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「俺、お前のこと好きだ。恋愛対象として」
ある日、新卒で同期の中崎藤真 に告白された。
それは悩みごとを打ち明けたり、嘘を白状するという意味ではない。
しかも本人はご丁寧に、“恋愛対象”と言ってきている。
つまり俺は本気の告白を、なぜか自分と同性である男に打ち明けられたのだ。
都心にあるオフィス街の一角に、中小企業が集まる高層ビルフロアを、半分も占領した外資系の企業がある。
そんな場所に運良く就職した俺は、厳しいと噂だった三ヶ月の研修期間を、なんとか無事に終えることができた。
けれどそんな苦労も水の泡で、希望の部署には配属されずに、苦手なデスクワークを強いられている。
毎日定時には退社することができているが、翌日分の資料やデータを見ると帰り道は億劫だった。
梅雨も終わりに近いこの時期、蒸し暑くいつ降りだすかもわからない雲行きを怪しみ帰路を急ぐ。
遅延した電車をホームで待ちながら、ぞくぞくと並ぶ列の一部になった。
前に立つ他人の背中を見て、同期の面影を重ねる。
俺の知るそいつは背が高くて、オフィス内の女性たちから人気を集める、指折りのイケメンだった。
一日中脳内から消えない出来事を思い返して、そんなイケメンの同期から打ち明けられた、信じられない言葉を思い出す。
昼の12時ぴったりに、おかしな音楽のながれる会社だった。
アップテンポの曲が流れ始めると、同期の中崎藤真からいつものように昼食への誘がくる。
淡いブルーのシャツに、濃紺のネクタイを締めた姿はひとめを引く。首から下げたていた社員証は、ボトムのサイドポケットへ突っ込んでいた。
俺は誘いを快く受けて、椅子の背もたれにかけておいたジャケットを羽織りながらオフィスを出る。
中崎を後ろに引き連れていく俺を、恨めしそうに見つめる女性社員の視線が痛いのはいつものことだ。
昼を一緒にするときは、コンビニか近くの定食屋へ行くのが定番だった。
特に店へのこだわりがあるわけではない。短い昼休憩でさっさと飯にありつけるのが好ましい。
「今日はどうする?」
混雑するエレベーターの列に混ざりながら、隣へ並んで立つ中崎の意見を聞く。
「木曜だし、八亭 にいくか?今日ならサラダが無料だ」
「サラダ無料って、女子だなお前は」
自分たちが勤めるオフィスの近くには、曜日ごとに様々なサービスを提供する飲食店が多く立ち並ぶ地域があった。
木曜日である今日も、八亭という定食屋がランチのみサラダ無料というサービスを行っている。
中崎は多々ある店のサービスをいちいち覚えていて、そういう細かいところが仕事の成績にも出ていた。社内では要領よくこなしているようで、羨ましいか限りだ。
八亭までは、オフィスから歩いて5分。
何度も行き着けている店に、迷うことなどない。
昔ながらの門構えが老舗を思わせて、がらがらと音をたてる戸を開ければ、馴染みの店員が席へと案内する。
店内はすでに混雑状態で、運良く二人並びのカウンター席へと通された。
椅子に座るなり決まったメニューを注文すると、すぐさまサービスであるサラダが出てくる。
「サラダ好きとか、中崎って女子力っていうの?高い気がするよな」
笑いながらサラダをつついて、隣で上品に食べている中崎はあきれたように笑いだした。
「女子力とかなにそれ、俺は宮下の野菜不足を心配してやってるんだぞ。お前こそ名前と体格は女子みたいにかわいいのにな」
にやけ顔を作って俺をからかう相手を、横目で睨み付ける。
「それをいうなよな。しかも体格って、中崎に比較することがまず間違ってるだろ」
親を恨むなら、名前のことだけだと思った。
宮下由貴 、字だけ見ればそうでもないが、子供の頃から「ゆきちゃんゆきちゃん」とまわりから呼ばれ、何度も女と間違われたことがあった。
それはトラウマのようでもあり、親しい間柄であろうと、家族以外は自分のことを名字で呼ぶようにしてもらっている。
体格にしたって、自分は平均的な部類だった。身長は低くもなく、高くもない。
今隣に座っている、一際目立つ容姿をした中崎等真が、比較する対象を己としていることがまず間違いだろう。
中崎は気遣いのできる男で、気さくに誰とでも接することごできる社交性を持ち合わせていた。
そんな完璧な中崎を、俺は好評価、いや高評価している。
出来上がった料理を店員が運んできても、中崎はまず俺の前に善をよこした。
こんななとをさらりとするのだから、社内の女性たちはいちころにちがいない。
合掌して箸をとり、出来立ての料理を頬張る。
他愛のない話をしながら食べ進めるが、中崎とはいつなんどきと会話が途切れたことがない。
なにを話しても面白いし、嫌な顔などしないで俺の話を聞いてくれる。
それはオフィスで孤立していた俺の存在を認めてくれたようにも感じて、その居心地のよさに浸りすぎているのかもしれなかった。
「あー食べた食べた、これで午後もがんばれる。どうする?まだ時間あるな」
八亭は味も接客も人気の店で、毎日混雑する行列店のひとつだ。
オフィスから寄り道せずにきたことで、並ばず入れたことが功を奏し、左腕の文字盤を見れば昼休憩にはまだ余裕があった。
「天気もいいし、たまには食後の運動ってことで、公園まで回り道して帰るとか」
オフィスの近くには飲食店以外に、新緑の木が多く散歩コースを備えた公園がある。
ジョギングするスポーツマンもいれば、親子で楽しむ憩いの場までも設けてある場所だった。
「それもいいな、中崎って普段何かしてるの」
「たまのジョギングくらいで、とくに何もしてないよ」
「それでその体型とか、モテるやつはできが違うね」
会計を済ませて店を出ると、ずらりと並ぶ行列に二人で驚いた。
その中に同じ部署の知った顔を見て、睨まれたように感じたことは無視をする。
嫌な思いをしたと思ったが、それを深く考えなかったのは、中崎がおかしなことをいってきたからだ。
「モテるってそれ本気でいってる?宮下の方がいつも女性社員に社内の飲み会に誘われてるの、知ってるんですけど」
肘で俺の脇をつつくしぐさをしながら笑う相手を、軽く手で遮りながら小さくため息をついた。
中崎は知らないのだ、宮下由貴をなぜ女性社員は飲み会に誘うのか。
「あのな、俺が飲み会に誘われてるのは他に理由があるんだよ」
理由はひとつしかない。
「中崎藤真を一緒に誘って欲しい」
毎回言われるセリフはこれだ。
女性社員が誘いたいのは自分ではなく、この若くてかっこいい中崎藤真なのだ。
直接誘えばいいものを、なぜか同期だからという理由だけで、部署も異なる俺を介してくる。
どんなに面倒でも、女性社員に嫌われたくないものだから、それを笑顔で了承せざるおえない。
疲れの残る週末でも、誘われれば必ず中崎藤真を誘い一緒に参加していた。
中崎自身も一度だって断ることはなかったし、嫌な顔ひとつ見たことがなかった。
けれど今まで一人として、中崎といい仲になった女性社員はいない。
ついでにあたりまえだが、俺はいい雰囲気になった人すらいなかった。
「それって、俺も誘えってやつでしょ?」
自分を指さしながら、こちらを少し覗き込むような格好で言ってくる相手に、悪意は感じない。
「わかってるなら、いうなよな!」
少し大袈裟な態度で中崎に詰め寄ると、それを宥めるように肩を叩かれる。
俺の苦労も知らずに、気楽な雰囲気の相手からふいと顔をそむけた。
「でも違うと思うけどね、それはカモフラなだけであって」
「カモフラってなんだよ」
意味深に言う中崎の続く言葉を待って、並んで隣を歩く少し上の顔色を窺った。
「それはひみつ」
「意味わかんね、ひみつってなんだよ」
笑って誤魔化されながら、公園の散歩コースを進む。
平日の昼間のせいか人はまばらで、茂る木々に隠れた鳥の鳴き声の他には、二人の話し声だけが聞こえた。
「中崎って全然女子軍団と番号とか交換しないよな、なんで?」
以前から素朴な疑問であったことを、聞いてみる気にはなったのは単なる気まぐれだ。
二人で昼間から散歩するなんてことも、滅多にない。
目に余るほどのアプローチを受けている中崎を独占している今、自分は何様なんだと言われるだろう。
それほどこの中崎藤真という男は社内で人気をもっていたし、特定の誰かと遊びにいくという噂すらたたないことで有名なのだ。
「女子軍団ってなんだよ、笑えるな。それに交換しないのは宮下も同じじゃないか」
「普通に全員が中崎目当てなのに、俺が声かけてどうするんだよ」
深くため息をつきながら、中崎を横目に悪態をつくふりをした。
実際目当ての女子社員がいたわけでもないから、中崎を恨む理由はない。だからただの“ふり”だけで、少しは俺の気持ちもわかってほしいという欲が、そういった意味もない行動をとる理由だ。
「そんなことないとおもうよ。経理の芳沢さん、絶対宮下に気があるよ」
芳沢さんといえば、経理課の中で一番美人で有名な女性だった。
「そんなわけあるかよ、全然話したことないし」
男性社員から人気のある芳沢さんとは、飲み会の席で偶然隣になったくらいしか接点はない。
社内ではほとんど仕事以外で会話などしたことがなかったし、向こうから話しかけられるなんてことがあれば、大騒ぎになるはずだ。
「じゃぁさ、芳沢さんに迫られたらどうする?」
一歩前を歩いていた中崎が、いつもより少し低いトーンでぼそりと言う。
歩調を早めて少し前を進む相手の顔は窺い知れず、俺はこの質問の意図すら知ろうともしていなかった。
「迫られたらって、絶対にそんなことあるわけないだろ」
男として美人の女性に迫られたら嬉しいに決まっているが、このオフィスにおいて、俺に振り向く存在がいるはずもない。
しかも男性社員から人気のある芳沢さんと噂にでもなったら、社内での居場所を失いかねない。
前を歩く相手に、少しばかりの独占欲をむき出しにしてみようと思い付いて、冗談混じりに笑いながら答えた。
「まぁ今の俺は、彼女を作るより中崎と飲んでる方が楽しいから断るかもね」
「今の、ほんと?」
すでに数歩先を歩いていた中崎が足を止めて、いきなり振り返る。
意表をつかれて思わず立ち止まるが、相手の胸へ飛び込む寸前だった。
見上げた顔は真剣で、太陽を背にした中崎は木漏れ日の中にいるのに眩しい。
のけ反るような感覚で後に引くが、ふいに腕を掴まれてそれを阻まれた。
「宮下、今のほんと?」
「え、なにが?」
強引に引き寄せられて、近い体が更に相手へと迫る。
急に態度を変えた中崎に驚いて、俺は相手が何に対して聞いてきているのか理解に遅れた。
そのためすぐそこにある相手の切れ長な目を、瞬きもせずに見つめ返すことしかできずにいる。
「だから、おれといるのが一番いいって」
そんなこと言ったっけ、と声には出さない。
似たようなニュアンスを含んだことを言ったのは確かなので、あえて否定はしなかった。
「そ、そうだよ。中崎が一番だよ」
にこりと笑顔で返した俺に、中崎が目を大きく見開いて一瞬沈黙が流れる。
掴まれた腕はまだ解放されず、握る力が増しているようにも感じた。
「……中崎?」
見つめられたまま動くことができず、俺は首をかしげて相手の様子を窺った。
するとはっと我にかえったように、中崎は両腕を伸ばして、向かい合った俺の肩を優しく掴んだ。
その動作はまるでスロー映像を見ている感覚で、共感した周りの空気がゆっくりまとわりつくようだった。
風になびく葉がかさかさと音をたてる。
ゆるやかに流れる時間の中で、開かれた中崎の口元が見てとれた。
「俺、お前のこと好きだ。恋愛対象として」
同期で同性の、社内でも随一の人気をもつ、中崎藤真に告白された。
それがどんな意味を持つのか、今の俺にはうまく頭の中で整理ができない。
「…………へ?」
まぬけな自分の声が、空気のようにもれる。
肩から伝わる相手の体温は熱いくらいで、それを心地いいと思った。
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