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第27話 蝶の忠告
新年ムードもすっかり抜けて日常が戻った月の終わり。ニュースではチョコレートの祭典が取り上げられる事が多くなっていた。
バレンタインデーには好きな人や大切な人、お世話になっている人にチョコレートを贈る。あるいは自分の楽しみにチョコを買う。そんな日が来月に迫っている事を朝から電波が知らせてくる。
「馬鹿らしい」
テレビを消して、いつもしている黒いマスクを今日も身に付ける葵。
(残業が続いて、買い出しに行けていない…面倒だが休みの内に行くか)
冷蔵庫にはもう、飲み物と使いかけの調味料が少々しか残っていない。
出かける為にコートを手に取ると同時に着信を知らせる音。
「…マスター?」
仕事外での猶からの連絡は珍しい。すぐに通話ボタンを押す。
『ああ、葵?ごめんね、休みの日に』
「いや、何かあったのか」
『あのねぇ、しばらくお店を休むことになって』
「は?」
『大丈夫!休業中の分もお給料は…』
「そんなものどうでもいい!いきなり店を休む事になった理由を教えろ!…っ、大声ですまない…か、風邪でも引いたのか?」
『いやぁ、その…雪かき中に転んで、腕が折れちゃった』
その報告に、普段のクールさを捨て去り走り出す葵。コートは脇に抱えたまま寒空の下を走る。しかし厚底の靴では走りにくい。
「はぁ、はぁ…くそ!」
走るのを諦め大通りでタクシーを拾って飛び乗る。車内で葵はスマホを潰しそうな強さで握りしめていた。
『心配しないで、保存療法でくっつけるから』
なんて呑気な猶の声を思い出すが。葵は聞いていたのだ、今日は葵の実家で雪かきを手伝う事になっていると。たった数cmの積雪だというのに、夜勤明けの猶を呼びつける自分の両親に腸が煮えくり返っている最中の事だった。
(だから行かなくて良いと言ったのに!何が友人だ、何が雪かきの手伝いだ!また嫌がらせだろ…!)
タクシーの中でなければ叫んでいる所だ。
葵の両親と猶は、同じ地区内の近所同士で。父親は猶の学生時代からの先輩だった。同じ美術部で1年だけ在籍時期が重なっていたと聞く。
本人たちは友達と口にするが葵から見れば両親が猶を見下している事は一目瞭然で。友達を理由によく面倒事を押し付けているのだ。
自分たちには懐かず反抗する葵が、猶を尊敬していると言う事も大きな原因だろう。
(…俺のせいでもあるのか)
しかし話して通じる相手でもない。それは両親の下で育った自分が、一番よくわかっている。
だから、猶を守りながら反抗し続けると自分の中で決めていたのに。悔しくてマスクの下で唇を噛み締めた。
『あなたの友達はパパとママが選ぶから』
『作文?書く必要はないさ、もうライターに頼んである…葵には一つでも多く賞を取ってもらわないとな』
来客に息子を自慢する為に、棚に飾られた賞状やトロフィーに自力で取った物はない。思い出すと頭痛がする架空の栄光たち。幼い頃から、両親に抱いてきた不信感。
『ねえパパママ、本当にそれでいいの』
何度も尋ねた。その度に答えは決まっていた。
『もちろん』
にっこりと微笑む2人の顔が、葵には怖かった。
「家族ってさ、色々じゃん」
玲司が正月の帰省で大量に持ち帰った食材を分けてもらいに来た沙希。米菓を手に取りながら呟かれた言葉に、空いた箱を畳んでいた玲司が怪訝そうに見る。
「熱でもあるのか」
「はぁ?!」
「お前らしくないだろ、家族の在り方とか教育番組みたいな話題」
「あのさ!俺だってたまには真面目に考え事とかするし!」
「へぇ…ほどほどでやめとけよ、知恵熱出るぞ」
「もういい」
元旦の件から沙希は兄に怯える笑武に何か出来ないかと自分なりに考えて、本当に熱でも出そうなくらい考えて、そして何も答えを絞り出せずモヤモヤした日々を過ごしているのだ。
「…そっくり同じ家族だけなんてホラー過ぎるだろ、違って当たり前だ」
「!」
「また兄さん達の事で悩んでるのか?」
エリート揃いの兄達と比べられて劣等感の中で育った沙希。だいたいは親からの連絡に兄達の自慢話がセットで付いてくる為、その後に落ち込んでいることが多い。
「今回は俺の兄さん達の事じゃない…例えば玲司とか店長とかは、家族めっちゃ仲良いじゃん…俺のとこも仲は別に悪くないけどさ…でも家族だからって、仲良いとは限らないじゃん…っと、つまり…仲良く見えて違ったり、見るからに仲悪かったり…色々じゃん?」
「家族は色々…そうだな」
玲司はそれに初めから同意している。本題が遠すぎて沙希の意図がわからない。
「だからさ…あ、そうだ!じゃあ、俺が兄さんのこと好きだとするじゃん?」
「は?」
とんでもない例えが出てきた。教育番組なら放送事故の発言だ。
「その場合、家族だから基本ダメじゃん?で、とりあえず離れようと思って家出るじゃん?でも、やっぱり好きだったらどうしたらイイと思う?」
「……」
玲司はゆっくりと沙希の額に手の甲を当てた。
「熱ない!」
「なんだって?お前が…お前の兄貴を?」
「うぅ、やっぱダメ!想像しちゃった!サイアク!この話なし!もう忘れろ!」
自分で出した例えを想像してしまった沙希は自爆して払うように首を振る。
「沙希…お前、好きな相手でも出来たか?」
「?!」
「それが家族みたいに思ってる相手、とか…そういう話か?」
「…あ、え?な、なんでそうなんの!違うし!いつも言ってんじゃん、俺はちゃんと自立できるまで恋人とか要らないって!」
「俺は知っての通りだから言えねぇけど、唯…姉貴が言ってたぜ…確か、選ぶなら家族みたいな相手がオススメだとさ」
『何かを選ぶときにね、これ好きそうだな…とか、似合いそうだな…って真っ先に思い浮かべるような子は身近に居ないの?』
『…はぁ?』
『はぁ?じゃないわよ』
『…チビ達のおやつとかなら好み知ってるから、好きそうなの選ぶけどな』
『ちっがうわよ!おばか!でも、そう言うこと!家族みたいに思える人って事』
『違うのか合ってんのかどっちだよ』
「う〜…」
違う。しかし一部は合っている。玲司なりに考えてくれた答えに沙希は何も言えなくなった。なぜ好きな相手に好きになるのにオススメな相手を教えられているのか。
「色気付くには良い時期じゃねぇか?」
笑いながら荷物の片付けに戻る玲司。
(…そ、だよな…俺に好きな人が出来たって、玲司は笑う…それもう答えじゃん)
玲司は恋を始めるのには、バレンタインデーの近い今は良い時期だという意味で言ったのだろう。
しかし、沙希には恋を終わらせるのに良い時期だと言われた気がして。
「うん…そうかも…ありがと」
と、静かに肯定したのだった。その後は話題を戻さず、いつも通り菓子を楽しそうに選び始めた沙希は自分がいつも通りでいる事に集中していて、玲司が背を向けたまま顔を合わせないという異常に気付かなかった。
バレンタインデーは夜の街の繁忙期でもある。
バレンタインデー週間としてイベントを開催しているクラブは多い。対立関係にあるrosierとrisenも例に漏れず。日が落ちれば甘いチョコに代わり、高価なプレゼントやアルコールが贈られる。
眩しいシャンデリア、輝くシャンパンタワー、いつも以上に美しく着飾る夢見の姫達。ゲストの前では笑顔で酒を煽るホスト達は裏ではその酒を胃から逆流させたりしている。楽屋でダウンした仲間を跨いで店に出る、決して楽では無い世界だ。
「あ゛ー…休憩、外行ってくる」
「大丈夫っすか?皇さん」
人気のホストはイベント期間になると、ほぼ不休。おまけに今年は店長がライバル店を出し抜く策として限定のステージまで予定に組み入れて小休憩も貴重だ。店の裏口から喫煙所に出て、出突っ張りだった心身を緩ませる皇。煙草は咥えただけで火を点けていない。
「火、点けるー?」
「なんでテメェがうちの喫煙所に居るんだよ」
「うちのって、ただ店の裏にあるだけで一応公共の場所ですよねー?ロジエNo.1の皇さん」
緩めた心身が引き締まる、この甘えた声。顔を見なくても一度で記憶から出てくる印象の強さはさすがrisenのNo.1という所か。予期せぬ天空の登場に、未使用の煙草は箱に戻された。
「はぁ…No.1はそっちもだろうが、嫌味みたいにいちいち付けるな」
「んーん、尊敬だよ!それに僕は元No.1」
「はっ、抜かれたのか…短い天下だったな」
「僕が育てた後輩がね、店舗ブログで人気出たから、次は配信で整形実況みたいなの始めて…あっという間にインフルエンサー!バズった翌日1日で抜かれちゃった」
「下剋上は此処じゃよくある事だろ」
「うん…初期整形の費用に貸してた借金も人気が出たらすぐ完済してくれたし、根は良い子なんだけどねー…えへっ!下剋上って、された側はムカつくよね」
可愛い顔で毒吐く天空。タバコではなく棒付きのキャンディを咥えている。
「引き摺り下ろされたテメェの負けだ、ムカつくなら取り返せ」
「皇さんは絶対、引き摺り下ろされないって自信があるんだ?かっこいい〜」
「うちのホスト舐めんな、売上だけなら俺がNo.1じゃ無い日もある…特にNo.2とは接戦だ、毎月の総合成績がNo.1なだけで、俺の足を掴んでる奴らは多いんだよ…だから俺は常に上に向かって踠く、下を見ないようにな」
「そうなんだ、うちは僕が突き抜けのNo.1だったから…みんなちやほやしてくれて競い合う感じは無かったんだ…でも今は、なんか変な空気…新しいNo.1は仲間に、あんまり慕われてなくて」
「ソッチの空気が悪いのはコッチ的には好都合だ…ああ、気分がいい」
「もぉ!意地悪だなぁ!…せっかく内緒話しようと思ったのに、意地悪すると忘れちゃうよ?」
「俺はテメェと話してる暇ねぇんだよ、これ以上絡んでくるなら金取るぞ」
「ふぅん、ホスト狩りの事でも?」
「…あ?」
「去年からロジエのホスト狩りが起きてるって僕の耳にも届いてる、リズンが疑われてるのも何となく知ってる…でも僕には関係なかったし、その時はね…こう思ってた」
「「イイ気分」」
言葉を読まれて目を丸くする天空。
「初めから、テメェの腹が黒い事くらい分かってんだよ…やめろ、その下手な演技」
「ほんとーに意地悪!さっき皇さんだって、コッチの空気が悪くて良い気分って言ったんだから、お互い様だよね?」
「お互い様?俺は、ライバル店だろうとホストが顔潰されてイイ気分にはならねぇ」
「それは…うん、ごめん」
天空も見た目に関して、特に顔には努力してきた身だ。過去の態度を素直に反省した。
「俺に何を期待してる?先に答えてやるよ、何も出来ない…オラ!帰れ」
しっし、と手で追い払う皇。天空はグッと拳を握って皇を睨みつけた。
「僕の姫の中にこの辺の裏側に詳しい子が居てさ…教えてあげるよ、次はキミが狙われる!その顔、守れるといいね!」
はぁ、はぁと興奮を抑えるように肩を揺らす天空に、皇は呆れ顔になる。
「…客から聞いた情報をペラペラ漏らすな、バレて客が危険な目に合ったらどうするんだ」
「っ!」
「心配をどうも…じゃあな」
「待ってよ、もうひとつ…夕さんには気をつけた方がいいよ」
「夕?ああ、あいつには確かに気をつけるべきだな…要注意って張り紙したいくらいだ」
「彼かもしれないんだよ、ロジエのホスト狩りを裏で動かしてるの!」
「夕が?そんな訳…」
「夕さんには手を出すな、そういう指示なんだって…黒幕ではないにしても何かしらの関係はあると思う!僕の姫、僕に嘘は言わないよ」
そう言う天空の目も嘘は言っていない。
「…」
「皇」
「「!!」」
裏口の開く音に2人とも気付かずに突然現れた善に揃って肩を跳ねさせた。
「天空君も一緒?No.1同士、仲良しだね」
「仲良くねぇ!勝手に来たんだ…あと、こいつ今はお前と同じNo.2らしいからよ、お前が仲良くしてやったらどうだ?」
「お邪魔してまーす」
「そうなんだ?いらっしゃい、俺で良ければいつでも指名してね」
「えへへ、嬉しい〜」
「皇、ゲスト待たせ過ぎ」
「…チッ、一服も出来なかったじゃねぇか」
どうやら自分を呼びに来た善に、皇は喫煙を諦めて足早に店内に戻って行った。
「お話中にごめんね、いま混み合ってて」
「いえいえ!僕もそろそろ帰ります!お邪魔しました〜」
「あ、待って」
「っ…」
スッと体を寄せられて体格差に声を引き攣らせる天空。何かをポケットに入れられたようだ。
「おやつにどうぞ、お疲れ様」
「え…あ、ありがとう?」
優しく笑って店に戻って行く善。ひとり残された天空はポケットを確認する、入っていたのはブロック型のミニチョコ。安っぽさからゲスト用ではなくスタッフ用のつまみだろう。
(全然気づかなかった…いつから居たんだろう)
夜勤明けの薄い空色。笑武は久しぶりの夜勤を終えて始発のバスで最寄りのバス停まで帰ってくると、早朝の冷たい空気を思い切り吸い込んだ。
(冬の朝の空気って好きだなぁ)
コンビニでホットドリンクを買って帰路を歩いていると、知った人物と出会う。
「あ…栄生氏」
「花結さん、おはようございます」
「…や、夜勤明け?お疲れ様」
「はい!大型店の棚卸しに…この時期の屋外カウントは大変でした」
「ああ…自分は基本、リモートなんで…そういう苦労分からない…か、風邪とか気をつけて」
「ありがとうございます!」
引っ越して来てすぐの頃に比べて花結は長く会話をしてくれるようになった。同じくコンビニ帰りのようだったので流れで一緒に帰る。
「花結君?」
「あ…え、あ」
すれ違ったスーツ姿の男性が二度見して声をかけて来た。黒髪短髪に、黒い瞳。そして眼鏡の縁も黒い。顔立ちは整っているが、目立ち所のない真面目そうな男性だ。グレーのコートの脇にビジネスバッグを抱えている。
「花結さん、知り合い?」
「一応…挨拶くらいは」
「どうも田神です…田神 清高 」
「栄生笑武です、花結さんとは同じマンションの住民同士で」
「ああ!そうなんだ!そうかそうか、この辺り近くだからね」
「これから、仕事ですか」
「そうだよ、今日は本庁に研修に行く日なんだ、雪予報だったからいつもより早めに出たんだけど…今のところ大丈夫そうだね」
「どうりで寒い…うう、自分はこれで」
「ごめんごめん、久しぶりに顔見たからつい呼び止めちゃって!またね!」
爽やかに挨拶して去っていく清高。
「久しぶりって言ってましたけど、話とかしなくて良かったんですか?」
「え?…そんなに長く付き合いあった訳じゃないですし…名前もすぐ出てこなかったくらい」
もごもごと説明した後、少し考えるように沈黙して笑武をチラッと見る花結。
「どうかしました?」
「まあ、今もう住んでないし…言っても良いと思うんで…あの人…元1-B」
「え!」
「栄生氏が来る前に1-Bに住んでた人…ある日、急に引っ越したから少し話題になってたような…」
「そうだったんだ」
賃貸住宅なのだから、前の住人が居る事は当たり前に多い。笑武は清高がHeimWaldに住んでいた時の事は知らないが、不思議な気持ちになった。
「なんか、改めて俺は一番新入りなんだなって思いました」
「じ、自分も他の住人と関わるようになるまでに時間かかってるんで…と言うか、今でも一部限定アンロック状態なんで」
「あはは、俺は花結さんとこうやって話せるの嬉しいですよ!」
「はぁ…そう」
少し照れたようにはにかむ花結。
楽しそうに話しながら歩く2人を、少し離れた場所から見送る清高に、後ろから近づく人影。
「確認したから間違いないよ…学矢君」
「助かりました、田神さん」
にこ、と笑う清高。
「ハイリスクを取って協力したんだから、僕に代わって、お仕置きしておいてくださいね」
「もちろん」
黒い約束。
巣穴を暴かれた君。
捕食者の爪は、すぐそこに。
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