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そして現在に至る(4)

「おはよーえーちゃん、加藤くん」  朝のエレベーターで早速椚田に出くわす。朗らかな、いつも通りの、頼りになる先輩という、あの日とは全然違う顔で。 「おはようございます」  椚田は部署のある階で降り、最上階の売店に行く智と加藤が残った。 「相変わらず爽やかやなー」  字面では褒めているが、加藤のその口調はイヤミたっぷりだ。 「人生こわいもんなしって感じ。生まれながらの勝ち組なんやろなー。悩みなんかなんもないんやろなー。あー羨まし」  あくび混じりに言い放つ加藤に、智は何も言い返さなかった。  加藤になんて、教えてやらなくていい。椚田だって、困ったり悩んだりしていることを、智は知っている。一喜一憂する顔を知っている。愛しい人だけに見せる蕩けるような笑顔を、知っている ──自分に向けられたものではないのがつらいけれど。  たちの悪いことに、そんないろんな顔を見て、ますます好きになってしまっている。なんでもこなすスーパーマンにだって、人を助けるつもりが助けられるはめになったり、恋人と上手くいっているのか不安になったり、恋人の機嫌を損ねて慌てふためいたり、自分たちと同じように日々四苦八苦しながら生きているのだ。そんな人間くさいところを知って、さらに想いが募ってしまうとは。  どこまでも厄介な恋心は、全く制御が効かない。  椚田に、新大阪駅で見かけたことを話そうかとも考えた。男と付き合っているのか問い詰めたいと思わないでもないし、それをネタにどうにか、なんて下衆な思惑が浮かんだりもした。が、踏みとどまる。椚田を困らせたいわけではないから。  汚い手を使って無理やり力ずくでこちらを向かせたところで、瞳に映るのは別の人だし、そんなことをしても虚しいだけだ。  今まで通りの椚田でいてほしい。自分も今まで通りの自分でいよう。好きな気持ちは無理に抑えず、相手に迷惑をかけない範囲で想い続けていこう。  そう考えると、何かが吹っ切れた気がした。  大輪を咲かせる勇気はないくせに、なかなかしぶとく根を張っている恋花を、無理に手折る必要などどこにもない、と強く思えた。恋い慕う気持ちをそのまま受け入れながら、少しでもそばで長く仕事ができるよう、少しでも役に立つ後輩と思って貰えるよう、やっていけばいいのではないか。恋愛関係はいつか壊れる恐怖があるが、仕事仲間ならそんなこともないだろう。そのうち、恋心がまた何らかの新しい感情に変わるかもしれない。  デスクに着き、バッグを置いて手洗いに行くと、椚田が手を洗っているところだった。 「先週出張やってんて?お疲れさん。後でまたそっちへ課長らと打ち合わせ行くわ」 「わかりました。彼女さんとは順調ですか?」 「えっ?わっ!」  慌てた椚田はビクッとした拍子に、ワイシャツの袖口まで濡らしてしまった。  ほら、こんな可愛いとこもあるんだよ、と智は心の中で加藤に毒づくように呟く。  そして手洗いの中に自分たち以外誰もいなことを確認した。  ──これぐらいは、言ってやってもいいだろ。  智は洗面から死角となる小便器に進みながら、手洗いを出ようとしている椚田に向けて言った。 「アヤさんによろしくお伝えくださいね」 「え?あ、うん。って、えええええ?!」 笑いを堪えているため体が震え、しばらくは用を足せそうにない。智は肩を揺らしながら、目尻の涙を指で拭った。 【完】

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