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第1話

高梨(タカナシ)ちょっといいか」  廊下を歩いていると担任のテツロウこと越野先生に呼ばれて俺は「はーい」とついていく。数学準備室と書かれたプレートを見つつ中に入ると書類の束を渡された。 「なんですかこれ」 「宿題のプリント、みんなに配っといて」 「え、それくらい自分でやればいいじゃないですか」 「さっき授業のとき持っていき忘れたんだよー、今さら俺が配るとブーイングが起きるだろー」 「今ここで俺からブーイング起きてますけど」 「起きてないし。高梨一人ならなんともないから。頼むよーチョコあげるから」  いい大人が手を合わせてお願いする様に嫌と言えず、チョコひとかけらで俺はめんどくさい仕事を引き受けた。  結局プリントを配りみんなのブーイングを一身に受けたのは俺だ。理不尽だと思いつつ先程もらったチョコを食べていると隣の席で仲のいい吉田が話しかけてきた。 「高梨またテツロウの雑用引き受けたの? あんまりテツロウ甘やかさない方がいいんじゃないの」 「……甘やかしてるつもりはないけど」 「だってこの前もなんか荷物運んでたし……あと鍵閉めたりとかしてなかった?」 「……俺が雑用してるの知ってるなら手伝ってくれてもいいと思うけど」  横目で見ながら言うと「だってテツロウのご指名だし」と顔をそらす。そのまま見てると「いつもありがとな」と肩を叩いてくるので思わず笑っていると噂のテツロウが颯爽と教室に入って来た。  とたん盛大なブーイングが沸き起こる。  ……なんだ結局ブーイングが起きるんじゃないか。さっきの俺の雑用は意味がないのではないか、ブーイングのされ損だ──そう思いながらクラスの皆からのブーイングに狼狽えている担任を見ていた。  俺のクラス1年E組の担任、越野哲朗(コシノテツロウ)は教師3年目の数学担当。優男で顔が良いうえ性格も気さくなので話しかけやすく、女子にも男子にも人気がある。  こんな人生イージーモードなスペックなのになんで高校の教師なんてめんどくさくてしんどそうな職を選んだのか正直理解に苦しむ。  以前、女子高生が好きだからですかと聞いてみたら「それには一番手を出しちゃいけない職業だよね……」と遠い目をして言っていた。  結局「なんか、成り行きで……」ということだが教師というものは成り行きでなるものなのだろうか。ドラマじゃないがもっと熱い思いみたいなものを持ってなる職業じゃないのか──そんなことを言ったところ「ドラマの見すぎだよ」と呆れるように言われた。 「実際グレートなティーチャーなんていないし俺は定年まで何事もなく勤めあげればそれでいいんだよね」  見た目とは裏腹な地味な人生を希望しているようだ、それなら普通に公務員になって役所にでも勤めている方がよかったのではないか──と密かに思っている。  帰りのHR終了後「高梨、あとで準備室きて」とテツロウが言った。またなにか雑用だろうか。吉田の物言いたげな視線を受けて「一緒にいく?」とお誘いをしてみた。  しかし「結構です」ときっぱり言い切ったあとお疲れっと言って吉田は帰ってしまった。 「なんの雑用ですか」と言いながら準備室のドアを開けると、そこにはお茶とお菓子と笑顔のテツロウが待っていた。 「……いったいどんなしんどい雑用やらせる気なんですか」 「人聞きの悪いこと言うなよ。いつも手伝ってくれることへの労いをこめたささやかなお礼の気持ちだよ」  そう笑顔で言うテツロウを訝しげな顔で見ていると、テツロウは咳払いをして「まあ、座って」と席に手を向けた。その席に座りつつもなお、訝しげにテツロウを見ていると「はい、ごめんなさい。頼みがありますお願いします」と俺に頭を下げてきた。 「なんですか」 「高梨さぁ、クラスにそういえば見たことないなぁってクラスメイトいるだろ?」 「……あぁいますね。窓際の一番後ろの席の…………俺、常々思ってるんですけどあそこって一番いい席じゃないですか。あいつ学校来ないならあの席廊下側の一番後ろにしません?」 「ん? 俺は別にそれでもいいけど……いや、そうじゃなくてさぁ……高梨くんちょっと一度行ってみてくれないかなぁって」 「……どこにですか?」 「ほら……その、桐生の家」 「キリュウ……って名前でしたっけ」 「桐生景(キリュウケイ)ね。ちょっと教頭に言われちゃってさ……俺もね、一週間に一回は電話してるし、だいたい二週間に一回は訪問してるんだよ。会えないけど」 「……なんで俺が……」 「……ほら、人畜無害そうだし」  目を反らしながらテツロウが言う。  なるほど、確かにこれはめんどくさそうな話だ。お茶とお菓子に納得して遠慮せずお菓子を食べ始めた。 「……どうかな」  そう恐る恐る聞いてくる声を残念ながら断る理由はない。 「俺が行ってもなにも変わらないと思いますよ。それにこういうのって逆効果なんじゃないですか」 「……まぁアリバイ作りみたいなものだから」 「行ったという事実が大事だと……」  テツロウは肯定することなく目をそらした。本当に教師ってのはめんどくさい職業だなと思う。 「……どこら辺ですか」  そういうとテツロウの顔がパッと明るくなった。ありがとうと言って俺の手を取り上下に振る。こんどアイスでも奢ってくださいと言うと「奢るよー、いくらでも奢るよー」と嬉しそうだ。  俺も内心嬉しくなる、しかしそれを顔に出すことなく──むしろめんどくさそうな顔をしながら桐生の家の場所を聞き、準備室を後にした。  桐生がどんな人物なのか事前情報は俺にない。テツロウに聞いたところ「頭いいよ、実力テストはトップだったんだよ……まぁだから授業にでないのかもしれないけど……正直困るよね」そんな本音がこぼれた。  そんな人間がなんでこんな中途半端な学力の高校に通っているのか謎だが家の場所を聞いて納得した。桐生の家はこの高校から徒歩5分のところにあった。  きっと家から近いからこの高校にしたのだろう、しかし自分の学力に合わないから授業がかったるくて出たくないのだろう。ただのわがままじゃないのか?  そんなことを勝手に思いながら桐生の家に行く。  俺も家から徒歩5分のところに高校がある。しかしそこは残念ながら県下トップ校のため俺にはご縁がなかった。よって俺はこの高校に片道40分かけて通っている。俺と桐生の家が逆だったら双方幸せだっただろうが、なかなか人生というものはままならないものなのだろう。  桐生の家にはすぐついた。  そこにはコンクリート作りの塀と立派な門扉が見える……というかそれしか見えない。ぐるっと立派な塀にかこまれ建物は屋根っぽいものがちらりと見えるくらいだ。  こんなのは聞いていない。  テツロウから託されたプリントを握りしめ若干緊張しながら門の横につけられたボタンを押した。 「はーい」と思いのほか朗らかな雰囲気の女の人の声が聞こえる。 「桐生くんと同じクラスのものですが……」  自分の名前を言うべきか一瞬迷う。おそらく桐生は俺の名前など知らないだろう。それでも「高梨です」と言うと「あらお友達?」と嬉しそうな声が聞こえた。  友達ではない、顔も知らない、存在も今日思い出した。プリントだけ渡して帰ろうと思っていたので少し罪悪感がわく。 「あの、プリントを……」そう言うと「ありがとう、ちょっと待ってね」という声が聞こえ少しして、きれいな優しそうな女の人が出てきた。  ……お母さんだろうか、それにしては若い。お姉さんでも違和感がない。どちらにしても俺のミッションはプリントを渡すことであり、それさえ渡したら帰るつもりだ。 「これ、学校の──」 「景も呼んだから、高梨くん……だったかしら食べられないものとかある?」 「……いえ、特には……あ、でも俺すぐに帰るので」 「お茶ぐらい飲んでいって。景のお友だちが来るの本当に久しぶりだから」  嬉しそうにそう言って、お母さん?は俺をじっと見つめる。  桐生からすれば誰だお前という感じだろう、しかしこれを断ることは…………俺にはできない。お邪魔しますと言って俺は桐生家に足を踏み入れた。  門扉から想像できる通り、桐生の家は中も豪勢だった。あの庭の奥に見えるのはプールではないだろうか。ほんとにこういう豪邸ってあるんだなと思いながらリビングのソファに促されて座る。 「ちょっと待っててね」と言っておそらく桐生のお母さんは奥に消えていった。  俺は何をしているのだろうか、これはアイスの一個や二個では割りに合わないのではないか。プリントを握りしめながらそんな事を考えていると「だれ?」という声が聞こえた。  そこには先程の女の人に似たきれいな顔立ちの、しかし朗らかそうな雰囲気はどこかに消えてしまって手足がひょろ長く伸びた男がいた。 「桐生?」 「……そうだけど……なんかすぐ来いっていうからなにかと思ったら。なに君、あの担任になんか言われたの?」  剣のある言い方だった。やっぱり逆効果だったんだろうなと思いながらプリントを差し出す。 「なにそれ」 「文理選択のプリント、これ届けに来た。まあ確かに担任に言われたけど……言われたのはアイス奢るってことだけだよ」 「……なにそれ」 「だから、これ桐生に渡してくれたら今度アイス奢るって言われた」 「…………学校来いってことじゃないの」 「そんなことは頼まれてないよ」  桐生はプリントを受けとると「郵便受けにいれておけばいいのに……」と呟いた……そういえばそうだ。   「お待たせ、たくさん食べてね」  そう言って桐生の、たぶんお母さんが持ってきたのはケーキだった……しかもホールの……。  俺はここに突然来たという自覚がある。予告なく突然きた客にケーキが出てくる事なんてアニメのなかくらいだろうと思っている。だから俺がこう思ってしまったのは仕方のないことだと思う。 「誰か誕生日なの?」  俺のそんな問に二人は吹き出して笑った。  我が家ではホールのケーキなど誕生日とクリスマスくらいしか出て来ない。そしてケーキとは店で買うものだ。  知識としては知っている。ケーキは家で手作りできるものでそれを作る事が趣味だという人がいることを。  桐生の家で出されたケーキは表面にチョコレートがコーティングされていて中のスポンジは何層かにわかれているという非常に手の込んだものだった。  俺はそれがここで手作りされたという事実に興奮し、すごいと美味しいを連呼した。  そして桐生がうらやましいという事も何回か口にした。実は俺は甘党だ。だが家族にはその事実はあまり認知されていないようでおやつは──基本的におやつが常備されている家ではないのだがあったとしても煎餅とか塩味系のものが多い。  自分でたまにプリンなどを買っても弟に見つかるとずるいを連呼されるので自然とコソコソする事になり、家で心安らかにスイーツを食べる事ができない。  そんなわけで心の底から何回目かのうらやましいを口にした俺に「明日も来る?」と桐生が言った。 「えっ」 「どうせ明日も作るんだろうし──」  そう言ってお母さんを見るので、俺もそちらに顔を向けるとなんだかとても嬉しそうな期待に満ちた顔をしていた。  そして俺は明日も同じ時間に来る事を約束して桐生家を後にした。 「え、中そんなすごいの」 「たぶんあれはプールだと思うんですけど……ありましたよ」 「へー、俺いっつもインターホン止まりなのに、やっぱり同年代が行くと違うね」  昨日の報告をしているとテツロウが感心したように言った。 「どう? 学校には来そう?」 「さあ、そんな話は一切してないです」 「……そうなの、なんの話したの?」  俺は一瞬悩んだ後ケーキを食べた話をした。しかもあの美味しさを思い出したら若干興奮したらしく「高梨本当に甘い物好きだな」とテツロウに引き気味に言われてしまった。 「じゃあ結局桐生とはあんまり話してないんだ」 「……すいません」 「ああ、いいよ。全然謝るようなことじゃないから。むしろこっちは感謝したいくらいだから、ありがとな」  笑顔でそう言われたので、少し目線をそらせて今日も行くのだということを伝えた。 「え、なんで?」 「なんか、ケーキが……」 「…………高梨、知らない人にチョコあげるとか言われてもついてったらダメだよ」 「……どういう意味ですか」  それについては返答がなく、テツロウはそうかよろしくなと言って俺の肩を軽くたたいた。  昨日と同じ時間に桐生の家を訪れ、インターホンを押すと「入ってー」という女性の声が聞こえ門が自動で開いた。驚きつつもお邪魔しますと邸内に入り玄関まで行くと玄関も俺が触れることなく勝手に開く。 「すごいな」と呟くと「なにが?」と楽しそうな声が聞こえた。桐生が玄関を開けて俺を出迎えてくれていた。 「門が自動だったから玄関まで自動なのかと思って」 「あーそういうことね」と言いながら昨日と同じリビングに通される。するとそこにはとてもきれいな彩りのフルーツタルトが鎮座していた。  思わず桐生を見ると笑われた。 「本当に幸せそうに食べるね」  驚いたような顔で桐生が言う。仕方のないことだ、幸せなのだから。  我が家ではケーキといえば生クリームのスポンジのやつと決まっている。父親がそういう宗派なのだと思ってもらえばいいだろう、それ以外はケーキに非ずという空気が我が家にはある。  せめて自分の誕生日くらいケーキを自分で選びたい、そう言ったら自分で買えばいいと言われ俺は泣く泣く諦めた。自分の誕生日ケーキを自分で買うってなんだ。  その諦めた俺の憧れフルーツタルトを、気がついたら俺はひとりで半分ほど平らげていた。  さすがにまずいのでは……と肩身を狭くし桐生を伺うと不思議そうな顔をされた。 「なに?」 「ちょっと調子に乗って食べすぎましたごめんなさい」 「ああ、いいのに、いつも余ったら捨ててるから」  ──なん……だと。 「あの人いつも家族の人数考えずに作りやすい分量で作るからたいてい余るんだよ、人にあげたりもしてるらしいけど食べられないのは……捨てるしかないよね」 「このフルーツタルトも……」 「今日は父親もいないから他に食べる人いないし──捨てる?」  桐生が奥に向かって叫ぶと奥から「余ったら」と返答がきた、思わずタルトの皿を掴む。 「どうぞ」と笑いながら桐生が言うのでさすがに恥ずかしくなった。  どうしたのと奥から紅茶のおかわりを持って桐生のお母さんが来たので「ものすごく美味しくて食べすぎました。もっと食べていいですか」と聞くと笑顔で「全部どうぞ」と言われる。  もう恥はかなぐり捨てて全部食べる。  結局ほとんどひとりで食べたかもしれない。 「今まででいちばん誕生日みたいだった」と呟くと紅茶を飲んでいた桐生が吹き出した。 「汚いな」 「高梨のせいだよ」  そんなことを笑って言いながら汚れたところを拭く。 「週3くらいで何かしら作ってるから食べにおいでよ」と言われた。  さすがに遠慮すると「是非お願い」と桐生のお母さんに手を握られまっすぐ目を見て懇願された。  それになぜか俺もお願いしますと言って桐生と連絡先を交換して家に帰る。  以上をテツロウに報告した。 「そんなにお母さんお菓子作り上手なんだ」 「あれは……プロですね」 「それで連絡先も交換できたと……」 「きょうはプリンらしいです」  プリンって作れるんですねとしみじみ言うと俺も作ったことあるよとテツロウが言った。 「え、どうやって……」 「けっこう簡単だったよ」 「素……みたいなやつですか」 「……違うよ。まあでも仲良くなってくれたならそれだけで安心だな、高梨にお願いしてよかった。高梨もいちいち報告するの大変だろうし、もし桐生が学校来たいって言ってたら教えてくれればいいから」  優しい笑顔で言われる。  確かにいちいち事細かに報告する事でもないのだろう、褒められようと思って桐生と親しくなったわけではない……。 「そうですね」と俺も笑顔でこたえた。  それから何度かスイーツをご馳走になり、ある日桐生にちょっといいかと部屋に誘われた。はじめて入った桐生の部屋は弟と一緒の俺の部屋とは違って広く、とてもシンプルなものだった。  「学校に行こうと思う」と言われた。  特に理由も聞かず「そうか」とだけこたえる。  でも、嬉しそうな顔をしたのかもしれない。桐生が俺を見て微笑んだので少し胸が痛んだ。  桐生が学校に来るとテツロウに報告した。 「そっか、高梨ありがとな」  とても優しく微笑まれたので、目をわずかにそらし「……いえ、別に」と小さな声で言った。  するとテツロウの手が軽く頭に触れて、「よかったな」と言う。 「……そうですね」と俺も笑顔でこたえる。  俺は桐生のことを全然知らなかったが、桐生は地元では有名だったらしい。見た目も頭もよく家もお金持ち、確かにそうだろうなと思う。  そんな桐生が学校に来ない理由も皆薄々察していて、でも何もできなかったのだと吉田に言われた。 「吉田同じ中学だったんだ」 「地元だからな。だからあえてテツロウはお前を桐生のとこに送り込んだんだろ。桐生のこと知らないし、すごいお人好しだし」 「……俺、お人好しじゃないけどね」 「またまた、俺は将来お前が誰かに騙されたりしないかと心配だよ、拝み倒したら保証人とかホイホイなりそうじゃん」 「さすがに……それは……」  しかし断ることが苦手な性格なのは自覚している。 「でも…………ありがとな」 「……なんで?」 「…………なんとなく。いいやつなんだよ桐生」 「ああ……なんとなく、知ってる」  ──桐生はいいやつだ。  この学校には桐生の知り合いがたくさんいるはずで、俺の役目は終わったのかと思っていた。でも桐生は俺と一緒にいることが多く、周りもそれを気にしない。 「高梨、ちょっと手伝ってー」 「はーい」 「(リツ)、俺も一緒にいくよ」 「……景、ありがとう」  ありがとうって何?と景が言った。確かに俺が言う言葉ではないかもしれない。礼を言うべきなのは前を歩くテツロウだろう。 「律、今日はマカロンだって」 「え、そんなのできるの。テレビでしか見たことないよ、手間がかかるんじゃない」 「手間がかかるやつほど燃えるんじゃない?」 「……そういうもんなんだ」 「いいなー、俺も食べたいなー」  準備室を開けながらテツロウが言うのを聞いて、景が俺を見て微笑んだ。 「ちょっと量が多くないですか?」  目の前にはプリントの山がある。これをまとめて綴じろということらしい。 「まぁ、一学年分だからね」 「これを俺一人にさせる気だったんですか?」 「……さすがに一緒にするつもりだったよ。でも桐生がいるならちょっと職員室行ってきてもいいかな」  テツロウが俺たちを見ながら言うそれに「いいですよ」と景が言う。 「終わったらそのままにして帰っていいから。あ、あとこれ報酬の先払い」  そう言って小分けのチョコが一つずつ手渡された。 「……これだけですか」と景が言うのに「俺にはこれが精一杯なの」と笑いながらテツロウは去っていった。 「どうしたの?チョコ見つめて」 「……非常食として取っておこうかな」 「なにそれ、じゃあ俺のぶんもあげる」  楽しそうに景が俺の手の上にチョコをもう一つ置いた。 「……ありがとう」 「いいけど……律、知らない人にチョコ上げるって言われてもついていったらだめだよ」 「……なんで?それテツロウにも言われた」 「チョコ見てすごく嬉しそうにしてるから……本当に甘いもの好きだね」 「……そうだね」  俺がチョコを鞄に仕舞っている間に、景は作業に取りかかっていた。 「──そういえば」  目線は手元におろしたまま、すばやく作業をしながら景が言う。早い、手際がいい。 「なに?」 「アイス、おごってもらったの?」 「あー、それは…………もういいかな」 「そうなんだ…………律、ボーッとしてないで手を動かして、早く終わらせるよ」 「なんでそんな急いでるの」 「……競争」  そう言って景がさらにスピードをあげたので慌てて俺も取りかかる。結果、景が俺の倍の量を完成させ10分もかからず雑用は終わった。この後はマカロンが待っている。 「律、行くよ」  先に歩き出す景を追いかけた。  相変わらず、スイーツがある日は景と一緒に景の家に行く。しかし本来電車通学の俺は校門を出ると景の家とは別の方向へ歩いて行くので毎日一緒に帰る事はない。  放課後、荷物を持って皆が行く昇降口の反対方向へ歩き出すと景に声をかけられた。今日はスイーツのお誘いはないはずだ。 「律、どこ行くの?」 「授業でわからない所があったからちょっと聞きに行こうかと思って」 「なに……数学? よかったら俺教えようか?」 「……え」 「俺、数学が一番得意だから。この前の模試よかったの知ってるだろ」 「あ……うん、でも……面倒じゃない?」 「そんなことないよ。教えるのってけっこう勉強になるし……そうだな、家おいでよ」 「……でも今日は……」 「手作りおやつはないけど何かあるよ。……うん、おやつがある時しか来ないってのもよく考えたら変だな。律はいつでも家に来ていいのに」 「お邪魔じゃ……」 「何言ってるの、律が邪魔なわけないだろ。母さんも喜ぶし……あ、凝ったものはないけど何かできるんじゃないかな連絡しておこうか」 「いいよ、いいよ……なんか悪いよ」 「気にしなくていいのに……じゃあ行こうか」 「…………あーうん、よろしく」  機嫌良さそうに歩く景を見ながら鞄を探る。 「あれ?それこの前の非常食?」 「……うん」 「律、本当に甘いもの好きだね」 「…………そうだね」  そう言いながら、俺はチョコをひとつ口に入れた。

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