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第2話
車は渋滞の中をのろのろ進み、定時20分前に地下駐車場へ滑り込んだ。地下3階地上30階建てのビルは日系企業が多く入り、東京のオフィスとほとんど変わらない。
亮祐の勤める槙田家具は12階にある。支社といっても駐在員は亮祐以外に大里という日本人、現地スタッフ3名、秘書兼通訳1名のこじんまりしたものだ。
「おはようございます、島津支社長」
「おはよう、チャナ」
支社長室に入ると秘書のチャナが完璧な発音の日本語で挨拶をした。大きな目が印象的な青年はまだ入社2年目の24歳。きちんとネクタイを締めてスーツを着ていても顔立ちにあどけなさが残る。
「週末はいかがでしたか?」
「楽しかったよ。君は?」
「つまらなかったです。亮祐さんが一緒じゃなくて」
チャナが艶っぽい目で亮祐を見上げた。部屋には二人だけだ。
「でも亮祐さんは僕がいなくても楽しかったんですね」
そっとネクタイに手を添えて拗ねた口調で小さくなじる。その甘えた仕草がかわいくて、大袈裟に嘆いて抱き寄せた。
「おいおい、俺に言うのか? 身内の結婚式だからバリ島まで行かなきゃって俺を置いて行ったのは君なのに?」
「本当は結婚式なんて行きたくなかった。あ、そうか、亮祐さんをバリに誘えばよかったんだ」
海外なのに映画に誘うような気軽さでチャナは言い出した。大学の日本語学科を卒業した彼はエリートだ。当然裕福な家に育っていて、庶民の亮祐よりもよほど遊び慣れていた。
「次にどこか行くときは一緒に来てよ。そうだ、今度、旅行に行こうよ」
「それもいいな」
チャナは花がほころぶような笑顔を見せる。
「約束だよ。ビーチがいいな」
背伸びして口づけてくる。すぐに深いキスになって二人の舌が絡み合う。
チャナと親密な仲になったのは亮祐が赴任してすぐのことだ。右も左もわからない亮祐にこの国の習慣や考え方を教えたのが秘書についたチャナだった。そして亮祐の初めての相手だ。歓迎会で酔った亮祐を部屋に送ってきて、そのまま亮祐を押し倒したのだ。
ベッドで馬乗りになってチャナは艶っぽく微笑んだ。
「僕は好みじゃない?」
「とんでもない。でも俺は…」
経験がないと言っていいのか? 口ごもる亮祐にチャナはするりと腕を回して口づけた。かわいい顔に似合わず、情欲を煽る官能的で濃厚なキスだった。
「初めてなの? じゃあ教えてあげる」
夢にまで見たシチュエーションに抵抗できず夢中で抱いた。チャナは初心者の亮祐を誘導して男同士の快楽を教え込んだ。
それから半年、二人は楽しく過ごしている。経験豊富なチャナは亮祐をセフレ扱いしているが亮祐は気にしなかった。甘えてくる彼はとてもかわいい。それだけで十分だ。
「で、今日のスケジュールは?」
ひとしきりチャナの唇を堪能して身を離した。タブレットを操作して予定を確認する。午前中は本社とテレビ会議、午後は…。
「セルーア社からインターンが来ますよ」
「インターン?」
「ええ。次期社長とか? …名前はサーマート」
そうだったと亮祐はうなずいた。
取引先が跡取り息子に日本の高級家具を勉強させたいと言って来たのだ。この国でセルーア社の名前を知らない者はいない。王宮の家具職人を取りまとめ、会社に興したのがセルーア社の創業者だ。
「面倒だな」
思わず本音を漏らすとチャナは大人っぽく笑った。
「ええ。でも仕方ありません。それから気をつけてくださいね」
「何に?」
「サーマート氏に。セルーア社の創業者は貴族です。ここでは今も大きな権力を持っていますから機嫌を損ねないほうが賢明です」
もともと王政だったこの国には特権階級として貴族がまだ存在し、彼らは政治経済界に大きな影響力を持っている。
「もっともサーマートはアメリカの大学を卒業して先進的な考えを持っていて、古色蒼然とした貴族たちとは違って実業家というほうがいいかもしれません」
どちらにしても扱いに注意が必要な人物らしい。
「わかった、気をつけよう」
支社長の顔に戻って亮祐はうなずいた。
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