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第26話 理由※

年中無休のラブホテル。年明け、まだ世間は正月休みを過ごしている時期。週に2回の約束は年末年始に関係なく続いていた。 「せっかくのお休みに俺と居ていいの?」 「ええ、だから連絡したんです」 「何か吹っ切れたみたいだね」 「ふふ、さすが夕くん…分かりますか」 朔未はサクラ。善は夕。密会の時は名前を変えることで普段の関係とは別物のように割り切ってきた2人。 「うん、顔色も良くなったし…」 はじめの内は着替えを持参してメイクも服もフル装備の女装を続けていた朔未。しかし結局、別れる頃には全て剥がされてしまうので途中からは諦めて眼鏡も掛けて普段着のまま来るようになった。どこか詰めの甘い所は変わらない。やはり朔未は夜には向いていないのだろう。 「最近やっと眠れるようになったので」 大きな掌が頬を撫でる。ぴくりと反応した朔未が目を伏せると善は当然のようにその瞼に口付けた。 「そう…安心したよ、」 「!?」 「どうしたの、サクラちゃんだから…サクちゃんでも合ってると思うんだけど」 わざと呼ばれた普段と同じ呼び名。真っ赤になって睨んでくる朔未に耐え切れずクス、と笑う善。 「ダメです、サクラです!」 「今日はサクちゃんの気分」 「えっ、な…そんなの無しですよ」 「どうして」 「それは…だって、それだと」 いつもと同じ呼び方だから、とは言えない。う、と言葉を喉に詰まらせた。 「ん?」 「もう!いいです、それで」 納得はしていないが反論も諦めてコートをハンガーに預ける朔未。コートの下は女装ではないが丈長の白いシャツはワンサイズ大きめで彼シャツのようだ。 「この部屋、鏡張りでサクちゃん向けだね」 「え?」 四面に大きな鏡が張ってある部屋。きょろきょろと部屋を見回してから善を振り返ると化粧台の椅子に座って片手で頬杖を着いている。 「サクちゃんは、気持ちイイ事してる時の自分を見るのが好きでしょ?ココは鏡がたくさんあるから、どこからでも見えると思うよ」 「な、なに言っ…好きじゃないです!」 「そう?ところでサクちゃん、そのシャツよく似合ってるね…それだけ残して脱いで見せて?」 (すぐ脱ぐからってシャツの下にインナー着て来なかった自分を責めたい…善くんの事だから絶対、それも分かってて言ってるし) 頭を抱えたい要望。しかし既に見物モードの善は要望を取り下げてはくれないだろう。こうなれば割り切って脱いでしまった方が楽。朔未はこれまでの経験でその答えに辿り着いていた。 「分かりました」 にこ、と貼り付けた笑顔の口元は少し引き攣っている。ベルトを抜いてパンツを脱いだところで気づく。 (え…待ってください…このシャツの丈って) 動揺を隠すように靴下を脱ぎながら、さりげなく確認する。丈がギリギリなのだ。下着を脱いだら中心が見えるか見えないか分からないほど際どい所。 「…焦らすの上手いね」 「っ、すぐ脱ぎますよ」 (大丈夫…シャツを押さえて少しだけ前屈みになれば見えないはず) シャツの裾を片手で押さえながら片手で下着を下ろす。少し足がよろけてしまったが、何とか要望を叶える事に成功した。 「…これで満足ですか?」 「うん、良い眺め」 「出来るだけ応えますよ…高く買ってもらってますから」 早くベッドに移動したいばかりの朔未に対して、動く気がない善。 「それは嬉しい心掛けだね」 「あの、夕くん…そろそろベッドに」 行きませんか?そう問おうとして善の視線が自分を超えて後方に向いている事に気づく。後ろに何かあるのかと、釣られて振り向いた朔未は、この部屋が鏡張りだった事を思い出す。 「わざわざ前屈みになってくれるから、期待以上によく見えてたよ」 「ぁ…あ」 みるみる赤くなっていく朔未。必死に前を隠していた姿勢は後ろの鏡には寧ろ逆効果で。善はずっと、鏡を観ていたのだと気付かされる。 「やっぱり好きそうだね…自分の格好見て、興奮しちゃった?」 「ちが…違います」 涙目でぺたんと床に座り込んだ朔未の押さえていた前は少し熱を帯びていた。 「おいで」 漸く椅子から立ち上がって朔未に手を差し伸べる善。俯いたまま手を伸ばすと、引き上げられてベッドではなく壁際に誘われる。その壁には、やはり鏡が張ってあった。 「夕くん?」 鏡越しに見る善は無言で上着を脱ぐと鋭い眼光で追い込んだ獲物を射抜いた。喰われる、この状況で彼と目が合ったら誰もがそう思っただろう。 「サクちゃんが可愛いから、もっと近くで見せたくなって」 「まさか…ここで?」 「ほら、よく見える」 後ろから朔未を抱きしめて片手でシャツを腹まで捲り上げる善。露わになった中途半端に熱を上げた下半身。羞恥心に今にも泣き出しそうな声が上がる。 「やめてください…こんなの、恥ずかし過ぎます」 「目、閉じないでね」 耳元で囁かれて熱い吐息が頬を撫でていく。羞恥心と同等の興奮。勝手に反応したのは事実。ただ認めたく無くて朔未は首を横に振った。 「夕くん、俺…っ…ここは、だめ」 「すぐ快くなるよ、いつもみたいに」 大丈夫、と言葉で慰めながら手はシャツのボタンを上から2つまで外して、開いた胸元に差し入って行く。遠慮の無い指が既に感度の上がった乳首を弾いたり摘んだりして弄ぶ。 「っあ、ぁ…」 肩から二の腕までシャツが落ち、剥かれた肩に降ってくる口付け。痕が付かないように加減はされている、それでも肩や首に残っていく唇の感覚。 (吸血鬼みたい…) 鏡の中で後ろから首を吸われる自分の姿は吸血鬼に血を啜られているようだ。善の戯れに見惚れて、ついボーッとすると、鏡越しに目が合う。 「あっ…」 「考え事?余裕そうだね」 「そ、そうじゃ無くて…鏡越しだと、夕くんが吸血鬼みたいで…」 「吸血鬼?」 「鏡のせいです…いつもは、後ろは見えな…いっ」 ぐ、と顎を持ち上げられて背後から唇を重ねられる。正面でするより息苦しい。はふ、と僅かな合間に漏れる吐息。 「ああ、美味しい」 じゅ、と血の代わりに唾液を啜る善。 「ん…く、ぅ」 塞がれた口端から溢れる雫。唇を解放すると同時に善が手を離した為、朔未が酸素を求めるように大きく呼吸しながら再び床にへたり込む。 「お仕事できそう?」 「ぅ、できますよ…その為に来てるんです」 そう言って膝立ちになり、善が開けた前に顔を寄せる。ムカつくことに此方はまだ殆ど平常時。体の温度差に悔しくなる。 (こんな事…蓮牙くんにもした事なかったのに…っ、違う…今の俺はサクラなんだから、蓮牙くんは関係ない) 頭の中で否定して、手の中の熱を高めることに集中する。 「覚えが早いね、手だけで抜かれそう」 「貴方が、何度も教えるからでしょう」 (こうしたら…蓮牙くんも喜んでくれたのかな…) こうしたら。 片手で耳に邪魔な髪を掛けて自らの手で起こした熱にキスして、舌先で細かく舐めて。 頭の中で元恋人を浮かべながら丁寧に仕事をする朔未。 「そ、上手」 「は…ふ」 初めは苦しかった喉締めも今は慣れた。浅くから少しずつ、慣らされたというのが正しい。 「っ…」 息を止めて善の余裕が崩れるのを見るときゅ、と大きな濃茶の眼が細くなって笑う。ぬる、と口から育てた熱を抜くとやはりその口元は目と同様に笑った。 「貴方が顔を歪めると、嬉しいですよ」 「はは…酷いね」 困ったように笑う善。お互い笑っているのに空気にはピリピリと微かなひりつきが含まれている。 「酷いのは、お互い様でしょう」 「…そうだね」 優しく、しかし力強く朔未の細腕を引き上げて立たせると再び鏡の壁に向き合わせる。 「(ココ)はイヤだと言って…るの、に!」 「鏡の中の自分だけ見てて」 「ぅ、あ!」 骨盤を強く掴まれる感覚。関節が支配されたように勝手に足が開いて、誘うように尻が上がる。 「いい?」 言葉と共に先程育てた雄の熱が太腿を擦る。 「好きに、してください」 諦めに近い許可。言われた通り、自分の羞恥まみれの姿を眼のレンズに映して押し入ってくる質量を受け入れる。 (俺…なんで、善くん相手に、こんな…こんな顔してるんだろう) 鏡の中の自分に問う。なぜ、そんなに欲情しているのか。ズンと早急に奥を割って来たソレに、朔未は顎を反らせた。 「あぁ!!」 部屋は控えめな照明の筈なのにチカチカ眩暈がするほど眩しく感じた。侵入を果たした腹内で、熱く硬い熱が奥の快い所を激しく突き上げてくる。無理やり奪われた思考。 「可愛いね」 善の口から、よく聞く言葉だ。そのせいで彼は夕なのか善なのか。分からなくなる。 「ぁ、あ!そこ…イイっ!」 「うん…知ってる」 立ったまま後ろから犯される自分の姿に朔未は酔っているようだ。表情をすっかり蕩けさせて善の予言通り気持ち快くなっている。 「熱いっ、の…擦れて…んん、ゆぅ…くん!」 「…はぁ…っ、腰の使い方も上手くなったね」 溶け出したアイスのように形を崩す理性。 「や…ッ…ぁ、あッ」 揺れてココだと位置を誘導する艶かしい腰。すっかり背中まで捲れ上がったシャツは汗で少し透けている。 (これ以上は教えたらいけない子だな) 「あぁ…ぁ…早く、中にください…」 飲み込みがよく、悪い意味で素直な朔未は簡単に売り物に出来てしまう。それを防ぐ為に。 「サクちゃん」 と呼び戻す。 「!!」 鏡の中でハッと開いた口。一瞬、正気が戻った朔未だったが同時に押し寄せた快楽の波には抗えず声も無く震えて鏡に吐精した。 「お疲れ様」 それは仕事終わりの挨拶。朔未の希望は叶えず、中から抜け出した善の熱はまだ震える太腿に吐き出される。 「…はぁ、はぁ」 べたべたに汚れた床に倒れ込みそうな朔未を片腕で抱えて今度こそベッドに運ぶ。 「休んでて、シャワー浴びてくる」 「…はい」 言われなくとも動けない。ぐったりとシーツに顔を埋めて力無く答える朔未。 数日前、HeimWald。 三が日が過ぎて帰省から戻って来たアストは、エントランスで喪服姿の透流に遭遇していた。 「透流?!」 「ん?ああ、やあ…アスト、おかえり…あと明けましておめでとう…どう見ても一番おめでたくない恰好で言うのも変だけどね」 「まったくです、新年早々…大変でしたね」 「誰とは聞かないんだ?」 「あれこれ聞くのは失礼でしょう」 「いんや?別に…俺の身内じゃ無くて先輩の父親が亡くなってね…顔見知りではあったから挨拶に…と言っても焼香だけ」 「そうでしたか、不幸の時は選べませんからね」 「だね…俺としても先輩の様子がおかしかった理由とか、まあ他にも色々繋がって、ひとりで勝手に納得したよ」 「ああ、悩みによってはなかなか人に言えない事もあるでしょうから…きっと内に抱え込んでいたんだと思いますよ…少しでも貴方の先輩の気が落ち着くと良いのですが」 「そうだねぇ…アストはちゃーんと助けてって言いな?」 「ありがたいことに、僕には今のところ助けは必要ありません…ただ」 「ん?」 「貴方は朔未さんの幼馴染なんでしょう?僕よりも朔未さんが大変な時に助けになってあげてください」 「……」 「何を固まってるんですか、まさか目を開けたまま寝てるんじゃ…」 「いや…そうね、寝ようかな」 「疲れてるんですよ、お休みなさい」 「ん、おやすみ」 「な!撫でるな!」 頭を撫でられて怒るアストの声を背に、二階への階段を上がっていく透流。 「それは俺の役目じゃなかったみたいよ」 ボソリと呟かれた言葉は冷たい冬の空気に白く消えた。 父の逝去はサクラの存在理由が無くなった瞬間だった。葬儀を終えて、朔未は善に最後の仕事連絡をした。それはケジメであり、求めた慰めであり。現実逃避でもあった。 「毎年健康診断を受けていても見つかりにくい病気で、進行も早く…初診から3ヶ月ですよ」 ベッドの上でなら話を聞く。最初の約束通り、シャワーを浴びた後にベッドの上で休憩しながら善は朔未の話を聞いてくれた。 「なぜ君が出来上がったの」 「だって、父さん…宣告を受けて最初に出た言葉が俺と母さんの心配だったんです…自分の事より俺たちの…まだ家のローンが残っているとか、母や母の両親に申し訳ないとか、俺の夢を援助してやれないとか…そんな心配ばかりで」 「優しくて責任感の強い人だったんだね」 「はい、思いやりの塊みたいな人で…でも、俺にはそれが諦めにも聞こえて、悔しかったんです…父さんが何も心配しなくても治療に専念できるくらい、俺が母さん達を支えると示したくて…その為にダブルワークを始めたんです」 「それでサクラちゃんが出来上がったんだ、恋人の蓮牙よりもお父さんが大切だった?」 「ええ、あの時は…とにかく父への恩返ししか考えられなくて」 「そっか、大好きだったんだね…俺とは正反対」 「え…正反対って」 「俺は父親、嫌いだから」 迷いもなく答えた善。 「…そう、ですか」 「ああ、ごめんね…どうにも共感できなくて」 「蓮牙くんに言えなかったのは、彼の夢を知っていたからです…邪魔したくなかった」 「…朔ちゃん」 「…はい」 「頑張ったね」 その一言でこの数ヶ月を思い返し瞬きを忘れていた朔未の瞳から一筋の涙が流れた。 「でも結局…何も出来なかった…どうすれば良かったんですか…話せる内にもっと話したかった、治療の影響で人が変わってしまう前に、もっと感謝を伝えたかった…母さんと3人で計画していた家族旅行にも行きたかったし、いつもみたいに…俺の淹れた珈琲を飲んで欲しかった…それから、それから…」 「朔ちゃんは、自分が倒れるまでお父さんの為に思いつく限りの事をやってきたでしょ?何が正しいかは分からないけど、きっと何をしても後悔は残ったよ…伝えたい愛情が多すぎて、そうだな…あと100年くらいあれば足りたかもね」 「っ、ふ…それじゃ…俺も居ませんよ」 泣きながらも小さく笑う朔未。 「もうサクラちゃんは必要ないね」 「はい、最初は貴方に隙を見て噛みついてやろうかと思っていました…でも、サクラとして夕くんに買われている内に…この時間だけは、何も考えられなくなると気づいて…逃げ込んでいたのかもしれません」 「何も考えられなくなるくらい感じてくれてたんだ、嬉しいな」 「やっぱり噛みついておけば良かった」 まだ涙の溜まる目で睨まれて、善は謝罪代わりに優しくその目尻に口付けた。 「次は俺とする?」 「っ!もう、善くん!」 「何?朔ちゃん」 善と朔未に戻った2人。着替えながら、朔未は思いついたように振り返る。 「そうだ善くん…色々教えてもらったお礼に、俺からもひとつ貴方に教えてあげますよ」 「ん?」 「俺の知ってる透流くんは、酔っ払いに間違ってキスされて黙って赦す人じゃありません」 「あれは事故で…え?」 「同じマンションだから手加減したとしても…無傷で赦されたのは、特別だからだと思いますよ」 「…なぜ、それを俺に」 「俺に触れる時いつも気にしてたでしょ?俺の事を好きなアストくんの事」 「!」 「はい、俺も同罪です」 しー、と口元に人差し指を当てて悪笑する朔未。 『でも朔ちゃんに俺の影がチラつくのは面白くないんだ』 『善だと少し話が変わってくるんだけどね……』 影がチラついて面白くないのは、どちらにもだよー。
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