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終章【選択・壱】理想の結①

 【選択・壱】  次に見たのは、真っ暗な闇に煌々と輝く満月だった。  波の打ち寄せる音だけが耳鳴りの様に頭の中に響き、何故自分は今月を見上げて居るのかも解らなかった。  其の満月を掴めるかと思って右手を伸ばしてみれば、脳の奥から浅い記憶が呼び出される。  ――中也と、海に落ちた。  此れを最期にするからと、二度と離れる事の無いよう小さな躰を両腕一杯に抱き締めた。  何度も何度も試みたのに、結局生き永らえて来て仕舞ったのは、屹度此の瞬間の為。君と心中を達成する為に私は産まれたのだと思う。  心中は一人では出来ない。一人で死ぬ事が寂しい訳ではない。此の広い世界でたった一人だけでも死を共にして呉れる相手と巡り逢う事が出来たのならば。  心から愛して、自分の死後別の誰かと倖せに為って欲しいなんて思えない程、深く、心から愛せる相手に出逢えるならば。  ――私にとって、中也が『そう』だったから。  強いと思ったから。自分が死んだ後も何も無かったかのように生きていける人間だと思っていた。  中也が初めて見せた心の弱さ。  一緒に連れて逝こう、そう思った。  ――――愛して呉れて、有り難う。  水を吸って重くなった着衣に引き摺られ乍らも海岸の石に腕を着いて身を起こす。  亦こうして生き永らえて仕舞った。残ったのは重い絶望のみ。今迄一度足りともいい加減な気持ちで死のうと思った事は無い。何時だって本気で死にたかったからこそ――  深い絶望の後、中也の事が頭に過ぎった。確かに強く抱き締めた筈なのに。暗い、冷たい水の中、離れないようにと互いに強く抱き締めた筈の手の中は空。 「中、也……?」  十米程先に小さな人影が見えた。其れが中原中也であると太宰治には強い確信が有った。  躰が重い。鉛の様な躰を這い蹲って中也に近寄る。直ぐ近くに居る筈なのに距離が縮まらない。長い時間を掛けて中也の元に辿り着いた時、太宰の脳裏には最悪の状況しか浮かんでいなかった。  ――全ク動カナイ。 「…………ねえ、嘘でしょ……中也……」  肩口を掴むと力無く仰向けに成る。だらりと垂れた片腕が何よりも明確に其の事実を物語っていた。 「……ちゅ、ぅ、や」  唇は青白く、顔は血の気が無い。 「…………嘘……厭だ……」  何時だって顔を合わせれば罵り合い許りで、其れが何時しか開く唇からは愛の言葉を紡ぐ様になっていた。  恐らく初めて出逢ったあの瞬間から。  ――彼と共に死にたい。  太宰はそう思った。 「……どう、しよう」  呼吸の証である胸元が上下していない。脈を確認しようと頚元に伸ばした指先に触れる、氷の様に冷たい肌。 「……どうしよう……如何しよう」 「森さん……助けて、中也が……」 「中也が、死んじゃった…………僕の、僕の所為、っで……」  太宰には、此処が何処であるのかも、今の自分の立場も年齢も解らなくなっていた。只目の前の中也が自分の所為で命を落とした、其の事実しか認識出来なくなっていた。 「起き、って……ねえ起きてよ中也……」  ――寝起きの悪い君だから  ――気怠げに目を覚ましても、共に過ごした翌朝は目覚めの接吻は忘れない  ――軽く触れる程度の優しい接吻を  中也の唇は冷たかった。  ――死にたくなりそうな程、心が押し潰された時は何時だって  ――『何泣いてんだ』って、頬に優しく触れて慰めの接吻をする 「…………おき、て……」

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