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第35話
SCとは反対口にあるマンションの向かいだとざっくりと言われたが、戸建が並ぶ中、赤い屋根の家は一つしか見当たらなかったのですぐに分かった。
まるでドールハウスのような外観だった。
玄関ドアにはドライフラワーで作られたウェルカムリースが飾られ、その横にオリーブの木が植わったテラコッタが置かれている。屋外用の水道の蛇口部分に水まき用のホースがきちんと丸まって掛かっていたり、曇りのない窓を見ると、どうやらとても几帳面な方のようだ。
さっき電話で聞いた声色を思い出すと、また憂鬱になる。
こっちのミスで、相当嫌な思いをさせてしまったのだろう。
はぁ……っ、と僕は一息吐く。
森下くんは、ここまで来るまでにもう何度口にしたか分からない「大丈夫だよ」という言葉をもう一度僕に投げかけた。
「今まで仕事してきて、こういう事って少なからずあったんでしょ?」
「ありましたけど、こうしてお客様の家に来るのは初めてで」
「店でもここでも同じだよ。思ってる事をそのまま伝えればいいんだよ」
「はい、そうですよね」
ごくりと生唾を飲み込み、手汗を片手ずつ服で拭う。
意を決してインターホンのボタンを押そうとして手を伸ばしたが、指先が震えているのに気が付いた。慌てて手を引っ込めるが、森下くんにバッチリ見られていた。
僕は緊張すると、意思とは裏腹に手や足が震えてしまうのだ。昔よりはマシだけど、いつまでもそれが癖で治らない。
片手で拳を包み込むように握りながら自嘲気味に笑った。
「すみません。こんな、子供みたいに恥ずかしい」
「全然恥ずかしくないよ」
森下くんは僕の両手の上に手を重ねてきた。
僕の手をいとも簡単に包んでしまう掌。僕の震えを吸い取ってくれているみたいだ。
「俺、どんな店長だとしても絶対に笑わないよ。大丈夫」
今日一番しっくりくる『大丈夫』をもらえた気がした。
森下くんは凛とした顔で僕を見下ろす。
僕だって、例え君が恥ずかしい事をしでかしたとしても絶対に笑ったりバカにしたりしない。僕と同じ気持ちでいると分かると、手の震えも治ってきた気がした。
よし、と僕は頷き、改めてインターホンに手を伸ばす。
押そうとした寸前、玄関のドアが開いた。
視線を移すと、若い女性が赤ん坊を抱いてドアの隙間からひょっこり顔を出していた。
「本当に来たんですね……」
女性は戸惑いがちにそう呟き、僕を見つめてくる。
生後半年くらいの赤ん坊は縦抱きにされ、背中をこちらに向けて大人しくしているので、寝ているようだった。
僕は起こさないように慎重に声を出し、しかし毅然とした態度で真っ直ぐ見つめた。
「サテーンカーリF店の青山です。この度は本当に申し訳ございませんでした」
深く垂直に腰を折ると、背後にいた森下くんも頭を下げているのが分かった。あぁ、君は何も悪くはないのに。
「いえ、謝らなくちゃいけないのはこっちです。顔を上げてください」
思いがけない言葉にハッとして顔を上げると、女性は僕ではなく、森下くんの方を見ていた。虚を突かれたような顔をさせた女性を見て、森下くんも「あっ」と声をあげた。
「この間、お店にいらしたお客様ですよね」
森下くんが明るく言うと、女性もホッとしたように表情を和らげてぺこりとお辞儀をした。
「あ、どうも……あの時は本当にお世話に……」
そう言って女性が赤ん坊を抱き直した瞬間だった。
その小さな頭がモゾモゾと動いて、母親の肩口に顔を擦り付けながら泣き始めてしまった。
オドオドする僕はただ見守るしか出来なかったが、女性は僕ら二人に向かって言った。
「どうそ。とりあえず上がってください」
女性はドアを全開にし、律儀にも来客用のスリッパを二つ取り出して框 に並べ、奥の部屋へと姿を消してしまった。
ポカンとしながら森下くんと顔を見合わせ、内緒話をする。
「森下くんのお店にいらしたんですか?」
「うん、赤ちゃんと一緒に」
「家に上がっても大丈夫なんでしょうか」
「どうぞって言われたんだから、上がったらいいんじゃない?」
ここでコソコソ話していても気を悪くさせてしまうだろう。
言われた通り、上がらせてもらうことにした。
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