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第2話 出会い、惹かれ
高校の入学式の時、あいつ――姫野は一人浮いていた。
俺の学校は工業高校と女子校が合併してできた変わった男女共学の学校で、その際に普通科ができたものの、工業科と被服科というかつての学校の名残を一クラスずつ残したクラス構成になっていた。
そのため、共学なのでどちらにも男女とも入学できるのだが、工業科は男子のみ、被服科は女子のみという偏ったクラスが学年に二クラスずつあったのだ。
俺は卒業後さっさと就職できるように、と工業科に入学した。当時父子家庭で、父親が遠距離トラックの運転手をしており、ほとんど家に居なかったこともあって、思春期の反抗心を親ではなく社会に向けるといういわゆる不良だった。
入学式で工業科と被服科は会場の一番端で隣り合わせにパイプ椅子に座っていた。華やかな女子をきょろきょろと見ている工業科の連中だったが、姫野の姿を見た瞬間、薄笑いを浮かべて口々に小声で話し始める。
「あいつ、男のくせに被服科にいるぞ」
白のセーラーを着た女子たちの中に、一人ぽつんと紺の学ランの男子が混ざっているという、一種異様な光景だった。
しかし、本人は特に気にする様子もなく、粛々と校長の話を聞いている。何だか、彼のその姿が、勇ましく見えた。
今思うと、あの時既に、俺は姫野に惹かれていたのだ。
その出会いから一年、俺と姫野には全く接点など無く、異なる学校生活を送っていた。
俺は不良でクラスでも浮いていて、唯一怖がらない三谷(みつや)っていうバカしか友達はいなかった。姫野は見た目の綺麗さと柔和な雰囲気が女子に受け入れられて、「ひめ」とあだ名で呼ばれて人気だった。
成績は優秀なようだったし、服飾のデザインコンテストで最優秀賞に選ばれたと学校が宣伝していたので覚えている。
しかし、姫野に対する男子の態度は酷く、廊下ですれ違うたびに「ホモ」だの「オカマ」だのからかっていた。女子に人気なのも顔が綺麗なのも成績優秀なのも合わさって、気に入らなかったのだと思う。
俺は友達も少なかったし、周りの人間の会話にも無頓着なので、姫野がそういう立場にいたというのは、後々気付いたことだったのだが。
そんなある日、廊下をぶらぶらと歩いていたら、偶然姫野がトラブルに巻き込まれているところに遭遇したのだ。
「どこ見て歩いてんだよ、ホモ野郎!」
「ご、ごめんなさい……」
三人組の一人の男が怒鳴っていた。ぶつかった衝撃で姫野は床に尻餅を付いていて、持っていたんだろう裁縫道具と制作中の服を床にぶちまいていた。
「あらら……ひめちゃん、普通科の変なのに絡まれてるねえ」
横で三谷が心配そうに様子を見ている。相手が何か喚きながら、姫野を立たせようと胸ぐらを掴もうとした時だった。
彼は何を思ったのか慌てて、床に落としていた白い布を胸に抱きかかえたのだ。恐らく相手の男が踏み出した足が、それを踏みそうになったからだろう。
「あ? 勝手なことしやがって、ぶっ殺すぞ!」
そう言いながら、逆上した男は姫野の持っている布を無理矢理取り上げようとした――ようだったので、俺は咄嗟に飛び出して男の胸ぐらを掴んで、廊下の壁に押し当てた。
「謝ってるだろ、これ以上何もするな。何かするっていうなら、俺が相手してやる」
相手は俺の顔を見るなりさっと血の気が引いて顔は真っ青になっていた。
さっきの元気な様子はどこへやら、「わ、わかった」と声を震わせながら言うと、へっぴり腰で他の友達二人と早足で去っていった。
「ありがとう。えっと……」
学ランのポケットのところに刺繍されている名前を見ているのに気づく。
「工業科の榊。こっちは三谷」
「ひめちゃん、おはつー。よろしくね」
三谷は座り込んでいる姫野に握手すると、散らばった裁縫道具を片付け始めた。俺もそれに続いて目の前の針を手に取った。
「っつ……」
取った瞬間刺さった。指先に小さく血が滲んだ。横で三谷が「ドジだなー」と笑っている。
「大丈夫?」
姫野は持っていた布を鋏で一部切り取ると、その切れ端を俺の指に結んだ。白くて細い指だった。綺麗だが、指先ががさがさしていた。
「それ、大事なんじゃないのか」
「あ、この部分はこれから切り取るところだから、大丈夫」
ささっと道具を拾い集めると、三谷から受け取った針や糸などを道具箱の所定の場所に収めていく。
「ひめ! どうしたの?」
クラスメイトだと思われる女子数名が、立ち上がった姫野に駆け寄っていく。
「あんた、工業科の奴でしょ! ひめになんかしたんじゃないでしょうね!」
女は怒りを露わにして詰め寄ってきた。慌てて姫野が間に割って入る。
「ち、違うんだ。榊君は――」
「何かしたらただじゃおかないからね!」
そう言い放つと、女子集団は姫野を引っ張って連れて行ってしまった。去り際一度振り返った姫野は、済まなそうな顔をしていた。
「あらら、久しぶりに良い事したのにねえ」
「……まあ、日頃の行いが悪いからな」
ふと指に結ばれた布きれに目を遣る。彼と話したことは無かった。こんな近くにいたことも。
間近で見た姫野は、透き通るほどに白い肌、形のいい輪郭、整ったパーツがまるで西洋人形のようで、息が漏れそうになるほど美しかった。ただ、指先が荒れていることが人間味を感じさせて異質だった。
しかしそれは、彼が裁縫を熱心にしている証拠なのだ。綺麗なだけじゃない、彼の真っ直ぐ通った一本の芯の様なものを感じた。
「あれ? さかちゃん、何か顔が赤いよ?」
「……うるせえ、行くぞ」
自分でもどうして顔が熱いのか、心拍数が高まっているのか理解できなかった。
それからしばらく、姫野との接点は無かったのだが、二年の修学旅行が一カ月に迫った頃、ホームルームでグループ決めが行われることになった。
俺はサボる気満々だったが、三谷がやたらと修学旅行を楽しみにしているので、仕方なく付き合って自席に座っていた。
始業のチャイムと共に担任の教師が、そして何故か彼が入ってきた。一気にクラスはざわつく。
「何で被服科のオカマが居るんだよ」
近くの席の男が言い終えると同時に、俺は席を立って相手の胸ぐらを掴んでいた。
「オカマじゃねえ、黙ってろ」
「さ、榊! 手を離せ、な!」
焦燥を隠しきれないままの教師に、溜息をついて相手を離すと自席にがたんと音を立てて座る。教師は完全に手に余る俺の扱いに困っていた。
「今日は修学旅行のグループ決めだが、グループは部屋も一緒になることになってな。被服科で男は一人だけなので、姫野君は工業科のどこかのグループに入ってもらうことになった」
先の事があるのでクラスの連中は明らかな態度は示していないものの、雰囲気が拒絶しているようだった。
「誰か一緒でもいいという人はいないかな」
苦笑しながら、友達と目を合わせるクラスメイトの姿、誰も手を挙げない。所在なさ気に小さくなって立っている姫野を見て、俺は立ち上がった。
「姫野、俺と三谷と同じで良いだろ」
隣の席の三谷に目を遣ると、何故か満面の笑みで俺を見上げていた。姫野は一瞬驚いた表情をしたけれど、「うん」と笑みを浮かべて頷いた。
「ってことで、いいよな、先生」
「あ、ああ、ありがとう。これから三人で自由行動の話し合いしてくれ」
呆気にとられた教師やクラスメイトを尻目に俺は姫野を手招きした。姫野を俺の席に座らせ、机に腰掛ける。それを見て、教師は他のグループ決めの話し合いに移っていった。
「あのさ……俺が怖くて承諾したんじゃないよな?」
「……榊君って怖いの?」
俺の問いにきょとんとしている姫野を見て、三谷が声を上げて笑う。
「ひめちゃんって俺と同じだぁ」
怖がられていないことが分かると、肩に入っていた力が一気に抜けた。余計な気を張らなくて済む。
「ねえねえ、俺京都なら金閣寺とか行きたいー!」
「それは団体行動の時に行くみたいだよ」
「えーそうなの? じゃあどこ行くー?」
誰にも隔たり無く仲良くできる三谷は、簡単に姫野と仲良くなった。何となく羨ましいと傍目に二人の遣り取りを見ていた。そうしているうちに、ほとんど二人で行く場所を決めてしまった。
「そういえば、榊君は行きたいところなかったの?」
「……いや、特には」
修学旅行に対する思い入れはなく、ただ父親に行けと言われたので仕方なく行くというスタンスだった。どうせ三谷とぶらぶらするだけなら、どこに行ったって同じだからだ。
でも、姫野も一緒に行けるのなら、どこに行ったって楽しめそうな気がした。
「じゃあ、来月よろしくね。スケジュールさかちゃんがまとめてくれるって」
「うん、ありがとう。楽しみにしてるよ」
三谷が勝手に仕事を押し付けてきたことに突っ込もうとしたが、姫野の「ありがとう」という言葉と笑顔に何も言葉が出なかった。
教室を出ていく姿を、クラスメイト達は睨み付けるように見ていたが、姫野は意に介せずといった様子で、出て行った。
「ひめちゃんって、見た目によらず強いよねえ」
「ああ、そうだな」
人と違うということは、学校という協調と同調が強いられる世界の中で最も苦痛なことであると思う。俺は片親ということで昔はよくからかわれていたから、姫野の立場が少しわかる。
しかし、それを俺のように拳で黙らせていないところが、彼の強いところだと思えた。
「だからひめちゃんのこと気に入ってるんだよね」
「だ、誰が!」
「ははっ、次移動教室だけど、さかちゃんここで寝てるんでしょ? 俺行くねー」
そう言って三谷は俺の攻撃をするりとかわして、教室を出て行った。
溜息をついて三谷の机に残された修学旅行でのスケジュールが雑に書かれたメモと京都の地図を眺めた。どうせやることもない、とそれを手に取ると、一度も使ったことのない真っ白なノートを広げ、地図を頼りに道順通りにまとめていった。
一カ月後、修学旅行のバスの中から、姫野は合流した。被服科の女子達に、姫野の扱いについてきつく注意されたが。相変わらず俺の評判は悪かった。
「ひめちゃん、さかちゃんが自由行動のスケジュール綺麗にまとめてくれたんだよー」
そう言って三谷が俺の作成したスケジュール表を手渡す。
「すごい、パソコンでちゃんとまとめてくれたんだ」
あの後家で引き続きまとめていたら、ちょうど帰ってきた親父がそれを見て、ノートPCを持ってきて「これで作ろう」と言い出したのだ。自分が行くわけでもないのに、何だか嬉しそうだったから、断れずに任せたらこうなった。
「そうなのー。全然楽しみじゃないって感じだったのにねえ」
「……いいから、早く乗るぞ」
三谷がにやにやしながらこちらを見てくるのを無視して、さっさと新幹線に乗り込み、空いていた席に座った。続いて隣に姫野、前の席に三谷が座り、ぐるりと向い合せになるように座席を回転させる。
しかし姫野が今までこれほど至近距離にいることはなかったためか、なんだか居心地が悪く、窓の外に目を遣る。
「前から言いたかったんだけど、ひめちゃんってちょっと外国人の顔してるよねー」
「あ、うん、祖父がフランス人だから、少し入ってると思う」
前に西洋人形のようだと思ったのは、あながち間違いじゃなかったらしい。言われてみれば、目鼻立ちや全体の色素が薄いこと、すらりと伸びた手足は日本人離れしている。
「フランス! かっこいいなあ!」
「……もしかして、服飾関係なのか、御爺さん」
フランス等と聞くとパリコレや有名ブランドが数多くあるイメージから、ファッションのイメージが強い。当てずっぽうに言ったのだが、姫野はこくりと頷いた。
「祖父も父もデザイナーなんだ。母は若い頃はファッションモデルをしていたし、小さい頃から服に囲まれた生活をしてたから、自然と僕の夢もそうなって」
――夢。そんなはっきり言い切れるほどの物が今まであっただろうか。
一度も強く何かを欲しいとかこうなりたいと思ったことはない。ただ宙に浮かんだまま、足をばたばたさせているような、そんな状態でここまで来た気がする。
「将来はデザイナーかあ。すごいなあ、ひめちゃん」
「三谷君と榊君は何になるの?」
「俺はねえ、家がバーやってるからバーのマスターになるのー。さかちゃんはとりあえずお父さんのために働きたいんだってー」
「ね」、とこちらに話題を振ってきたので、とりあえず頷く。それくらいしか、未来に期待することも無い俺にはなかった。
新幹線が発車し、ゆっくりとホームが遠ざかっていく。
姫野と三谷は始終話をしていて、以前から友達だったかのようだった。途中お目付け役の女子数人が様子を見に来たが、姫野が楽しそうに会話しているのを見て早々に退散した。
俺はというと、窓の外の移り変わる景色に目を向けながら、時々振られる話題に頷いたり返答するくらいで、どことなく姫野とぎこちない雰囲気になっていた。
そうしているうちに京都に到着し、新幹線を降りて、清水寺、三十三間堂、平安神宮、ランチを挟んで金閣寺、二条城、そしてホテルに。夕食までの間、しばらく部屋で待機となった。
「疲れたねえ……」
「そうだね。移動に移動だったから」
部屋は和室で、四人用の大きさなので広めの部屋だった。廊下では四階まで貸切なのを良い事に元気の有り余った奴らが騒いでいる。
「明日は自由行動だね! 楽しみだなあ」
親父と作ったスケジュール表に目を遣る。散策の道筋、バスの乗り換えまできっちり調べてきた。上手くいけばいいが。
部屋でだらだらしているうちに夕食の時間となった。飯を食べたら、各自どこかの部屋に行ったりホテルの中をうろうろしたり、風呂に入ったり。
俺達はホテルの土産屋で物色していたら、丁度居合わせた女子達に姫野は拉致されてしまったので、仕方なく三谷と菓子や飲み物を買って部屋で食べながらテレビを見、風呂に入って部屋に戻ると、三谷は早々に寝てしまった。
電気を消してぼんやりと携帯を弄りながら外を眺めていると、キイと音を立ててドアが開いた。
「真っ暗だからもう寝ちゃったかと思ったよ」
「三谷が寝たから」
すうすうと健よかな寝息が聞こえる。一日はしゃいでいたので眠いのだろう。
「お風呂入ってくるから、先に寝てていいよ」
「ああ、そうする」
姫野が浴衣と着替えを持って部屋を出て行ったあと、俺は大きく伸びをし、携帯のアラームをセットして布団に潜り込んだ。
が、枕が変わると寝られないというわけでもないが、環境に順応な人間じゃない上、十時過ぎに布団に入って眠くなるわけもなかった。
横向きになって隣のぽっかり空いた布団を見詰める。姫野が、寝るんだなあと思う。胸がざわざわする。
キイと甲高い音が鳴りびっくりして心臓がばくんと大きく跳ねた。
ドアが開いて、隙間から光、俺の顔に覆い被さるように影が伸びる。浴衣姿の姫野の姿が一瞬浮かび上がる。
――ああ、やっぱり、と思う。
ドアが閉まり月明かり以外は真っ暗になってしまうと、手探りで布団を探しているのか、がさがさと音がする。そして、衣擦れの音が聞こえて、傍に姫野の存在を感じた。
「……姫野」
声に反応してこちらに身体を向けた彼の顔が、月の光で青白く浮かび上がった。色素の薄い金色に近い茶の瞳に捕らえられる。
心臓の音がこの静かな部屋の中では聞こえてしまうのでは、と心配になるほど高鳴っていた。
「榊君、起きてたんだ」
「……寝るにはまだ早いからな」
「そうだよね、まだ十一時前だもの」
しかし、俺の背中で随分前から寝ている男の寝息が聞こえてくると、姫野は声を殺して笑った。そして、笑いが収まると、
「ありがとう」
と俺に微笑みかけた。胸が一瞬きゅっと締め付けられて苦しくなる。
「ずっと御礼を言いたかったんだ。修学旅行、一緒のグループにしてくれたこと」
「……礼を言われる覚えは――」
「ホモ、って本当なんだ」
一瞬世界が止まったかと錯覚した。部屋は静まり返り、姫野は真剣な目で俺を見詰めた。
「誰にも言ってないから、皆は知らないで茶化しているんだけど……本当なんだ。女の子に時めいたことないし、初恋は幼稚園の男の先生だった」
そう言うと姫野は少し悲しげな表情になって微笑んだ。「ああ、俺が今変な顔をしてるから悲しませたんだな」とびっくりして固まっていた俺を顧みて思う。
と、同時に俺は姫野の顔に手を伸ばすと、頬をぐにと痛くない程度に摘んだ。
「そんな顔すんな。俺は何とも思ってねえ。姫野は姫野、友達だろ、俺達」
自分で言った言葉なのに違和感を心のどこかで感じながら、涙を滲ませる姫野の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「……ありがとう。やっぱり榊君で良かった」
そう言って大輪の花が咲いたように明るい笑顔を浮かべる彼を見て、意味もなく嬉しく自然と笑顔になる自分がいた。
でも、「ああ、これが恋だな」と気付くには俺は鈍感で不器用だった。
そっと姫野の頭から手を退け、
「じゃあ明日な。おやすみ」
と呟く。姫野も「おやすみ」と返すと、静かに目を閉じた。
俺は仰向けになると、さっきまで掌にあった彼の髪の柔らかな感触が段々と消えていくのを感じながら、次第に瞼が重くなっていった。
アラームの音で目を覚ます。時間は七時。姫野は一人既に起きていて服も着替え終わっていた。三谷はアラーム音も何のその、爆睡している。
「起きろ!」
耳元で大声を上げて激しく揺さぶると、まだ寝たりない様子で薄目を開ける。
「朝食食って自由行動だろ。嵐山で食べ歩きするんじゃなかったのか」
「あぁっ! 今何時?」
慌てて飛び起きた三谷を見て、姫野がくすくすと笑う。
「おはよう、三谷君。まだ七時。今から着替えて皆でご飯食べに行こう」
ふと見ると、隣の姫野の布団はもう畳まれていた。部屋の隅でぐっしょり濡れたタオルが乾かされていて、どうやら朝風呂に入ってきたようだ。随分早くに目が覚めたのだなあと思う。
三谷に急かされて服を着替え出掛ける準備を整えて朝食会場で飯を食べ、教師の点呼を受けてからホテルを出る。
俺達の自由行動はバス、電車に乗って嵐山に出、食べ歩きをしながら天龍寺、竹林街道、祇園寺、千二百羅漢と名所・仏閣を巡るものだった。
ゆっくり回った後嵐山を出て、ホテルからそれほど遠くない清明神社に寄ってお守りなどを購入してから、集合時間前にホテルに到着した。
菓子中心に山ほど土産を買った三谷はダウン。部屋に戻ると畳の上に横たわったまま眠ってしまい、俺と姫野は昨晩のことは何も無かったように他愛無い会話をした。
夕食後、三谷と姫野に一緒に風呂に、と誘われたが、何だか気恥ずかしさから一人部屋に戻り窓際の椅子に座って夜の京都の街を眺めていた。
眠っていたのに気付いた時には、二人がいつの間にか戻ってきていて、それぞれ布団に入って眠っていた。俺には気を遣って毛布が掛けられている。
起こさないようにできるだけ音を立てないように気を付けて、風呂に入ろうと着替えを手に外に出た。すっかり静まり返っているところを見ると、かなり長い間眠ってしまっていたようだ。
ささっと風呂に入って外に出たところで、どんと何かにぶつかる。
「お前どこの奴や! 土下座して謝れぇ!」
何処の場所にも頭の悪い不良というのは居るもので、目の前の一九〇センチくらいの図体がでかいだけの学生服を着た男もその一人だった。
「土下座は無理だが、すまん」
そのまま通り過ぎようとしたのだが、まあそう上手くはいかないもので、彼の取り巻き四人に囲まれて道を塞がれてしまった。
「……あのな、俺は喧嘩しに来たんじゃねえんだぜ。お前等も無事に家に帰りたいだろ」
「うるせえよ! 生意気なんだよ、お前の面は!」
そう言うと全員が同時に殴りかかってきたので、そこからはもう揉みくちゃの乱闘が始まり、教師やホテルの従業員が呼んだ警察に取り押さえられるまで収まらなかった。
感触的に三人くらいの歯を折っていたと思う。俺の方は羽交い絞めにされた時に殴られた顔が腫れている位で軽傷だったのだが。
警察署で教師と共に頭を下げてホテルに帰った俺は、既に纏められていた荷物を手に、生徒指導の教師に伴われ始発の新幹線で家に戻った。そうして俺の修学旅行は呆気なく終わった。
仕事から帰ってきた親父は、「修学旅行は楽しかったか」と喧嘩相手に謝罪の電話を掛け終った後にそう尋ねた。「ああ」と一言呟くと、親父は満面の笑みで「そりゃよかったなあ」と俺の頭を撫でた。親父も全く怒らない人だった、と今内美さんを見ていて思い出す。
修学旅行の後、一週間停学を食らった俺が学校に来ると、白い目で見てくるクラスメイトとは正反対に一目散に三谷が飛び掛かってきた。
いつものことなので心配はしていなかったが、一週間学校詰まんなかった、と愚痴られた。
「榊君!」
昼休みになって、姫野が話を聞いてきたのか、三谷が連絡したのか分からないが、教室を訪ねてきた。
俺の怪我した顔を見て、心配しているようだった。後ろに一緒についてきたクラスメイト数名と一緒に。彼女達の目は冷たく、何か言いたげな様子で睨み付けていた。
「……もう関わるな」
自分からそんなことを言うとは思わなかった。予想外だったのは彼の方もそうで、驚いた表情で固まっていた。
「お前みたいなのがうろちょろすると迷惑なんだ」
その言葉を聞いた女子達が「もうこんな奴放っとこう」と怒り心頭の様子で、姫野を引っ張っていった。
「迷惑掛けたくないから関わらないで、でしょ、さかちゃん」
三谷がいつの間にか俺の隣に立っていて、今まで見たことないほど真面目な顔で俺を真っ直ぐに見上げていた。
「俺は迷惑じゃないから、一緒にいるよ」
その言葉に「ああ」と一言呟き、三谷と昼食を取りに学食に向かった。
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