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最終話
二人で閉店後にパブへ行った翌日、嬉しさでにやける顔を必死に抑えつつ、リアムは売り場に立っていた。ルシアンはランチタイムの休憩中だ。この時間帯は比較的暇な事が多いので、リアムも前夜のルシアンとの会話を思いだして一人幸せな空想に浸っていた。
「すいません、靴見せて貰って良いですか?」
声を掛けられて、現実に引き戻される。
リアムの目の前に小柄で華奢な青年が立っていた。明るい栗色のふんわりと緩くカールした髪と榛色の綺麗な瞳の持ち主で、どこか雰囲気がルシアンに似ている。ルシアンに似ている、と思ったら途端に気になってしまって、彼の事をじっと見つめてしまったが、一つルシアンとは決定的に違うところがあった。目の前の栗色の髪の青年は、とても艶やかで華やかなオーラを纏っている。一度見たら絶対に忘れられないほど印象的な人物だった。
「あ、はい、勿論です。何かお手伝いしましょうか?」
「今はいいです。お願いしたいことが出来たら、声かけますから」
「分かりました」
彼はくるりと向きを変えると、試し履きのために置いてあるソファに座っている人物の元へ小走りで駆け寄る。
リアムはソファに座っている人物を見て、また驚いてしまった。
――いるんだなあ、こんなハンサムな人。
濃紺の三つ揃いのスーツを着た背の高い金髪の男性が、落ち着かない様子でソファに腰掛けている。整った知的な顔立ちと、まるで海のように深い青い瞳。
彼は栗色の髪の青年に、何か小声で話しかけた。
すると彼は大きな声で「何、言ってるんだよ」とすごい勢いで反論する。金髪の男性は、慌てた様子で両手を挙げると「こ、声が大きいよ」と困った顔で言う。
その様子があまりにも見かけと違って、何だか三枚目風に見えたのがリアムにはおかしかった。まるでコメディ映画のワンシーンを見ているみたいだ。
小柄で栗色の髪の青年は、腰に両手をあて、金髪のハンサムな男性の前に仁王立ちになる。
「いっつも同じような靴しか履いてないから、せっかく僕が見立ててあげる、って言ってるんだよ? 大人しく言うこと聞いてよ」
「だけど、ここ高いだろう?」
「サヴィル・ロウでスーツ買ってる人が何言ってるんだよ」
「あれは、一年に一度セールで買ってるんだってば」
金髪の男性が声をひそめてそう言う。だがリアムには丸聞こえで、思わずくすり、と笑ってしまう。二人はそんなリアムの様子には気付いた様子もなく、会話を続けている。
「これなんてどうかな、いつもネイビーとかダークグレイのスーツ着てることが多いだろ? きっと似合うと思うんだ」
そう言いつつ、ディスプレイされていたダークブラウンの靴を取り上げると「ほら、履いてみて」とつっけんどんに命令する。
どう見ても金髪の男性の方が年上なのに、小柄な彼には逆らえないとみえ、黙って言う事を聞いている様子が、更におかしくてリアムは口元を手で押さえて笑いを堪える。
「これ絶対よく似合うってば」
「そ、そうかな……」
「何その不満そうな顔」
「いや、あそこにある黒い靴の方が良くないかな、って思って」
「もう、葬式じゃないんだから黒ばっかり履くの止めてよ」
「だって、黒って汚れが目立たないし、無難だろう?」
リアムは密かにこの言葉に頷く。確かに彼の言う通りだ。だが小柄な彼はそうは思っていなかったらしい。
「本当に無難な物ばっかり普段から選ぶよねえ? たまにはお洒落心ってものを持ってよ」
「……いや、仕事用の靴だから……お洒落心って言われても」
リアムはたまらずにぷっと吹き出してしまう。だが、離れたところに立っているので、二人には気付かれていなかった。
「ほら、いいからこれ履いてみてよ」
小柄な彼はじれったそうに自ら跪くと、金髪の男性の足に自分が選んだダークブラウンの靴を無理矢理履かせる。
「じ……自分で履けるから……」
金髪の男性は慌てて彼を立たせようとする。
「じっとしてて!」
「あ、はい……」
――あの人、ホントに逆らえないんだな……
何だか微笑ましい光景だな、とリアムは二人の様子から目が離せない。
「ほら、見てよ! すっごく似合ってるってば」
「確かにいつもとちょっと感じが違うかな?」
「全然違うだろ? 何言ってるんだよ」
「ああ、はい、そうだね。全然違うね」
金髪の男性は苦笑して言った。小柄な彼は満足そうに、自分が履かせた靴を見つめている。
「すごく格好いいよ。ね、これにしなよ」
ああ、とリアムにはその時に分かった。
――この二人、付き合ってるんだな。
小柄な彼の口と態度の悪さとは反対に、目の前の男性を見つめる瞳がとても優しい。
そしてそんな彼にやり込められている金髪の男性は、全てを分かった上で彼の事を受け入れている様子がはっきりと分かる。
――俺もルシアンとあんな風になれたらいいな。
「すいませーん、これのサイズ9欲しいんですけど」
小柄な彼がリアムを呼ぶ。
「あ、はい、今探してきますね」
リアムはルシアンがランチタイムの休憩から戻ってきたら、この楽しい二人組の話をしてあげよう、と思い心を躍らせた。
ストックルームに入る直前、リアムの後ろで金髪の男性が「ええっ、この靴こんな値段が高いのか? 俺買えないよ」と声を上げているのが聞こえたと思ったら、すかさず「少し早い誕生日プレゼントにしてあげるよ」と答えているのが聞こえてくる。
「俺の誕生日ってまだ半年先なんだけど……」
「半年くらい、いいじゃないか。気にするなよ」
――やっぱりこの二人、おかしい……
ストックルームに入ってしまうと、二人の会話が聞こえなくなるのが残念で仕方がない。監視カメラでずっと二人のやり取りを録画して、ルシアンに見せたら何と言うだろう。
ルシアンのことだから「お客さんのプライバシーを覗き見するようなことは、はしたないだろう?」とでも言うだろうか。それとも一緒に面白がってくれるだろうか。
リアムがサイズ9の箱を探し出し、ソファに仲良く並んで座っている二人のところへ持って行くと、金髪の男性が「すみません。ありがとう」と礼を口にして箱を受け取る。
その様子がとても謙虚で礼儀正しくて、リアムは彼に対して好感を抱いた。
「……また履くの?」
金髪の男性は隣に座って携帯チェックをしている小柄な彼に尋ねる。
「足に合わなかったら困るから、ちゃんと履いて」
素っ気なくそれだけ言うと、携帯画面にまた目を向ける。
――こういう素っ気ないところ、本当にルシアンによく似てる……
リアムは失礼だとは思いつつも、じっと見てしまう。
ルシアンと同じように小柄で華奢で、素っ気ないけど、放っておけないような危なっかしさも感じる。きっとこの金髪の男性も、隣に座るこの栗色の髪の人物を心から大切にしているのだろう。自分もルシアンをそんな風に大事にしたい、とリアムは思った。
金髪の男性は黙って靴を箱から取りだして履いてみる。
「……良さそうだけど?」
「ちゃんと立って、少しその辺歩いてみて」
小柄な彼は携帯画面から目を離そうともせずにそう言った。金髪の男性は渋々立ち上がると、店内を少し歩き回る。その様子はトップモデルが、ランウェイを歩いているようにしか見えなくて、リアムは思わず見入ってしまった。
――こんな格好いい人を彼氏にするなんて、どんな気分なんだろう。
リアムのそんな思いとは裏腹に、小柄な彼は何も言わず、ちらっと目を向けただけで何やら携帯を操作している。
そしておもむろに携帯を金髪の男性に向けて構えた。
「……何やってるんだよ」
「動画撮影してんの」
「何で?!」
「保存用」
「何の?!」
「僕だけの保存ファイルの為だよ」
「……」
金髪の男性は呆然として黙り込む。リアムはおかしくておかしくて、お腹を抱えて笑い出したい衝動に駆られていた。
「店員さん、手数をかけてすみませんでした。こちらは頂いていきますから」
金髪の男性はソファに座って靴を脱ぐと、丁寧に箱にしまってから、リアムに手渡した。
「あ、支払いは僕がするから」
小柄な彼が勢いよく立ち上がると、さっさとリアムの後についてキャッシャーカウンターの前に立ち、ポケットからクレジットカードとランズデールのメンバーシップカードを取り出す。
「こちらのメンバーの方でしたか」
「うん。いつも服とか靴とかここで買う事多いから作ってるんだ。そう言えば、きみ見たことない顔だよね。新人さん?」
「ええ、二ヶ月ほど前からここで勤務してます」
「そうなんだ。僕、いつもポールから靴買ってたんだ。彼辞めちゃったの?」
小柄な彼が口にした名前は、自分の代わりに交代させられたスタッフだった。
「……あ、彼は俺と入れ替わりにフードホール勤務になっちゃって……」
「えー? 珍しいね。紳士靴からフードホールに代わるなんて」
まさか、自分が片っ端からフードホールの女性スタッフを口説いていたから交代させられたのだ、なんて口が裂けても言えなかった。
「まあいいや、今度からはきみから靴を買う事にするよ」
小柄な彼はにっこり笑ってカードで支払いを済ませた。
「ほら、自分で紙袋ぐらい持って」
リアムから受け取った靴箱が入った紙袋を、小柄な彼は偉そうに差し出して金髪の男性の手に渡す。
「お騒がせして、すいませんでした」
金髪の男性は苦笑してリアムに言うと、小柄な彼の後をついて売り場を後にした。
それから15分ほどして、ルシアンがランチ休憩から戻ってくる。
「ルシアン、さっきすごく面白い二人組のお客さんが来てて……」
リアムはそこまで言って、思い出し笑いを始める。
「何? お客さんのことを笑うなんて失礼じゃないか」
「それが、そのうちの一人が、ルシアンに何だか少し似てて……素っ気ない雰囲気なんて、本当にすごくそっくりで……」
「……え?」
ルシアンの表情が心なしか強ばる。リアムは何か自分が変なことを言ったのか、と心配になった。
「……どんなお客さんだったの?」
ルシアンが興味を示してくれたので、リアムも気を取り直して二人組の客の説明を始める。じっとルシアンは聞き入っていたが、リアムが話を終えると、ふっと口の端に笑みを浮かべた。
「そっか、そんな素敵な人だったんだね。僕も会いたかったな」
「ランズデールのメンバーシップのお客さんだったので、また来ると思いますよ。いつも洋服も靴もここで買ってる、って言ってました。以前はポールさんから靴を買っていたそうです」
「ポールの担当のお客さんだったのか。それじゃ僕は知らなくて当然かも。たまたま今まで会うことがなかったんだね」
リアムはまだ二人の様子を嬉々として話している。その彼を見ながら、ルシアンは一人静かに思いに耽る。
――きっと彼がジュリアンの想い人……皮肉だな、今までランズデールのどこかですれ違っていたのかもしれないなんて。
「あの……ルシアン、今日仕事終わったら、食事行きませんか?」
「……ん? 何?」
ぼんやりしていたので、リアムの質問を聞き逃していた。リアムは真っ赤になりながら、再度尋ねる。
「あ、あのっ、今日仕事終わった後、食事に……」
「いいよ。何なら僕のフラットに泊まっていく?」
「ええええ? そ、そんな、あの、それはいいんでしょうか?」
「嫌なら別にいいけど」
「いえっ、そんなことないです!」
リアムは後ろを向くと小さくガッツポーズをしていた。
――若い子って、可愛いな。
ルシアンはふっと笑みを浮かべた。
――さよなら、ジュリアン。あなたの一番にはなれなかったけれど、僕は、僕のことを一番に想ってくれる人と幸せになるから。
ルシアンは自分の選択肢が今度こそ絶対に間違ってはいない、とリアムの背中を見つめながら、そう思っていた。
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