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第49話 狡い自分
森下くんが出ていってから一時間。さらに三十分が経った。
……いくらなんでも、遅すぎはしないだろうか。
適当にぐるっと散歩の割には、ガッツリ出かけているではないか。
電話を掛けてみると、森下くんの荷物の辺りからバイブ音が聞こえてきたので、もしやと思い覗き込むと、スマホがリュックの上に置いてあった。
携帯電話を携帯しないなんて。
けれどそれぐらい突発的だったのかな、この部屋から出ていこうと決めたのは。
僕はスマホと財布を手に持って、部屋を出た。
旅館内ですれ違う人はだいたい浴衣姿だ。彼も浴衣だけど、目立つので一目で分かる。
館内にはいなさそうなので、外へ出てみることにした。
石の坂を下りながら、キョロキョロと辺りを見回した。
そんなに遠くへは行っていないとは思うけど。
少し歩けば、飲食店や飲み屋もあるし、ホテルや旅館もたくさんあるので人も増えてくる。
たてかん柄の浴衣を見つける度に顔を確認するが、どれも違った。
あてもなく歩いていたが、森下くんの姿はない。
ふと、橋の上に立って身を乗り出してみた。
数十メートル下から、川のせせらぎが聞こえてくる。昼間はよく見えるだろうが、今は漆黒の闇に包まれていて少し恐怖を覚えた。
も、もしかして……と思ってしまった疑念をすぐに振り払う。
いやいや、彼はあんな程度のことで身を投げるような人じゃないだろう。
だがこんなに遅いと、不安な気持ちも募ってくる。僕のせいで頭を悩ませてしまい、部屋に帰りづらくなっているのではないか。
相手がスマホを持っていないのは痛い。
とりあえず一旦、旅館に戻ろう。
踵を返し、旅館の方へ向かって歩いている時だった。
ホテルの駐車場に入ってきた一台のタクシーを何気なく見ていると、中から森下くんが出てきた。
えっ? という驚きと共に固まってしまう。
そのまま見つめていると、今度は知らない男の人が出てきて、森下くんの肩に掴まった。
男の人は三十代後半といった感じで、浴衣ではないけれどラフな服装だ。どうやら酔っているらしく、顔が赤い。
そのまま二人は、ホテルの自動ドアをくぐって行った。
あの人と飲みに行っていたの?
もしかしたらって……僕は心配になったのに。
ちょっとムカムカとしていると、森下くんは一人でホテルから出てきた。
すぐに僕の姿を見つけて、駆け寄ってくる。
「店長、どうしたの」
「どうしたのじゃないですよ……君の方こそ何やって」
「ごめん、もしかして探しにきてくれたの? 散歩してたら、知らないおじさんに絡まれちゃってさ。酔ってフラフラ歩いてて危ないから、付いててあげたんだ。どうにかタクシーに乗ってくれたから良かったけど」
あぁなんだ、そうか。
ホッと胸を撫で下ろす。
てっきり、僕はもう脈ナシだって分かったから、他の人に目がいったのかと……
ついつい行き過ぎた妄想をしていたことに気付き、恥ずかしくなって目を伏せた。
「せめて、スマホくらいは持って行って下さいよ。心配したじゃないですか」
部屋を出ていく瞬間の表情が、とても寂しそうに見えて。
森下くんは僕の髪をそっと梳いた。
「ごめんね。具合良くないのに無理させちゃって。色々と振り回しちゃったね。戻ろうか」
すぐに手を離されて、森下くんは歩き出してしまった。
昼間も風呂場でも、あんなにベタベタ触ってきていたくせに。
その手にもっと触れて欲しいと願う僕は罪なのだろうか。
胸がぎゅうっと痛くて切ない。
生温い夜風が赤らんだ頬を掠める。
せめて今日だけは、このまま流されてもいいんじゃないかと思う狡い自分がいた。
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