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第31話 side森下
シャワーを浴びて寝る準備をしようかとベッドに腰かけた時だった。
テレビ台の上を何気なく見ると、自分のものでは無い腕時計が置いてあるのに気がついた。杏の二十歳の誕生日に、両親がプレゼントした割といい値段のする時計だ。
まーたやりやがったよ、と俺は苦笑してベッドから立ち上がり、その時計を片手で回しながら杏の携帯に電話をかけた。
『はい』
「忘れ物してますけど」
『えっ嘘。あぁやばい! 腕時計、もしかして置いてきちゃった?』
「演技下手か」
杏はいつもこうして、俺の部屋に訪れた後に物を置いていく。
わざとやってるのは目に見えてるけれど、やめろとは言わない。こうすれば次に会う口実が作れるからだろうし、それが恒例行事となりつつあるので、毎回宝探しゲームのように楽しんでいる自分もいる。
近々取りに行くね、と言ってから杏は店長の事を口にし出した。
『青山さんっていい人だね。誰かと違って気遣いも出来るし、話ちゃんと聞いてくれるし』
「お前とは初めて会ったんだから当たり前だろ。お前の本性知ったら、さすがに鷹揚な店長でも退いちゃうだろうな」
『えー、何よ本性って。あぁそういえば私、一個言い忘れてたことがあったんだよね。この前実家に行った時、あの事はちゃんと考えてるのかってお母さんが言ってたよ。LINE送っても既読スルーされるって嘆いてた』
あの事、か。
俺は一気に面倒な気分になって「うーん」と曖昧に返事をした。
『出来たら夏休みまでには返事欲しいって。お兄ちゃん、いつ帰るの? 日にち分かったら教えてくれない? 私も合わせて帰省するから』
「ん」
『何よそのやる気ない返事。さっきは青山さんとハキハキ喋ってたくせに。ねぇちなみに、青山さんって彼女いたりする?』
「はっ⁈」
彼女、と言われて素っ頓狂な声を上げた。
さっき店長にカミングアウトされた事を思い出す。
まさか杏、店長を狙ってるのか?
「お前、いい感じになってる人はいるって言ってただろ」
『それは本当に本当なんだけど。青山さんも格好良くて、ちょっといいかもって思ってきた。今度二人で飲みにでも行きたいなって思って』
青山店長と杏が二人きりで飲む場面を想像すると、胸のところがざわついた。
店長は同性が好きだし、杏と今後特別な関係になることは不可能なのに、俺は慌てふためいてしまった。
「それはダメだ。実は店長も、いい感じになってる子がいるんだよ」
『え、そうなの』
「そうそう。話聞いた感じ、もうこれは時間の問題だな。店長が一歩踏み出せればもう確実って感じ。だからお前が誘ったとしても、店長は断ると思うぞ」
なんで俺はこんな嘘をスラスラと言ってるんだ。
あぁそうだ。これは店長と杏の為を思って言ってるんだ。二人が親密になったところで明るい未来は訪れない。これはメリットのある嘘だ。
杏は「そうなんだー」と全く落ち込んでいない様子で納得した。
『ならまた、三人で飲もうよ。じゃあ、お母さんにちゃんと連絡しといてよね』
電話を切った後、母親からだいぶ前に送られてきていたメッセージを読み返した。
返信しないにも関わらず、母親はめげずにしつこく同じ内容のメールを送信してくる。
読めば読むほど頭が痛くて、実際に俺は頭を抱えた。ちょっと放っておいて欲しいんだよな。
スクロールしていくと、さっき杏に言われた内容と同じ『できれば夏休みまでには返事を』という文字が目に入る。
夏はまとまった休みが取れる予定だから、帰省出来なくもない。
けれど今の状況だと面倒だから、帰省したくない。
この際、仕事だからと言って帰るのをやめようか。それか無理やり予定を詰め込む。例えば旅行とか。
今思いついたのは、青山店長と一緒に温泉旅行にでも行きたいなってことだった。
でも店長と──男同士でそういう場所へ行くのは普通ナシなのだろうか。
でも行ったら行ったで、楽しいと思うんだよな。風呂入ってうまい飯食って酒飲んで……
あ、俺、なんか変なシーン想像しちゃった。
布団に横たえた店長が、酒で赤く火照った顔をさせながら眼鏡を外し、浴衣の合わせ目から白い足を顕にさせて──
「わー、もうっ、寝よ」
店長が俺に打ち明けてくれた時、戸惑いよりも嬉しさが勝ったのだ。
その時俺の率直な感想は、自分を好きになってくれてもいいけど、だった。
だから俺の頭が、細胞が『同性が好きだ』っていうフレーズに舞い上がって、店長のあられもない姿を作り出したのだ。
こんな時は寝るに限る。酔った頭をスッキリさせれば、きっと元の俺に戻る。
部屋の灯りを消して、ギュッと目蓋を閉じた。
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