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 亮平にはひとつ歳上の兄がいる。  兄は昨年から全寮制の高校へと通っており、ひと月かふた月に一度だけ自宅へと戻って来る。ただ、その時はいつも、一人ではない。 「(かのえ)さん…」 「久しぶりだね」  にこりと笑うその風貌は、ふた月ほど前に見た時と変わらず優しくて男前だ。きっと、誠実という言葉を擬人化させたらこんな姿になるのだろう。  そんな庚の笑顔に思わず見惚れていると、先に靴を脱いだ兄、秀一が口を開いた。 「“庚さん”じゃねぇよ。普通俺への“おかえり”が先だろうが」  中に何が詰まっているのか分からない程硬いスポーツバッグを、秀一が容赦無く亮平の腹へとぶつける。 「ッ、」 「睨むなよ。本当可愛くねぇな」  何の感情も浮かばない顔で亮平を一瞥すると、秀一はそのまま隣を通り過ぎ居間へと姿を消した。  “本当可愛くねぇな”  秀一が会うたびに口にするそれ。  きっと物凄く簡単に、何の深さも無く口にしたであろう秀一の言葉は、けれどもいつだって深く亮平を傷付ける。  人見知りのない気さくな性格と、いつも学年主席を争う程優れた頭脳。何をやっても上手く出来る秀一に比べ、何をやっても空回る亮平は余りに不出来だった。  秀一の美麗な容姿と、三白眼でキツイ印象を与える亮平。兄弟ふたりが似ているのは、きっと身長と体格だけ。  家族である秀一ですら亮平を“可愛くない”と言うのだから、さぞかし世間から見れば醜い存在なのだろう。  悔しさで亮平が唇をぎゅっと噛んだところで、その唇に暖かい何かが触れた。 「亮平は可愛いよ」  庚の親指が、そっと亮平の唇をなぞった。  その微かな刺激に身震いした亮平は、思わず唇を薄っすらと開ける。それを見た庚はふっと笑うと、もう一度だけ唇をなぞり手を離した。そのまま上品な声量で「お邪魔します」と声をかけ亮平の隣を通り過ぎ、やがて庚も姿を消した。  ひとり玄関に残された亮平は、熱を上げたカラダを抱きしめ、そっと吐息を漏らした。 *  亮平が自分がゲイだと気付いたのは、中学に上がって2年目、遅い思春期を迎えた夏休み明けの事だった。  それまでガキそのものだった同級生たちが、休みを挟んで“男”の匂いを纏って帰って来たのだ。  こんがりと陽に焼けた肌に、痛みを伴いながら伸びた身長、中途半端に低くなった、少年の声。同じ様に色気付いた女子よりも、そんな男子に生唾を飲んだ事で漸く亮平は自分が周りと違うことに気付いた。  だからと言ってどうする事も出きないまま時は過ぎ、自身の性の悩みに押し潰されそうになった中学3年の夏休み。  亮平はひとりの少年と出会う。 「それ、癖なの?」  突然後ろから声をかけて来た少年は、少年と呼ぶには余りに大人びた雰囲気を携えていた。彼は兄の秀一が連れて来た友人で、名を庚と言う。  湯上りなのか、縁側に座る亮平の隣に腰を下ろした庚からふわりと石鹸の香りが漂った。  庚の身長は、平均よりも高い亮平や秀一よりも更に高く、中性的な部分を失くした引き締まったカラダは煽情的ですらある。  シャツから覗く胸元に、亮平の喉が思わず上下した。 「癖なの?」 「え…」 「その、目の周りを撫でるやつ」  ハッとして手を下ろした亮平だったが、指摘を受けた羞恥心で顔が真っ赤に染まった。 「く、…癖」 「うん?」 「自分の目が……嫌いで」  自分が女よりも男が好きだと気付いた時から、亮平は今まで以上に自身の容姿を気にするようになった。  特に受け入れ難いのがその目元。  秀一の長い睫毛に縁取られた瞳の大きな目に比べ、シャープで瞳が極端に小さい自分の目。  もしも秀一の様なキラキラした目元だったなら、自分を見てくれる相手が一人くらいは現われるかもしれないのに…  そう思うたびに、自身の手は無意識にその目元を撫でる様になった。  でもきっと、目の前の彼にもそんな劣等的な気持ちは分からないだろう。下ろした手をぎゅっと握りしめようとしたところで、亮平の頬が何かに捕らわれ包まれた。 「こんなに綺麗なのに、嫌いなの?」  ハッとした。  背後から人口的な光に照らされ逆光となった庚の瞳は、それでも、薄っすらとした月光に照らされ輝いている。  (もしかしたら、俺の目もこう見えてる?)  輝く瞳をとろりとさせながら、庚は亮平の目元をゆっくりとなぞる。その少しの刺激に、亮平の燻るカラダに火が付いた。  仕事の忙しい両親は滅多と家に戻らない。  この家に居るのは、老いた祖母と亮平、今は兄と、そして庚だけ。  その日の夜。  誰もが寝静まった静かな闇の中で、亮平は庚の腕に抱かれた。

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