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第34話
僕は自分の携帯から八代くんに電話をかけ、事の詳細を伝えた。
すぐに戻れるようにはするが、どうなるか分からない、そしてマネージャーからは後から僕が伝えるという事を言った。
一階の和菓子屋で詰め合わせを購入し、レインブーツの靴箱も片手に持ちながら従業員入口で社員証をかざす。守衛さんが頷くのを確認した後、一旦落ち着こうと剥き出しになっている喫煙スペースのベンチに腰掛けた。
今更ながら、自分勝手なことをしていると自覚する。
梶谷マネージャーの般若のような顔を思い浮かべてみた。
あの人、普段はひょうきんなんだけど、怒ると怖いんだよなぁ。
僕はこういう時、今の状況よりもわざと最悪なことを妄想する癖がある。
お客様は店で「サイズが違う! どうなってるんだ!」と怒鳴り散らし、僕は胸ぐらをつかまれて殴られる。
そのまま出て行ったお客様を追いかけるが、セラミックタイルに足を滑らせ派手に転倒し、周りにクスクスと笑われる。
打ち付けた尻を庇うように追いかけるが、人とぶつかった拍子に持っていた缶ジュースの中身が溢れ、僕の全身はびしょ濡れ。
仕方なく店に戻った僕を待ち受けていたのはマネージャーで、激昂された末に解雇宣告をされる。
そこをたまたま通りかかった森下くんが、冷ややかな目でぼくを見下し、声をかける事もなく素通り……あぁ大丈夫。こんな事よりは今はまだマシ。全然マシだ。
「何がマシなのー?」
ふと顔を上げると、今妄想の中で冷淡な目をしていた森下くんが、それとは対照的にニコニコしながら僕の隣に実際に座っていた。
僕は目をしばたたかせる。
「どうしてここにいるんですか」
「昼飯買いに行こうとしたら、店長がここに座るのが見えて。ちょうどいいから一服。で、何がマシなの? 何回かぶつぶつ言ってたけど」
森下くんはタバコに火を付け、紫煙を吐き出した。
「いえ、何でもないです」
「えぇ、教えてよ。あと、はいコレ、たらこパスタ」
森下くんが取り出したのはタッパーで、中にはパスタが詰められていた。目の前に差し出されたので、反射的に受け取ってしまった。
「本当はこんな事しちゃダメなんだけど、内緒だよ。店長だから特別」
「そんなわざわざ。ありがとうございます」
「昼飯まだでしょ? 俺と一緒に飯食おうよ」
「いえ、僕はこれから行かなくてはならない所があって」
「ん? どこ行くの?」
「お客様の家に」
僕は森下くんに詳細を説明して、立ち上がった。
あまりのんびりはしていられない。これから行くと電話で伝えてあるので、早い事に越したことはないだろう。
「という訳なので、僕はもう行きますね」
「なら、俺も行くよ」
煙草をもみ消して立ち上がった森下くんは、頭一個分違う僕の事を見下ろした。
僕は咄嗟に首を横に振る。
「いやいや、何言って」
「だって店長、顔引きつってるし。そんな顔で行っても、お客さんはもっとイラついちゃうよ」
バレた。
先ほどから緊張のあまりに表情筋がうまく使えていないことが。
「謝ればいいんでしょ? 二人で行けば、すんなり許してもらえるかもしれないよ」
「だって君は関係ないじゃないですか」
「ないけど、行かせてよ」
「ダメです」
「あぁそう。じゃあ俺ー、そのマネージャーに言っちゃおうかな。F店の店長、これから勝手にお客さんの家に行くみたいですよって」
スマホを持ちながら笑って脅すような言い方に、僕も負けじと反論する。
「な、なら僕だって、そっちの店長に言い付けますよ。たらこパスタを持って来たって」
「いいよ。どうしても食べたいって駄々こねられて仕方なくって言うから」
「……」
もうこれ以上言葉が出てこなくて口を噤んだ。
一旦冷静になるために、眼鏡の縁を人差し指で押し上げた。
これはどういった状況だろう。
なぜこの子は僕と一緒に行くだなんて言うんだ。
もしかして、僕の力になろうとしてくれてるんだろうか。
「後ろから見守っててあげるよ。俺も一緒に、頭下げるから」
ポンポンと肩を叩かれ、意地を張っていた気持ちがスッと和らいだ。
本当は、心臓が激しく鼓動するくらい緊張している。情けない話だけど、君がいてくれるなら僕は心強いです。
僕は首を縦に振り、アスファルトの地面を強く踏みしめた。
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