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社会人になり会社勤めをすると、学生時代の友人とはなかなか会う機会もなくなる。
親しい人間と言えば家族だけで、それ以外と接触することなどほとんどなくなっていた。
新生活は楽しみばかり、なんてあるはずもない。
希望した部署には自分よりも高学歴の人間が配属され、それを羨ましく遠目で眺めている。
上司からは毎日厳しい指導を受け、取引先にも頭を下げて、営業先では無視をされた。
大学を出たら親元から離れて自立すると決めていたから、今では駅近のロフト付きアパートで独り暮らしを始めている。
一人の時間が増えて順風満帆、など夢のまたゆめだった。
帰宅すれば真っ暗な部屋には、自分を待つ恋人すらいない。
お湯を沸かすくらいしか使ったことないコンロの脇には空き缶が転がり、洗い物がたまったシンクは無視をした。
近くのコンビニで買ってきた廃棄寸前の弁当をむさぼりながら、まとめ買いして冷蔵庫を占領しているビールを飲んで一日を終える。
テレビ番組の笑い声だけが部屋に響いて、俺はひどく孤独を感じた。
それは独り暮らしを始めて数日のうちに、ひしひしと自分を追い込んでいく。
配属先には年上ばかりで、ベテランのアナリストがことあるごとに愚痴をこぼした。
新規入社した人数は多いはずなのに、出入りの多い中枢フロアの部署には、自分一人しか配属されていない。
研修期間中にできたグループメンバーのほとんどが、人気の海外事業部へと選ばれた。
ひとつのフロアにいくつかの部署が混合する場所で、俺のデスクはその一番隅のスペースに用意されていてる。
人目につかないその場所は、社内で孤立して孤独を抱える俺にはぴったりの居所だ。
けれど深く濃い孤独は、そう長く続かなかった。
上司に頼まれた仕事を片付けたのは、すでに定時を過ぎて数時間後。
がらんとしたオフィスの照明を消して、上階から下りてくるエレベーターを待っているときだ。
ぽんとくぐもった到着音と同時に扉が開く。
中には先客が一人いて、俺は軽く頭を下げながらエレベーターへと乗り込む。
行き先を示すランプはすでに目的の一階が点灯していて、わざわざボタンの前に陣取る先客に頼むことも不要だった。
「宮下は今帰り?」
「え?」
突然斜め前に立つ相手に名前を呼ばれて、思わず体がびくついた。
顔を上げれば見覚えのある男に眉を潜める。
「そう、だけど。なんで、俺の名前……」
ブルーのシャツに濃紺のネクタイを締めて、アップバングの髪型はきれいに整えられている。
首から下げた社員証に目をやると、一つ上のフロアにあるマーケティング部とあった。
こちらに笑顔を向ける相手と顔を合わせて、それが社内を騒がせている男だと思い出した俺は少々ギクリとする。
「だって同期だろ。研修のときは別のグループだったけど、宮下有名だったから覚えてるよ」
「有名……?」
名を知られるほど成果も残していない自分に、思い当たるふしもなく顔をしかめた。
「おれは中崎藤真、マーケ部だよ」
「そ、そうなんだ。ごめん、覚えてなくて」
社員証を見ればわかることだったし、すでに社内では女性社員から絶大の人気を誇っている相手を知らないはずはない。
けれどそんな人物を研修中に見落としていたのも事実で、グループが違えど覚えていなかったことは確かだった。
「別にいいって。……それより今から暇?」
「……?特に用事はないけど」
目的の階へ到着して、すでに受付嬢もいない薄暗いロビーを横切る。
まさか駅まで一緒なのかと青ざめた俺は、隣を歩く中崎の、その悪意のない笑顔を横目に見た。
「そう、なら飲みに行かないか」
予想外どころではない、俺には断る勇気などそもそもない。
絶望的な誘いをその場で頷いて承諾したことは、人生の大きな転機となった。
中崎藤真が孤独であったかどうか、俺は知らない。
社内で唯一、敬語も気も使わずに話せる相手がいたことに、飲みに誘われたその日に気がついた。
それ以降中崎とはよく話すようになり、平日であろうと二人で飲みに行くことが増えた。
昼休憩はわざわざ向こうから、俺のいるフロアまで誘いにくる。
一階で待ち合わせをしてもいいはずなのに、それをしないのは、中崎が真摯に迎えにきてくれることへのただの甘えだった。
仕事に関して比較をされることもない相手の存在は、俺にとって大きな意味をもつ。
社内では同等の立場で、なおかつ気を使わなくていい人間などそういない。
それを許されるのだと知った俺は、自分の孤独が薄れていくことに気がついた。
同時に中崎人身も、同じ部署で気の許せる相手がいなかったのでは、などと都合のいい考えが浮かぶ。
そのため偶然孤立した俺を見つけて、孤独を癒しあっているのではなんて浮かれ始めていた。
けれどそんな妄想の果ては、とんでもない相手からの告白で、俺は返事もできないまま一日が過ぎる。
またおかしなメロディーが社内に響き渡り、オフィスはがらりと人気を失くす。
デスクに向き合った俺の肩を、いつものように叩く相手は、その悪意のない笑顔をこちらに向けていた。
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