2 / 3
第2話 チョコレートの匂いは……
バレンタインデー前夜。
僕は夜の調理場でひとり、ある秘密の作業をしていた。
(暑い、それに甘い匂いで酔いそう……)
使用したチョコレートはおよそ1キロ。
ふるった小麦粉は2キロ。
そろそろ腕が痛い。
オーブンはすでに4回転目に突入している。
僕が作っているもの、それはバレンタインデーのためのチョコレートケーキだった。
(北畠さんに……僕の思いをさりげなーく伝えたい!)
量がさりげなくない。それは分かっている。
でも僕は南極の基地にいて、基地の食料は隊員みんなの共有物だ。
さらに言えば、僕はみんなの調理担当。
北畠さんのことが好きだからといって、彼だけのためにチョコレートケーキを焼くわけにはいかない。
よって彼に気持ちを伝えるためには、隊員全員分を作るしかなかった。
(……あれ? でもこれじゃ、僕の特別な気持ちは伝わらないんじゃ……)
最後の鉄板をオーブンに入れてからそのことに気づいたが、もう気にしないことにした。
あの人に食べてもらえたら、それで十分だ。
冷えてきたケーキから順に切り分け、箱に入れてラッピングする。
このラッピング用品の確保が大変だった。
当然そんなもの、国から持ってきていない。
南極で誰かを好きになってその人のためにチョコレートを用意することになるなんて、想像すらしていなかったからだ。
それで箱は不用品からリサイクル。
ラッピング用紙は事務室から分けてもらったコピー用紙。
さすがにそれだけではさみしいので、ラッピング用紙に1枚1枚手書きでHappy Valentine’s Day♡と書いていった。
我ながら涙ぐましい努力だ……。
そんなこんなで気づいたら朝になり、そのまま朝食の仕込みに取りかかった。
そして……。
*
朝食を食べ終えたみんなが出ていった頃、食堂に北畠さんがやってくる。
「あのっ、今日はバレンタインデーなので、みなさんにチョコレートケーキを配っているんですが……」
カウンター越しに差し出す箱を、彼は不思議そうな顔をして受け取った。
ところが受け取った箱を、そのまま横に置いてしまう。
「あ……チョコレート、あまり好きじゃありませんでした?」
それを確認していなかった。
甘いものがそこまで好きじゃないかもしれないと思ったから、甘さ控えめのケーキにしていたのに。
これじゃすべてが水の泡だ。
北畠さんはわずかに目を泳がせてから言う。
「好きだよ」
「じゃあなんで……?」
「チョコレートの匂い、するから」
(匂い?)
カウンターの上に両腕を突き、彼が向こうから身を乗り出してきた。
(えっ?)
僕の前髪に鼻先が近づく。
「……!? 北畠さん?」
額にやわらかなものがぶつかって、僕の心臓がとくんと音をたてた。
「匂いで分かる。全員分のチョコレート、用意するの大変だったでしょ」
「それは……」
「正直嫉妬する」
僕が北畠さんのために全員分作ったってこと、この人は気付いていないんだろうか。
「鈍いんですねえ……」
「……?」
「じゃあ匂いは全部、あなたにあげます」
これで伝わるんだろうか? 僕の思いは。
見つめていると、彼がまたカウンターの向こうから身を乗り出してくる。
「それなら全部、もらってく」
耳元で甘い声。
それから静かに交わしたキスは、みんなに配ったチョコレートケーキより、はるかに甘い味がした。
ともだちにシェアしよう!