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第2話 チョコレートの匂いは……

バレンタインデー前夜。 僕は夜の調理場でひとり、ある秘密の作業をしていた。 (暑い、それに甘い匂いで酔いそう……) 使用したチョコレートはおよそ1キロ。 ふるった小麦粉は2キロ。 そろそろ腕が痛い。 オーブンはすでに4回転目に突入している。 僕が作っているもの、それはバレンタインデーのためのチョコレートケーキだった。 (北畠さんに……僕の思いをさりげなーく伝えたい!) 量がさりげなくない。それは分かっている。 でも僕は南極の基地にいて、基地の食料は隊員みんなの共有物だ。 さらに言えば、僕はみんなの調理担当。 北畠さんのことが好きだからといって、彼だけのためにチョコレートケーキを焼くわけにはいかない。 よって彼に気持ちを伝えるためには、隊員全員分を作るしかなかった。 (……あれ? でもこれじゃ、僕の特別な気持ちは伝わらないんじゃ……) 最後の鉄板をオーブンに入れてからそのことに気づいたが、もう気にしないことにした。 あの人に食べてもらえたら、それで十分だ。 冷えてきたケーキから順に切り分け、箱に入れてラッピングする。 このラッピング用品の確保が大変だった。 当然そんなもの、国から持ってきていない。 南極で誰かを好きになってその人のためにチョコレートを用意することになるなんて、想像すらしていなかったからだ。 それで箱は不用品からリサイクル。 ラッピング用紙は事務室から分けてもらったコピー用紙。 さすがにそれだけではさみしいので、ラッピング用紙に1枚1枚手書きでHappy Valentine’s Day♡と書いていった。 我ながら涙ぐましい努力だ……。 そんなこんなで気づいたら朝になり、そのまま朝食の仕込みに取りかかった。 そして……。 * 朝食を食べ終えたみんなが出ていった頃、食堂に北畠さんがやってくる。 「あのっ、今日はバレンタインデーなので、みなさんにチョコレートケーキを配っているんですが……」 カウンター越しに差し出す箱を、彼は不思議そうな顔をして受け取った。 ところが受け取った箱を、そのまま横に置いてしまう。 「あ……チョコレート、あまり好きじゃありませんでした?」 それを確認していなかった。 甘いものがそこまで好きじゃないかもしれないと思ったから、甘さ控えめのケーキにしていたのに。 これじゃすべてが水の泡だ。 北畠さんはわずかに目を泳がせてから言う。 「好きだよ」 「じゃあなんで……?」 「チョコレートの匂い、するから」 (匂い?) カウンターの上に両腕を突き、彼が向こうから身を乗り出してきた。 (えっ?) 僕の前髪に鼻先が近づく。 「……!? 北畠さん?」 額にやわらかなものがぶつかって、僕の心臓がとくんと音をたてた。 「匂いで分かる。全員分のチョコレート、用意するの大変だったでしょ」 「それは……」 「正直嫉妬する」 僕が北畠さんのために全員分作ったってこと、この人は気付いていないんだろうか。 「鈍いんですねえ……」 「……?」 「じゃあ匂いは全部、あなたにあげます」 これで伝わるんだろうか? 僕の思いは。 見つめていると、彼がまたカウンターの向こうから身を乗り出してくる。 「それなら全部、もらってく」 耳元で甘い声。 それから静かに交わしたキスは、みんなに配ったチョコレートケーキより、はるかに甘い味がした。

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