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第3話 南極が危ない!
金曜夜――。
南極唱和基地の小さなカウンターバーでは、隊員たちがのんびりとした時間を過ごしていた。
カウンターテーブルには車両担当の金子 くん、庶務の富野 くん。カウンターの内側には調理担当の温井 くんがいて、3人はトランプゲームを楽しんでいる。
それから隊長とドクターがまったりとウィスキーを飲んでいたが、彼らは今しがたバーを出ていってしまった。
俺、バーテン役で海洋生物学者の北畠 海人 は、特にすることもなくグラスを磨いている。
もう普段ならバーを閉める時間だ。
しかしまだ、トランプの面々が解散する気配はなさそうだった。
今、南極は極夜 の期間で、昼間もうっすらとしか日が射さない。つまり1日中夜だ。
みんなの体内時計もおかしくなっている。
温井くんが欠伸をかみ殺す音が小さく聞こえた。
「北畠さんもトランプやりましょうよ~」
自分は眠いくせに、なぜか温井くんは俺を誘ってくる。
「いや……、俺はあんまり」
「えー、北畠さんが入ってくれないと僕ばっかり負けます」
そうなんだ、さっきから彼は負けてばかりいる。
「俺が入れば温井くんは負けない?」
「う、そう言われると北畠さんにも勝てる気がしませんが……」
「あがり!」
「俺もあがり! また温井くんがビリだね」
金子くんと富野くんが次々とカードを置き、温井くんがしょんぼりと肩を落とした。
ちなみにこのトランプの弱い温井くんと俺は密かに想い合っている。
目がキラキラと光ったり口をぽかんと開けたりと、表情が分かりやすすぎるのが敗因のひとつだ。
そういうところが恋人としては魅力的なんだけれど……。
そこで金子くんが金色の髪をかき上げた。
「そろそろ飽きてきたな」
「そうだね」
富野くんも太めの体を揺らして同意する。
(よかった、これで負け続きの温井くんも解放される)
そう思っていると……。
「あ、いいこと思いついた!」
「なに?」
「待ってて」
富野くんが席を立ち、どこかから束ねたカードらしきものを持ってきた。
「じゃじゃーん! これ見て!」
「なんだそれ?」
「なんですか?」
金子くん、温井くんの2人が食いつく。
「罰ゲームカード! 倉庫で見つけたんだ。前の隊が置いていったものだと思う」
「へー、面白そう」
「でしょ!? 次に負けた人はこのカードに書いてある罰ゲームをするっていうのはどう? ちょっとは盛り上がるでしょ」
(それって、トランプ苦手な温井くんに不利なんじゃ?)
雲行きが怪しいと思ったけれど、温井くん本人は興味深そうにカードを手に取っていた。
彼はカードに書いてあることを読み上げる。
「えーと“隊長のモノマネ”?」
「ははっ、いきなり難易度高いな!」
「俺はできるぞ!」
笑う富野くんの隣で金子くんが胸を張った。
「次のカードは“語尾『だっちゃ』で24時間過ごす”」
「おおっ、それ温井くんにやらせてみたいな」
「え~、24時間はキツイですって」
金子くんに言われて、温井くんが口をへの字に曲げた。
「それから次、“裸エプロンでお茶を配る”」
「裸……?」
「エプロン?」
金子くん、富野くんの目がソワソワと泳ぎだす。
「女性がいなくてよかったですね。これ、完全にセクハラ……」
温井くんが苦笑いでつっこむけれど、違う。その2人が想像しているのはたぶん……。
「温井くん、それやろう!」
「……えっ?」
「大丈夫だ、俺たち3人しかいない!」
「俺もいる」
二匹の狼がそでを引くのを見て、俺は思わず横から口を挟んでしまった。
だって、温井くんが危ない。
「あれ、北畠さんもトランプやる気になりました?」
温井くんがにこにこ顔でこっちを見る。
そうじゃない、可愛い恋人を人前で裸にしたくないだけだ。
「北畠さんが裸エプロンで乗ってくるとは思わなかった」
言いながら金子くんがトランプを配り始めた。
ものすごい誤解だ。
「じゃあ俺、エプロン取ってくるね! 確かこのカードのそばにあったんだ」
富野くんがそそくさとバーを出ていき、罰ゲーム“裸エプロン”は確定事項になってしまった。
頭が痛い。が、俺がゲームに介入し、温井くんの負けを阻止すべき事態だ。
俺は磨いていたグラスを置き、彼らの輪に加わった。
*
富野くんが戻り、トランプでの戦いが始まった。
ゲームはババ抜き。温井くんは俺のカードを取り、金子くんにカードを引かせる位置となる。
「ババ抜きかあ、苦手なんだよな……」
温井くんがつぶやいた。
しかし大丈夫だ。今ジョーカーは俺が持っていて、これを温井くんに引かせなければ彼が負けることはない。
「えーと、次は僕か」
温井くんの手が俺のカードへ伸びてきた。
彼の指がジョーカーの上を素通りし、別のカードへ。
(よし、そっちのは安全だ)
ところが行った指が戻ってきて、あろうことかジョーカーをつかんでしまった。
「!」
取らせまいとカードを強くつかむ。
「北畠さん? 引かせてください」
「温井くん、考え直せ……!」
「ちょ、北畠さん必死ですね? そんなに温井くんを脱がせたいんですか」
富野くんが呆れ顔をするけれど、違う! 逆だ! おまえらと一緒にするな!
(ああっ!)
そっちに意識が向いた瞬間に指の力が緩み、温井くんにジョーカーを抜き取られてしまった。
「えっ、なんで……」
ジョーカーを見て、彼はぽかんと口を開く。
(そうだ、俺はきみの味方だ!)
目で訴えると、温井くんは俺を見てパチパチと瞬きをした。
よかった。こっちの意図さえ伝われば、あとは彼に安全なカードのみを回せる。
ところがジョーカーは温井くんの手の中に留まり続け……。
残りのカードは2、3枚になってしまった。
そして温井くんのカードを引く金子くんは、確実に温井くんの顔色を読んでいる。
万事休すといったところか。
富野くんが倉庫から持ってきたエプロンはフリルのついた女性用のもので、布面積が極端に少ない。
温井くんが男性にしては小柄だといっても、あのエプロンではいろいろ見えてしまうと思われた。
(どうする? どうする……)
いつの間にか無言の勝負になっている。
各人のカード選びが慎重になり、2人も“温井くんを脱がせたい”というより“自分が脱ぎたくない”と考え始めているようにみえた。
そんな中、いち早く金子くんがすべてのカードを手放す。
「あがり!」
「マジかぁ、残り3人……」
富野くんが汗をぬぐった。
太めの彼にもあのエプロンは難しい。
だが、温井くんのために彼には犠牲になってもらわねばならない。罰ゲームカードと、あんな破廉恥なエプロンを持ってきたのは彼自身だ。自業自得と言わざるを得ない。
温井くんが俺のカードを取り、富野くんの指が彼のカードに近づいた。
(カードを見るな! 見たら顔に出る!)
必死に念を送る。
視線に気づいたのか、温井くんがこっちを向いた。
(そうだ、そのまま俺を見ているんだ!)
見つめ合う。
温井くんの頬がぽっと染まる。
違う、別にこれはラブな視線じゃない。
だがこの際それはどっちでもいい。きみが無事にこのバーを出られれば、俺は……。
その瞬間、富野くんの右手が1枚引いて離れた。
「あっ」
温井くんがのどの奥で小さく声をあげた。
よし! 富野くんが持っていったのはジョーカーだ! 俺はそれを確信した。
次の瞬間――。
「――え」
俺が無意識に引いたカードは、温井くんから富野くんの手に移ったはずのジョーカーだった。ちゃんと見ていればそれを取らなかったはずなのに……。
(しまった……)
また一巡し、富野くんが温井くんの最後の1枚を引いた。
「あ、僕あがりだ」
続いて富野くんが俺のカードを引き、ペアを作ってあがる。
「俺もあがり!」
俺の手元に残されたのはジョーカーが1枚。
3人の視線がこちらに向けられた。
(……そうか、俺が脱ぐのか)
俺は3人より少し年上で、金子くん、富野くんとは特に親しくないから向こうが気まずい。
それは分かっている。しかし負けてしまったんだから仕方ない。
軽い目眩を感じつつも、俺は女性用のエプロンに手を伸ばした。
その時だった。
「ダメです!」
温井くんがエプロンを奪い取った。
「温井くん?」
「北畠さんにこれを着させるわけにはいきません! 僕が着ます!」
言うなり彼は勢いよく服を脱ぎ始める。
「ええっ、温井くん!?」
止める間もなかった。温井くんはすぐにボクサーパンツ1枚になってしまう。
「えーと、このエプロンどうやって着るんですかね?」
(いや、待て。裸エプロンっていうか裸になってる……)
金子くんも富野くんも、やらしい目でなく困惑顔で見つめていた。
*
エプロンを身につけた温井くんを前に、2人が感想を述べる。
「温井くんって、思ってたより男らしいんだね……」
「細いのに意外に筋肉ついてるんだな……」
そうなんだ。バランスのいいしっかりした体つきで、けっしてナヨナヨしていない。
しかしその肌は艶やかで白く、フリルのエプロンも違和感がなかった。
「料理って結構肉体労働なんですよ。毎日30人分作ってますから」
温井くんは少し得意げに言いながら、罰ゲームのカードにある通りみんなにお茶を配った。
彼の裸エプロンを絶対に阻止しなければならないと思っていた俺は拍子抜けしてしまう。
ところが……。
「北畠さんもお茶どうぞ」
腕を伸ばした温井くんの、エプロンの隙間に目が吸い寄せられる。
「ん、なんですか?」
下着をつけているものの、引き締まったお尻のラインも悩ましい。
だって俺は知っているんだ。一糸まとわぬ姿の彼がどんなか……。
「……いや、なんでもない」
「なんでもなくはないでしょう。思いっきり目を逸らしてるじゃないですかー」
「あっ、北畠さんエッチなこと考えてる!」
富野くんが口を挟んだ。
「だな、案外ムッツリだな」
金子くんまで同意する。
「温井くん、北畠さんから離れな!」
「そうだよ、温井くんのことエッチな目で見るの禁止!」
「見てない……。というか元はといえばきみたちが」
どうしてこんなことになったのか……。
脱がせたくなかった温井くんが、俺のために脱いでしまって。
しかしその行動がかっこよくて可愛くて。
(こんな可愛い恋人、意識するなっていう方が無理だろう!)
「温井くん、このあと残って」
金子くんたちの意識が、テレビに向いた隙を突いて耳打ちした。
「もちろん片付けまで手伝うつもりですけど、なんですか?」
温井くんはエプロン姿でトレイを抱き、小首をかしげる。
「何って……」
「…………」
「分かるだろう」
「え……?」
急にソワソワしだす温井くん。うつむき、しきりに前髪に触れている。
(緊張してるのか)
トランプには不利だけれど、この分かりやすさはやっぱり可愛い。
そう思っていると……。
「分かりました……。ちょっとは期待していいんですよね?」
「……っ……」
今度は俺がソワソワする番だった。
(温井くんごめん。たぶんちょっとじゃ済まない)
日の昇らない極夜のこの時期、南極の夜は長い――。
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