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月曜日をなんとかこなして会社をあとにした俺は目的に向かって歩いている。電話やメールでは意味がない。あの目を見て智に言わなくてはならない。
ドアを開けると軽い響きでドアチャイムが鳴った。
「いらっしゃいませ、おひとりさまですか?」
「はい」
「カウンターでも?」
「はい、かまいませんよ」
店内のテーブルは埋まっているがピークは過ぎたのか、慌ただしさはない。カウンターに座ってビールをオーダーする。この人がマスターなのかな。結構格好いいじゃないか、優しそうだ。ってそんなことを考えている場合じゃない。勢いで来てみたが、どうなることやら。
「いっらしゃいませ」
営業色100%の声とともにビールが置かれる。文字どおり「スマイル」な智が目の前にいた。
「突然悪いな」
「御客様は大歓迎ですよ。いつでも」
智とそっくりなロボットみたいだ。
「お料理を何かお持ちしましょうか?」
「智が作るのか?」
「物によりますね」
手を煩わせるのも何なので、一番簡単なものを選ぶ。
「じゃあ枝豆を。長居するつもりはないんだ」
『爽やかに微笑んで当たり障りのないバ一ジョンでこなしてる感じかな。見ていておもしろいけど、人でなしとも言える』智が以前俺にいった言葉を思い出した。ホントだな、この智は智じゃない。たしかに珍しいから面白いけれど。
「智、話があるんだ。それを言いに来た。仕事が終わったら付き合ってくれよ。どこかの店でもいいし、俺の家でもいい。どこでもいいけど話を聞いてほしい」
「わかりました。枝豆お持ちします」
そういって智は中に消えた。わかったってどっちだよ。俺の話を聞くよって事?枝豆ですね、ってこと?
ギャルソンエプロンをつけ颯爽と働く姿は小気味よかった。各テーブルを回ってにこやかに対応する。智目当ての客はすぐわかった。本人はまるで気が付いていないような素振りでいるから、他のテーブルの客も安心するのだろう。
料理をとりわける時に「トマトお嫌いでしたね」と『覚えていますよ、お客様』を暗に伝える。ちょろちょろと各テーブルでそんなことをしているから、ますますお客は喜び、特別だと思わせる。「値引きしていいですか?」なんて言う、うちの営業とは大違いだ。金のかからない、かつ心に響くサービス。テキストに加えよう。
「お待たせしました枝豆です」
湯気がたつ熱々の枝豆だった。
「蒸した枝豆がお好きですよね。少しお待たせしましたけど、おいしい茶豆です」
こういうことを営業スマイルでしないでくれるかな。智がセイロで枝豆を蒸してくれたことを思い出して頬が緩む。
「終わったら宮さんのとこにいくよ」
そうささやいた声は、いつもの智だった。
用事がすんだ俺は枝豆を急いで食べビールを飲みほして会計に向かった。出迎えたマスターらしき人がレジを打ちながら言った。
「失礼ですが、智の知り合いですか?」
いきなり聞かれてまごつく、なんで?
「ええ、そうです」
他に言いようがない。
「智がリラックスした顔を見せるような知り合いがいて安心しました」
「え?ぜんぜんリラックスしたように見えませんでしたよ。営業100%な顔でしたから」
「営業時間中に「とも」になることはないんです。でも貴方の前ではさすがの智も化けの皮が剥がれたんでしょうね」
クスクス笑いながら釣り銭を渡された。
「またいらしてください。といっても、あなたは来ないですねきっと」
このマスター面白い人だ。仁さんといい勝負だね。
俺は智を納得させることができるだろうか、いやさせてみせる。何時間後かを思いながら自分の家に向かった。
日付が変わろうとした頃インターホンがなった。電子錠を操作して玄関のカギを開ける。
少し考えたあと、そのままリビングに向かった。いつも智が来る時そうしてきたのだから、今日だけ玄関で出迎えるのは変だろう。少し疲れた顔の智が入ってきた。
「おかえり、疲れただろ。ビールのむか?」
冷蔵庫からビールを取り出し缶ごと渡す。智はニヤリと笑った。俺の緊張を見透かしたのか?
「おかえりって、不思議だね」
そうだな……「お疲れ」「来てもらって悪かったな」など他に言うべき言葉が沢山あるというのに「おかえり」と言ってしまった。
「自然とでてきたんだよ。深い意味はない」
「一応僕なりに、ここに向かいながら色々考えていたからホッとしたよ、正直」
「何考えてたんだよ」
「昨日の今日だし。宮さんのレスポンスがこんなに早いとは思わなかったんだ。前みたいに1ケ月くらい僕をほっておくかと思っていたから」
「あのときは店でしかお前に会っていなかっただろ?でも今は違うから」
智はそれきり黙りこんだ。ビールをあっという間に1本あけ、冷蔵庫にむかう。どう切り出していいのか正直困っていた。智は俺が話すまで何も言わないだろう。話を聞いてくれといってここまで呼んだのは俺だ。
「うまく話せるか自信がないんだ。だから結論から先に言うよ。智に傍にいてほしんだ、いや俺が智の傍にいたい」
そのまま言葉が宙に浮く。智の表情が変わらず、俺はこの先何をいってもダメな気がしていた。
「僕も傍にいたいよ。だから週末は宮さんと過ごしてきたんだけど?何も改まって言うことじゃないよね」
智は笑顔だけれど、目は笑っていなかった。
自分が情けない。『買ってくれませんか?』と客にいう新人営業マンみたいだ。どうして肝心な時にうまく言えないのだろう。いや違う、うまく言おうとするからいけないんだ。智を相手に繕ったって見透かされる。
「俺は智みたいな男に初めて会った。見た目が抜群で、よく回る頭を持っている。穏やかで自分を知っている、そして媚びない。話せば話すほど、どんどん引き出しが開いてきて楽しい。
お前と過ごす時間は何にも得難いものになった。だからこのままでいよう、一歩すすめてしまったら、そこから終わりが始まる。このままでいれば終わりはこない、そう考えていた。でも、それは単なる逃げだった。
昨日それに気がついた。智のおかげで」
キスされてとは言えなかった。
「始めた時点で終わりが始まる。その意味は僕も知っているよ。宮さんがそう考えたのはわかる。僕もそれは考えたことだから。でも違うと思えたから僕は宮さんにキスをした」
「あんなのは、初めてだった」
「少しやりすぎたね」
「いや、そうじゃないよ。唇をとおして智が落ちてきた、俺の中に。どうしたいの?と聞かれているようだった。『さらなる力』になる気はあるの?と問われた。そんなキスだった」
「まいったな、そこまで宮さんに伝わるとは思っていなかったよ。僕は試したんだ」
テーブルを挟んで向こうにいる智は、俺と違って余裕があるように見える。俺はただ必死だった。拙い言葉で智に伝えなければならない、どんなに必要としているかということを。
智がクッションを膝の上にのせて片手で頬杖をつく。少し考えるようにテーブルに視線をおとしたあと、俺の目を真っ直ぐにみながら口を開いた。
「互いが相手を欲しているのは気が付いていたよね。問題はそこからだ、どうしたいのかだ。
僕は前回少々キツイ経験をした。あの出会いはとても重要なものだったから後悔はしていないよ。ただもうああいうのはゴメンだ、心がもたないと思う。
宮さんはいつも僕が「こうあってほしい」と思うことをやってのける。男らしくて格好がいい。仕事に打ち込んでいて正直だ。僕に優しくしてくれる宮さんに心が温まった。それはずっと望んでいたものだったから我慢できなくなったんだ」
「我慢?」
「そう、僕は宮さんと一緒ならとても穏やかにいられるし、成長できると感じてしまったから。そういう関係が心の底から欲しかったんだよ。でも宮さんはこの関係をどうしたいのかわからなかった。だから昨日実力行使にでたんだ。
厭らしい男だと思われているかもしれないって、少し怖くなった。家に一人でいて」
「智にあやまらないとな。『俺も過去にやりまくったって話でもすればいいか?』って言っただろ。あれは抑えつけたのに噴き出した嫉妬だ。とんでもなく見当違いな言葉だったよ、ゴメン」
「宮さんのそういうとこ好きだよ。自分の非をちゃんと認める」
こんな時に好きとか言うな!赤くなる自分を意識する。でももういいと思った。赤くなったり青くなったりする俺をみられてもいい、隠す必要がない。
「今までしてきたキスと行為自体は変わらないのに、初めて知る感覚だった。臆病に逃げ回る俺に智は容赦なかった。お前で溢れそうになった。
そして気がついた、キスで心を交わせるのなら、抱き合ったらどうなってしまうのだろうと。自分のすべてを相手に落とせる、そして落ちてくる……ようやくわかったんだ」
「なにを?」
少し怯えたような顔。俺はそこから目を逸らすつもりはない。
「殺してくれと言ったお前と、死を智となら体感できると感じた男のことを」
「みや……さん」
驚いたような、でも嬉しさをにじませた智の表情に勇気をもらう。
「全部抱えてやるよ、縛られていないといった智を信じる。全部ひっくるめて、俺は智の傍にいたいんだ」
智と自分を隔てているテーブルがもどかしい。俺は立ち上がって向かい側の智をすっぽり腕の中に包み込んだ。どうしたらいいんだ、こんな愛おしいと思う存在を知ってしまって。
「俺がグズグズしていた理由はもうひとつある」
「なに?」
腕の中からくぐもった声がする。
「失くしてしまったらと、実際今もだけれど。俺は弱いからさ、怖がりだしね。でも智が一緒にいてくれるなら、二人が同じ方向を見ていれば、そうそう失うことは無い。そう思えるまで、ちょっと時間がかかってしまった」
「こんなに雁字搦めにされてたら逃げられないよ」
「逃げたいのかよ」
「ん……ここは温かい」
答えになっていないけれど許してやるよ。いや、俺はもう何でも許してしまうだろう。
「恥ずかしいついでに、もう一つ言っておく」
「今度はなに?」
「俺、昨日仁さんに「智をもらう」って言った」
腕の中からガバっと顔をあげた智が、目をマン丸にしている。それがあんまり可愛いので鼻の頭に唇を落としてしまった。
「ちょっと、なんなんだよ~。もお、なんで仁さんなんだよ!」
「いや、智と仁さんって俺の踏み入れない絆があるように見えたから宣戦布告な感じ?」
「宮さん、バカだな~~頭いいくせに!」
「智のことになったら頭が働かないんだよ!」
大人の男が夜中になにを言い争っているんだか。その馬鹿らしさに気がついて、お互い顔を見合わせる。智の目は静かに煌めいていた。
そして嬉しそうにほほ笑んだ智の唇が紡いだ言葉。
「でもいいよ、人間ギャップに惚れるっていうじゃない?」
End
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