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第1話 ようこそ!よちよち娼館!

 どうしてこんなことになったんだろう。そんなどうしようもない思いばかりが脳裏をよぎっていく。  僕が倒れているのは薄暗い裏路地のようだ。ほんの数メートル先には、明るい繁華街らしき空間が広がっている。  助けを求めて必死に這いずると、肘と膝のあたりから激痛が走る。ぎりぎり身にまとっていた高校の制服は血と泥にまみれてひどい有様だ。  失われていく血液のせいで体を支えることもできなくなり、僕は路地に倒れ伏す。もはや小さく痙攣を繰り返すことしかできない。  ここで死ぬのか。状況は掴めないけれど、ひどい死に方だなあ。  ぼんやりと視界に入るだぼだぼになったシャツの下に、僕の腕は、なかった。  多分、トラックに轢かれたのだと思う。  部活の帰り道、普通に歩いていたら、突然激しいクラクションの音がして、まばゆいライトが視界に入り、次の瞬間には衝撃だけが体を襲った。  痛みは感じなかった。きっと感じる暇もなく死んだのだ。  だけど、ふと気づいたら、僕は見知らぬ路地裏に倒れ込んでいた。路地から見える表通りは、なんというか、絵本の中の西洋世界のようだった。ただし『夜の街』と呼べるような街並みだったが。  次いで激しい痛みを感じた。体を起こそうとしたが、何故かうまくいかない。少し経って夜の闇に慣れてきた目が捉えたのは、肘と膝から先がない自分の姿だった。 「ああ、あああ……」  混乱と痛みで震える声を上げる。そうしている間にも、血はどんどん失われてやがて僕は動くことしかできなくなる。  ――意識を失う直前、長身の影が僕に歩み寄ってきたのが見えた気がした。 「はっ!」  唐突に浮上した意識のまま目を開けると、そこは薄暗い部屋だった。とはいっても、裏路地のような薄暗さではない。間接照明で照らされているような、ピンク色の空間だ。  顔を横に向けると、白い枕に頭が乗せられているのが分かった。体にかけられているのも清潔なシーツのようだ。 「目が覚めたか」  顔を動かしてそちらを見ると、無表情を擬人化したかのような男性が椅子に腰かけていた。スリーピーススーツを着たアジア風の顔つきの男だ。ただし、その頭には曲がりくねった山羊の角があった。 「え、あ、その角……」 「ああ、やっぱり異世界人だったか。まあ、そのほうが後腐れがなくていい」  口だけを動かして彼は言う。  さっきの感想を訂正。彼は、目元以外は感情が豊かなようだ。  僕は体をよじって起き上がろうとした。だが、なかなかうまくいかない。手足から伝わる感覚を信じるのならば、やはり僕の手足は肘と膝の関節部分までしか存在していないらしい。  もぞもぞと蠢いていると、山羊角の男は僕の背中を支えて、枕を背に座らせてくれた。ありがとうございます、と小声でお礼を言ったが、彼からの返事はない。  自分の体を改めて見る。服は着替えさせられて、裸にシャツだけを着ている状態のようだ。それが少し恥ずかしくて腕で体を隠そうとしたが、そもそもその腕がない。 「あのう、僕はどうしてここにいるんでしょうか。あなたが助けてくれたんですか?」 「助けたというなら助けたことになるな。お前を拾って、手足を縫合してやったのは俺だ」  縫合、という言葉に、自分の足を見る。残っていた肉を、太い糸でつなぎ合わせたようで、グロテスクな縫い目が外側からも見えている。  なんだか昔の漫画の闇医者の顔みたいだな、と場違いな感想を抱いた後、ぶんぶんと首を横に振って今すべきことを思い出した。 「あの、ここはどこなんですか。外の景色って、ヨーロッパか何かですよね。僕、日本人なんですが……」 「ヨーロッパや日本なんて国はこの世界にはない。さっきも言っただろう。お前はこの世界から見れば『異世界人』だ」  僕はその言葉をゆっくりと飲み込み、静かな興奮とともにきらきらとした目を男に向けた。 「まさかよくある異世界転移! でも、なんで手足がなくなって……」 「知るか。大方、お前をこちらに転移させた女神か何かが、お前の死体から手足を拾い損ねたとか、そんなところだろう」 「そんなぁ!」  突然降りかかった不条理に、僕はうつむいて鼻をすすった。 「哀れだとは思うがそれだけだな」  男は立ち上がり、僕の目の前にやってくる。僕は長身の男の顔を見た。整っていて無表情だけれど、なんだか不機嫌そうな顔だ。 「それよりもお前は、今後の身の振り方を考えるべきだ」 「身の、振り方?」 「お前に残されているのは、その格好で外で野垂れ死ぬか、それともこの場所で働くかだ」  現実を突きつけられ、僕は固まる。普通の異世界転移ならここから冒険を始めることもできただろう。仲間を作って旅をすることだってできただろう。だけど、今の僕は違う。  山羊角の男は僕を見下ろして問うた。 「死にたいか、生きたいか。どっちがいい」  答えは決まりきっていた。僕は精一杯身を乗り出し、声を張り上げた。 「い、生きたいです! 働きます! 僕にできることなら……なんでもしますから!」  その瞬間、男の口角がわずかに上がった。 「言ったな?」  口にしてはならないことを言ってしまった気がした。だけどそれが何だったのか確認する暇も与えられず、男は僕に顔を近づけてきた。 「お前、名前は」 「みのるです。天道みのる」 「そうか。俺はゲルートだ」  ゲルートは僕の首に手をやると、すっと指を横に振った。その途端、首に何かが巻き付いたかのような痛みが走り、僕は前に倒れ込んでしまう。 「いづっ……な、何を、したんですか」  顔を上げると、彼の指から細い糸が伸びているのが目に入った。その糸はどうやら僕の首に繋がっているようだ。ゲルートは僕の短い腕を持ってひねり上げてきた。 「なっ、放してくだ……」  身をよじって彼の手から逃れようとする。彼に背を向けて短い足を動かそうとしたその時、激しい痛みが首に走った。 「ぎぃっ!」  まるで電流が流れたかのような痛みに、体は硬直してベッドに倒れ込む。ゲルートは僕の体をひっくり返し、正面から僕を睨みつけてきた。 「おとなしくしろ」 「ひっ……」  ただでさえジト目だというのにそれをさらに細められ、僕は動くことができないまま喉を引きつかせる。 「具合を確かめるだけだ」  右手にはめた黒手袋を取り、彼はベッドの脇にあった小瓶の中身を指に垂らした。ひんやりと冷たい液体がついたその指を、そのまま尻の窄まりに当ててくる。 「ひぃっ」  これから何をされるのか分からず、体をこわばらせる。彼は液体を塗り込むようにゆっくりとその周りを撫で続け、一瞬だけ僕が気を抜いたすきに、中に指を挿入してきた。 「ぅっ」  冷たい異物感に筋肉が収縮し、中に入っている指をぎゅうぎゅうとしめつける。 「フン、初物か」  ゲルートは僕の中をぐにぐにと探りまわる。その気味悪さに僕は短くなってしまった手足をばたつかせて抵抗しようとした。 「やめてください、もうやめ……あぐっ!」 「黙ってろ」  空いたほうの手で持った糸をゲルートが引くと、首に激痛が走り、僕は脱力してしまう。彼はそれに満足したのか、そうではないのかは分からないが、指を中から引き抜くと、いまだに動けないでいる僕を見下ろしてきた。 「どうするかな」  その目からは何の感傷も読み取れなかった。まるでそう、僕を物として扱っているみたいだ。 「初物食いの常連はいるが……ここまで健康体な商品もそうそうないからな」  朝食のメニューでも悩んでいるかのような気軽さで、ゲルートは呟く。その一挙一動に自分の今後が左右されるのだと気づき、僕は怯えた目を彼に向ける。 「お前」  唐突に声をかけられ、全身がびくりと跳ねる。そんな僕に、ゲルートは二択を提示してきた。 「一回で苦しんで死ぬのと、何百回で気持ちよく死ぬの、どちらがいい」  なんだそれ。どちらも死ぬのには変わりないじゃないか。  口から出そうになった文句を飲み込み、震える声で僕は主張する。 「死にたくないですっ」  ゲルートはそんな僕をじっと見つめ、軽くため息をついた。 「今日の俺は優しい。気持ちよく死ぬほうにしてやる。感謝しろ」  彼は再び液体を指に垂らし、今度は指を二本後ろの穴に入れようとしてきた。 「や、やめっ、入らなっ……」  一本目が入り、ぐねぐねと中をならしていく。数十秒それを続けられるうちに、液体を塗り込められた内側がなんだか熱を持ってきたような気がした。 「は、んっ、ぅ……」  知らずのうちに吐き出された空気が、音になって耳に届く。まるで自分のものではないようなその声をぼんやりと聞いていると、ゲルートは二本目の指を中に押し込んできた。 「うぐっ……!」  窮屈な中を二本の指が何かを探しているかのように動き回る。抵抗できずされるがままになっていた僕は、彼がある場所をぐっと押し込んだと同時に高い声を上げてしまった。 「ひっ!」  腰の下の方からぞくぞくと上がってくる感覚が怖くて、僕は首への痛みが来ることも忘れて身をよじって彼から逃れようとした。 「何、今の、やめて、やだ」  ゲルートはすぐに僕の変化に気づいてしまったようだった。僕が嫌がった場所を撫で、こね回し、爪で押し込む。そのたびに僕は体を震わせ、口からはだらしない声が出てしまっていた。 「あっ、やっ、あぁんっ」  彼は僕の内側をひときわ強く押し込む。同時に僕は腰を跳ね上げ、いつのまにか勃ち上がっていた性器から白濁を吐き出した。 「ああっ、あぁあっ!」  普段自分でするよりもずっとたくさん出てしまった精液は、はだけてしまった腹の上と清潔だったシャツに飛び散った。 「ぅ、ぁ……」  口を開けたまま脱力してうめいていると、ゲルートは手を拭き、外していた黒手袋をつけなおしていた。 「なんで、こんなこと……」  あんまりな仕打ちに、目じりに涙がたまっていく。それがぽろぽろとこぼれるのを一切無視して、ゲルートは僕に視線だけをよこした。 「俺は商品の調教師。そして――」  ゲルートはこちらに向き直る。その感情が読み取れない目を、僕は怯えた目で見つめ返した。 「ここは四肢欠損男子用売春宿、『よちよち娼館』だ」

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