だった。 コンビニで昼食を買うと、少し回り道をしてみようと思った。 今だにこちらの土地勘が殆どなく、自分のマンション近辺には何があり、どんな地形になっているのか探検がてらスマホ片手に回り道をしてみる。 閑静な住宅街に入り、道路幅も細くなり人の気配を感じない。 「迷いそうだな……」 携帯があるとはいえ、これ以上知らない道を歩く事が不安になり、透羽は来た道を戻ろうと踵を返した。 全く人の気配を感じていなかった透羽は、そこにスーツ姿の中年の男が立っていたのが目に入り、思わずギョッとした。 「……」 透羽は驚いた姿を悟られないように、男の横を通り過ぎようとした。 「すいません……」 すれ違い様にその男に声を掛けられ、透羽はビクッと肩を揺らした。 「駅は、どう行けばいいですか?少し、迷ってしまって……」 (なんだ……道に迷っただけか) 透羽は男の言葉少しホッとすると、 「自分も最近引っ越してきたばかりで、この辺よくわからないんですよ」 そう言うと、引きつらせた笑みを浮かべた。 「方角的にあちらだと……」 その時、その男の手が透羽のデニム越しの股間に触れた。 「え?」 サワサワと男の手が動いている。 「ちょっ……!」 (ち、痴漢!) 「最近あなたを見かけてて、いつも綺麗だと思ってました……」 「や、やめて下さい……!」 逃げたいのに足が動かない。 男は動けない透羽に漬け込むように、透羽のベルトに手をかけようとした。 その時、男が不自然に後ろに飛び、黒いシャツ姿の男が目に入った。痴漢男の襟を掴み、後ろに勢い良く引っ張ったようだった。アスファルトに尻もちを付いている痴漢男は、黒シャツの男に蹴りを入れられている。 ガスッと鈍い音がし、黒シャツの男は顔の表情を変える事なく何度も痴漢男に蹴りを入れ、その凶暴な姿に透羽はゾッとした。 「ひ、ひぃー!」 痴漢男は尻もちをつきながら後退りし、なんとか立ち上がると逃げ出していった。 透羽は呆然と立ち尽くしていると、男は逃げた痴漢男を目で追い、チッと舌打ちを打つ。そして透羽に目を向けた。 その目は切れ長で鋭く、ひと睨みされれば誰でも間違いなく怯むだろう。黒髪を後ろになで付けたオールバックの髪型が良く似合っていた。 半袖から伸びる逞しい二の腕にあるトライバルのタトゥーが目に入り、一瞬《や》の付く職業かとも思った。普段なら関わろうとも思わないし、絶対自分とは交わらない人種だ。だが、その危険な香りがするその男から目を離す事が透羽には出来なかった。 年は二十七歳の自分より少し下の、二十代前半くらいに思えた。 「あ、ありがとうございます……」 近付こうと透羽は一歩足を踏み出した途端、足に力が入らずその場にしゃがみ込んでしまった。 その瞬間、男に右腕を取られドキリと透羽の心臓が鳴った。 「大丈夫かよ」 「あ、はい……」 男に腕を取られたまま、少しヨタヨタ歩いてみる。 「大丈夫です……」 力なく透羽は言うと男は、ハーッと大きく溜め息を洩らした。 「送ってってやろうか?」 男が親指を後ろに向けた先には、真っ黒なアメリカンタイプの大型バイクが停まっていた。 「いいんですか?」 「別にいいぜ。さっきのヤローがまだ、近くにいるかもしれねーしな」 そう言ってバイクに歩み寄る。 「じゃあ……お願いします」 透羽はぺこりと頭を下げた。 この男と少し離れ難いと思った透羽は、迷う事なくその誘いを受け入れる。 男が前に座り透羽は恐る恐る後ろに跨ると黙ってヘルメットを渡され、それを被った。 (どこを掴めば?) 少し戸惑っていると、不意にグイッと腕を掴まれ男の腰を掴まされた。 再びドキリと大きく心臓が鳴った。 「で?どの辺?」 「あっ……駅の近くのマンションです」 男はエンジンをかけると、アメリカン独特の低いマフラー音が体に響いた。 掴んだシャツ越しにも分かる腹筋の硬さに、広く程良い筋肉の付いた背中。ガチムチ体系とまではなかったが、全体的にバランスの良い筋肉の付き方をしていると思った。所謂、細マッチョというべきか。例えて言うなら、ボクサー体系。半袖のシャツから覗くタトゥーが彼に似合っていた。 男の色気があるとするならば、こういう事なのだろうと思うと、透羽はぼうっと男に見惚れていた。 「あ、あの交差点の角のマンションです」 自分のマンションが見えると指差し、男は黙ってマンション前にバイクを付けた。 透羽はバイクから降りると、 「本当、ありがとうございました」 そう言って、また頭を下げた。 男は無言で立ち去ろうとしたが、思わず男のシャツの裾を掴んでいた。 「あ、あの、良かったら、お茶でも……」 ベタな誘いだと思った。 「……」 その沈黙が怖かった。 「あんた……危機感ないのか?」 「え?」 「さっき、あんな目に合って、ここでオレを誘うか?」 男はバイクに跨ったまま、腕組みをしている。顔は少し呆れたような表情だった。 「そう……ですよね……」 自分の腕を掴み、戸惑うように目を伏せた。 不意に男の手が透羽の顎を掴んだ。 「あんた、綺麗な顔してるな」 「え?」 「確かに男でも、変な気分になる気持ちが分かる気がする」 男は相変わらず表情を変えていないが、男のギラギラした目に吸い込まれそうになる。 何かを期待したのか、ズクリと下半身が疼いた。 だが、次の瞬間には顎に添えられていた男の手が離れた。 「じゃ……」 男はそう言って、颯爽と走り去った行った。 (名前すら聞けなかったな……) このままこれで終わりしたくない、そう思ってしまった自分がいた。こんな風に人に対して離れ難いと思ったのは初めてかもしれない。今までに会った事のないタイプで、物珍しいのかもしれない。 あの危険な香りのする男に抱かれたいと思った。

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