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第2話
「律、遅かったね」
「うん、先輩の実験の被験者にされて……どうしよう、俺半分寝てた。データ見て先輩困惑してた」
「それは……災難だったね」
……誰に向けての言葉だろうか。
大学生になって景は一人暮らしを始めた。
大学は実家から一時間も離れていないので十分通えると思うが……そこは、お金のある家は違うんだなと思うしかない。2LDKの広いマンションに一人暮らしをしている。
そして景のお母さん、爽子 さんの作るおやつの習慣も健在だ。爽子さんはおやつを作りわざわざこのマンションまで車で届ける。そしてそれを俺と景の二人で食べる。
「何飲む?、コーヒー?紅茶?」
「苺大福って言ってなかった?」
「……緑茶?」
「それで」
お茶と苺大福が用意されたダイニングテーブルに腰掛けると景がスマホを構える。
「本当にそれやめて欲しいんだけど」
「これは母親命令だから、これ見るためにあの人はおやつ作ってここまで運んでるから無理」
「自分が美味しそうに食べてそれ撮って送ったら」
「……うちはそんな恥ずかしいことをするような家族じゃない」
……なにが違うのかよくわからないが俺が食べている様子を何枚か撮り、満足そうに景も苺大福を食べ始めた。
相変わらず爽子さんの手作りスイーツは美味しい。もう普通の店のものでは満足できない味覚にされてしまった。
「……しまったな。今の顔も撮ればよかった」
「ん?」
「満足そうな顔してた」
「……苺大福6個も食べれば大満足だよ。もう晩御飯もいらないかも」
俺の言葉を受けて景が笑う。とても慣れた、心地のよい空気がここにはある。
「………あれ、もしかして帰るの?」
「……もしかしてって……帰るけど……」
「律の部屋そこにあるのに?」
景は俺とルームシェアをするからと言ってこの広いマンションを借りた──そんな相談など俺は一切受けていない。
そんなことを言われて簡単にこんなところを借りる景の親もどうかと思う。でも、ここから俺の大学に行く時間と実家から俺の大学に行く時間はほとんど変わらない。ここのが駅に近いので若干徒歩の時間が短いぐらいだ。そんなルームシェアをする必要があるのかと俺も、俺の親も疑問を抱いている。
でも景の親に是非と言われてしまうと断りきれないのは俺の親も同様だ。いまはまだのらりくらりと回避しているがきっとそのうちここに住むのだろうなとぼんやり思っている。
そしてここに住んだら、俺はもう景を受け入れるしかないのだ。
高校の卒業式の日に景から告白された。
ずっと好きだったと言われて、驚いた顔をしたけれど──俺はそれを知っていた、知っていて知らないふりをしていた。
なぜなら俺にはほかに好きな人がいた。
高校に入ってその人に抱いた感情は最初は憧れのようなものだった、そしてそれがすぐに好きに変わった。初恋だった。
でも伝えるつもりはなかった。年も離れているし、立場も違うし、男同士なんてどう考えても無理な話だ。だから片思いでもよかった。幸い俺はほかのやつよりも少しだけその人のそばにいて、それだけでよかった。たまに貰えるチョコの甘さに満足していた。
頼まれることが嬉しかった、その嬉しさを必死に隠してめんどくさそうな顔をして、簡単な雑用をしてご褒美にチョコをもらう。俺が嬉しそうな顔をすると、本当に甘いものが好きだなとその人も嬉しそうな顔をした。
だから断れるわけなかった、断るつもりもなかった。いつもと同じ雑用の感覚で景の家に行った。
たまたまだったのだ、いつもなら景が嫌がるからと景のお母さんは友達の訪問も、もう断っていたらしい。
たまたま、とても上手にケーキができたのだと言っていた。
景は高校受験に失敗した。
そもそも精神的に不安定になり受験できるような状態ではなかったのだとあとから聞いた。それでもせめてここぐらいはと受けた俺の高校にすんなり受かっているので俺は複雑な気分になった。
でも、もともと行く気のない高校にはやっぱり行く気にならず家で鬱ぎ込み部屋からもあまり出なかったのだという、そんな家に……それはどうかと思うのだが、父親はあまり寄り付かなくなり、母親はただひたすら趣味のお菓子を作っては捨てていたらしい。
ただその日のケーキは捨てるには惜しいくらい良くできたのだと、あとから爽子さんは俺に言った。
捨てられずにボーッとしていたら俺がやってきた。そして俺にケーキを出したら俺の一言に久しぶりに景が笑ったのだと嬉しそうに爽子さんは言った。
だから景が次の日もと言ったのはとても嬉しかったし腕によりをかけてあのフルーツタルトは作ったのだそうだ。そして、それを見た景が「絶対よろこぶね」と笑ったので思わず泣いてしまったのだと、やっぱり泣きながら爽子さんは言った。
ありがとうと言われた、でも俺にそんなつもりはなかった。俺はただ……これであの人が喜んでくれると思っていた、また褒めてもらえると……そう思っていた。
景が学校に行くと言ったときも嬉しくてはやく報告がしたかった。でもそんな俺を見て景が嬉しそうにしたので、すこし、まずいなと思った。
景が学校に来るようになり、以前の友人たちではなく俺と一緒に行動するようになって、俺は「俺と一緒にいていいのか」と聞いてみた。
景は不思議そうな顔をして「いいよ、何か問題がある?」と言った。
問題はないのかもしれない、景の友人たちも俺のおかげで景が学校に来るようになった──ありがとう、そう俺に言っていた。もともと有名人で人望もあった景が鬱ぎ込んだことに友人たちも心を痛めていて、俺が何をしたわけではないと言っても、それでも俺に感謝を言うくらい景は慕われていた。
俺は鬱ぎ込んだ景を知らない。
俺が最初に会ったあの日から景は笑っていた。
俺の打算など知らず景は笑っていた。
だから……すこし罪悪感を持っていた。
だから……俺は景と一緒にいた。
あの人の雑用を景と二人でするようになった。ご褒美のチョコを景は自分の分も俺にくれる。でも景がいつも俺のそばにいるので二人きりであの人に会うことがほとんどできなくて、そのもやもやをもらったチョコを食べてごまかした。
何度か景に言ってしまおうかと思った……でも言えなかった。伝えるつもりがなかったそれをほかの人に言うことが嫌だった。それに……景には言えない。言ってしまったらまた景が鬱ぎ込むのではないか、そうするとまたたくさんの人が悲しむ、そんな予感がした。
きっとその頃からなんとなく知っていたのだ、景が俺のことを好きだと。
ずるいと思った、だから景が何か言いたそうなときはいつも他のことでごまかした。
そしてついに卒業式の日に景が俺に言った好きだというその答えを……俺はまだ返せていない。
初恋は叶わない、そもそも叶える気なんてなかった、ただ想っていただけだ。それでいいと思っていたのにいまだに引きずっている。
最後にもらったチョコがまだ食べられずに手元にある。
小さな袋の中はきっと何度も溶けては固まり原型を留めていない、味も悪くなっているだろうそれが常にカバンに入っている。知らない人がみればただのゴミだろう。でもまだ、まるでお守りのように持ち歩いている。
「兄貴さぁ、いつ引っ越すの?」
高校生になった弟が二段ベッドの上の段にいる俺の顔をのぞきこんで聞いてきた。
景の実家の景の部屋よりも狭い子供部屋にいまだに弟と一緒にいる。最近よく聞いてくるその問いにもう何度も言ったいつもの返答をした。
「そのうち出てくよ」
「そのうちっていつだよ、家賃もいらないって言ってるんだろ、早く出てけばいいじゃん」
「なに、ナオ最近やけにそれ聞いてくるけど……彼女でもできたの?」
「…………うるさいなぁ………そうだよ。こんなんじゃ電話もろくにできないだろ」
「……高校生のくせに」
「いいだろ、自分が彼女出来なかったからって僻むなよ」
「……僻んでないよ」
「…………っていうかさぁ…………兄貴、景さんと付き合ってるんじゃないの」
「…………なんでそう思った?」
「だって、県外とか遠くにいったわけじゃないのにルームシェアとか……変じゃない?しかも家賃全部持つとか、まあお金持ちなんだろうけど……仲良すぎるっていうか、良くわかんないじゃん」
「……それで?」
「いや、それでじゃないけど……なんかなんとなく、兄貴たち見てるとそうなのかなって思ってた」
「……そうなの」
思いのほか冷静に話す弟をみて大きくなったのだなと感慨深くなる。昔は隠れて捨てたプリンの空き容器を見つけてずるいだなんだと一時間近く泣いていたのに……。
ベッドから降りて部屋にある小さな座卓の前に座ると弟も俺の向かいに座った。
「尚樹くん」
「あらたまって何?」
「……お兄ちゃんさぁ、実はゲイなんだよね」
「うん、だから景さんと付き合ってるんだろ」
「……いや、付き合ってない」
「そうなの?いつから付き合うの」
「なんで付き合うの確定なの?」
「もう部屋借りてるんだろ」
「あれは景が勝手に借りただけで俺は聞いてないんだよ」
「でも、そのうち出てくって何度も言ってるじゃん、そのうち一緒に住むってことは付き合うってことじゃないの」
そういうことになるのだろうか、景にもそのうちと言ってろくに断らずに引き伸ばしている。だからきっと景もそのうち俺がやって来ると思ってあまりしつこく言ってのこないのだろうか。
「……ナオはどう思う?」
「どうって?」
「俺と景が……その、付き合うとかそういうの」
「俺はもう付き合ってると思ってたから……でも、いいんじゃないの。景さんかっこいいし優しいし頭いいしお金持ちだし、兄貴玉の輿じゃん」
「……ナオくん、お兄ちゃんは男だよ」
「わかってるよ。でも景さんみたいな優しいお兄ちゃん欲しいからいいよ。勉強教えるのも兄貴より全然わかりやすいし、高校で景さんの知り合いだっていうとけっこう羨ましがられるんだよね。すごいよね」
さすが景というべきか、弟の心も鷲掴みしているようだ。
しかしそんな景を称賛した弟はその後少し言葉につまり言いよどんで俺を見た。
「…………でも、もし兄貴が嫌だって言うなら無理に付き合うこともないと思うけど」
「どういうこと?」
「付き合ってると思ってた俺が言うのもなんだけど……きっとまわりも兄貴と景さんが一緒にいるの当たり前だって思ってる。でももし兄貴がそれ嫌なら嫌だって言えばいいんじゃないの」
「……そう……見える?」
「見えないから考えたことなかったけど、一緒に暮らさない理由考えたら……そういう可能性もあるのかと思った」
「……嫌じゃ……ないんだよ」
嫌ではない、あの部屋で暮らすことだって想像できないわけではない、ただ踏ん切りがつかないのだ。
「……ナオ、テツ……越野先生元気?」
「テツロウ先生? 元気だよ、よく兄貴のこと聞かれる、仲良かったの」
「ナオ知らなかったっけ、俺3年間あの人が担任だったよ」
「そうなの?理系だから?」
「……うん」
そのために理系にいったのだ、決して数学が得意だったからではない。その得意ではない数学を理系でもなんとかやっていけるように根気強く教えてくれたのは景だ。そして景もまた、俺とずっと同じクラスだった。
景は知っていたのだろうか、知っていたかもしれない。
そうだ、きっと知っていた。
だから俺に自分のチョコをくれていた。
「本当に好きだね」そう言って笑いながら……。
「……ナオ、俺ちょっと景のとこ行ってくる」
「え、こんな時間に?」
「……あと来週には引っ越すから」
「え、急じゃない?」
「…………なんだよ、早く出てけって言ったのお前だろ」
「そうだけど……」
「……もしかして寂しいの」
「っんなわけないだろ、でも……俺兄貴を追い出したいわけじゃないよ」
「……なんか、今日のナオかわいいな」
「はあ? 変なこと言うなよ」
「ごめんごめん……追い出されてないよ、自分から出ていくんだ。俺……景のこと好きなんだ。ただ踏ん切りがつかなくて……ナオに話せてよかった。ありがとな──まあそういうわけで今日は向こう泊まるから、好きに電話していいぞ」
「なっ! ……勝手にしろ!」
ナオは顔を赤くして結局俺を追い出した。
駅に向かう途中で景に連絡しようとしてやめる。驚かせたいのもあるが、連絡すると迎えに来そうというのもある。変化球として爽子さんがやって来る可能性だってある。
さすがにそれはどうなんだろうと思いながら、俺はかたちの悪いチョコをひとつ口に入れた。
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