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第2話
始業式が始まり、透羽はクラスを持たされる事がなかった事に安堵した。
その日、二年三組で初めての授業があり職員室を出ようとした。
「あ、橘先生」
その二年三組の担任である菅谷に引き止められた。
「なんでしょう?」
透羽はリムレスの眼鏡を中指で上げた。
菅谷は薄くなりかけた頭に手を置くと、
「実はうちのクラスに一人、問題児が……」
「問題児?」
「ええ……朝比奈桜雅 っていう生徒なんですがね、少年院に一年いました」
あまり感情を表に出さない透羽ですら、その話しにギョッとした。
「学年は二年ですが、その関係で他の生徒より一つ年上です」
「何をして少年院に?」
「まぁ、傷害ですよ。前の街で暴走族に入っていたようで、その時チーム同士の抗争があって、何人も病院送りに……」
言葉が出なかった。
「お父上が、うちに随分と寄付をしてくれて……編入も断る事が出来なかったようです」
「お父上?」
「朝比奈は、かなり大きな組織のヤクザの息子なんですよ」
透羽はその場で固まった。
「まぁ、関わらないようにすれば、特に問題はありません。彼が編入してきて一年ですが、今のところ大人しくしてますから」
今のところ……これから先はわからない、という事だ。
「わかりました」
気分を切り替えるように、透羽はもう一度眼鏡を中指で押し上げた。
二年三組までの廊下を歩きながら、色々と妄想する。
金髪のリーゼントに眉なしで目はいつも睨んだようにしていて顔に傷だらけ……。
そんな想像をして、透羽の顔が引きつった。
意を決して教室に入る。
教壇に立つと、
「こちらに来て初めての授業がこのクラスです。宜しくお願いします」
そう頭を下げ、張り付けたような笑みを浮かべた。
教室が透羽の姿にざわついている。
「先生、彼女いますか?」
女子生徒からベタな質問がくる。
「秘密です」
にこりと笑い小首を傾けた。
「ええー、でも、かっこいいから許すー」
質問した女子生徒のその返事に、クラスが湧いた。
朝比奈桜雅が分かった気がした。教室内を一通り見渡し、ベランダ側の一番後ろ。肘を付いた手に頬乗せ、目線を外にずっと向けている黒髪の男。
「……」
どこかで見た横顔だった。
男がこちらに目を向けた。
(あの時の……!)
痴漢男から助けてくれた、あの時の男だった。
向こうも一瞬怪訝そうな顔を浮かべたが、透羽を思い出したのかすぐに目を見開き、こちらを見つめた。
「先生ー?どうしたの?」
「い、いや……じゃ、授業始めるよ」
二十二〜三歳だと思っていたが、高校生だったのに驚きだった。
その日の授業は、何をしたのか殆ど覚えていなかった。終始透羽は、朝比奈桜雅を目の端に捉えていたが、桜雅はこちらに目を向ける事は殆どなかった。
あの時、物欲しそうにしてしまった自分を思い出すと、恥ずかしくて堪らない。どんな顔を向けていいのかわからなかった。
授業が終わると、フーッと溜め息が思わず洩れた。一刻も早く朝比奈桜雅がいるこの教室を出たかった。
教材を持ち教室を出ようとした時、三人の女子生徒が透羽を囲んだ。
「先生、お昼一緒に食べようよ」
そう言って、馴れ馴れしく腕を掴まれた。
「いや、今日は店屋物頼んじゃったから」
「じゃあ、今度ね」
「ああ……」
桜雅はこちらを見る事もなく、教室を出て行ったのが目に入った。
「あの朝比奈って……」
「朝比奈?ああ、ヤクザの息子なんだってー」
「関わらないようにすれば害はないよ」
「最初はキレられたけどね」
「キレられた?」
透羽は聞き返すと、一人の女子生徒が教室の端にある掃除用具を入れる細長いロッカーを指差した。ロッカーの真ん中が歪に凹んでいた。
「このクラスになって、皆んな興味本位で朝比奈の事見てたらキレられて」
あそこに拳を叩きつけたのだろう。
「それ以来、関わらないように見ないようにしてたら、特に何もしなくなったよ」
「顔はいいのにねー」
「ええ?そう?怖いじゃん」
「なんていうか、男の色気みたいのない?」
この子は桜雅の魅力に気付いているようだ。
(その意見に同意するよ……)
フッと軽く息を吐き、その女子生徒たちからやんわりと離れると、教室を後にした。
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