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第33話
「はい、もしもし」
『お疲れ様です……すみません、あの、今お客様からお電話があって』
狼狽したその声の持ち主は、大学生のアルバイトさんだった。
いつも以上に小さく震えるその声を聞いて、とにかく落ち着くように言った。
「それで、お客様は何て?」
『私、やっちゃいました……どうしましょう、きちんと確認したつもりだったのに、本当にすみません』
終いには涙声になっている。
咄嗟に思い浮かんだのは、金銭のやり取りでミスをしたのかと思った。昔いた店舗で、0を余計に付けた金額でクレジットを切ってしまったことがあったのだ。しばらくして気付いた店員が館内放送をして、お客様はすぐに戻ってきて事なきを得たのだが、今回は気付くのが遅かったのだろうか。
電話よりも店で直接話を聞いた方が早い。すぐに戻る旨を伝えた。
「八代くん、僕、お店戻るね」
「大丈夫ですか? 何かありました?」
「詳しくは後で。あぁ、僕の分も食べておいてくれる?」
「マジすか⁈ 結構量ありますけど……」
「しょうがないでしょ。残さずに食べるんだよ、奢ってあげるから」
財布から千円札を二枚出してテーブルに置き、店を出ようとした所で森下くんと鉢合わせになった。
「トイレ?」
「すみません、トラブルがあったようなのでお店に戻ります」
「そうなの? 店長の分もう作っちゃったけど」
「僕の分は、ちゃんと八代くんが食べますので」
トレイの上に乗っているたらこパスタにも森下くんにも悪いなぁと思いながら店を出て、自店へ向かった。
店に着くと、レジの中で心許ない顔をしたアルバイトさんが立っていたので、バックヤードに連れていった。
その子は電話の内容をメモした連絡ノートに視線を落としている。
そこの文字を辿ってみてギョッとした。
レインブーツ カーキ サイズL
6月X日購入
片方Mサイズ
状況を察した僕は、バックヤードに積まれている大量の四角い箱の中から品番を確認し、レインブーツの在庫を取り出した。四箱あるのを見れば、レインブーツはあれから売れていないのが分かる。
蓋をあけて中身を取り出し、それぞれのサイズを確認していく。そして三箱目にあけたブーツの左右がサイズ違いになっていることに気付いた。
うーん、と頭を抱える。
初めからこの状態で納品されてきたとは考えにくい。きっとMサイズとLサイズを客に試し履きさせた店員の誰かが、誤って入れ違えてしまったのだろう。
アルバイトさんは、ますます頭を下げ始めた。
「本当にすみません」
「いえ、僕もちゃんと確認をするべきでした。すみません」
しゅんとするこの子を見て居た堪れなくなってしまう。
仕事に慣れていないのだからもう少し配慮すべきだった。あの時の僕は店頭に立っていたが、森下くんと仲良くなれたことでどこか浮かれていて、すべき事をしていなかった僕に責任がある。
「お客様からは、何て?」
「サイズが違う事に気付いたのはさっきで、明日使う予定なんだと。店に持ってきて頂ければすぐに交換しますと伝えたら、今日は忙しいから行けない、もういいですと仰られて、そのまま電話を切られてしまいました」
そのお客様のことはうっすらと覚えている。
ベビーカーを押していた二十代くらいの女性。店を出る時に目が合って柔和に微笑んでくれた。
接客業をしていて辛いのは、いつもは味わえない特別な気分で買い物をしてもらえたのに、何かのズレにより負の側面を引き出してしまうことだ。
「分かりました。僕から一度、その方に電話をしてみます」
ノートに書かれたその方の名前を見ながら電話をかけてみた。繋がらなかったので一旦切ると、すぐに折り返しの電話がきた。
はじめの声色はあの時の柔和な女性と結びついたが、僕が謝罪をすると、少々呆れたように笑われてしまった。
『もういいですよ。また今度そちらのお店に持って行きますから』
「しかし、明日使う予定だと」
『そうだけど、今日は行けないって』
イラついた声を出されてしまったので、即座に謝った。電話の向こうから赤ん坊の泣き声も聞こえてくる。
きっとゆっくり電話が出来る状況ではないのだろう。
どうしたらいいのか悩んでいたら、あちらから切り出された。
『そうだ。だったら店長さんが家まで持ってきてもらえます? 私の家、すぐ近くだし』
「え?」
『SCとは反対口のマンションの向かいにある、赤い屋根の家ですから……なんて嘘ですよ。明日は諦めて、普通のスニーカー使いますから』
まるでこちらを試すような言い方だった。
今僕が頭に思い描いていることを実行するならば、まずはエリアマネージャーの梶谷 さんに許可を得なくてはならない。
けれどそうするには、またお客様を待たせてしまうことになるだろう。
僕は子機を両手で握りしめた。
「いえっ、伺いますっ、今から」
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