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第2話

一生続くみたいな梅雨も明けすっかり暑くなった七月のある日顧問の土田に呼び出された清平は顧問からの思いがけない言葉に素っ頓狂な声を出した。 「え、吉澤が転校?」 「ああ、体調が芳しくなくて他県のその道の専門医を訪ねて引っ越すらしい。それに合わせて通信制の高校に転学するらしいぞ」 美術部の副部長である吉澤が病気を患って入院してから二か月、そんなに病状が悪化していたとはと、驚いた。 吉澤が入院してから一度もお見舞いには行っていない。 一応、同じ部活の責任者同士なのだからと思ったが病院は嫌いだ。死んでも近づきたくなかった。 もちろん来てくれと吉澤にも請われたが、体の負担になるからと遠慮したフリの清平に「来てくれた方が元気になるのに」と吉澤が電話口に寂しそうに言っていた。 昏い顔になった清平を見かねて、話題を変えようとしたのか土田が努めて出した明るい声で「新しい副部長の任命はお前に任せるな」と何のフォローにもならないことを言って肩を叩いた。 昏い気持ちのまま職員室を後にし、荷物を取るために戻った自分の教室で自分の机に腰かけて部員たちに話があるから明日部室に集まってくれとメールを出した。 吉澤のことを話さないといけない。人と深く接しようとしない清平とは違い、人当たりがよく下級生にも慕われていた吉澤の入院を部員はみな心配していた。 どうやって話そう、みんなきっとショックだ。 それを打ち明ける役割をしなければならない。 憂鬱な気持ちで教室の窓を開けて空気を吸った。 オレンジ色の夕陽が眩しくて清平は目を細めた。 吉澤とは一年生の頃美術部に入部した際に知り合った。 その頃の美術部も今とさほど変わらず人気がなかったので、同学年で美術部に入ったのは清平と吉澤の二人きりだった。 これからよろしくな と人好きする笑顔で握手を求める吉澤によろしくするつもりはないけど…と心の中でだけ返事をして握手を返した。 そして3年生になっても同学年は二人きりのままでそのまま部長と副部長に就任した。 本当なら吉澤に部長の座を押し付けるつもりだったのに、3年生に上がってから吉澤は体調をよく崩すようになり仕方なく清平が就任することになった。 思い出が芋づる式に呼び起こされる。 思えば吉澤から休学し入院することを打ち明けられたのも放課後の夕日が綺麗なこんな日だった。 お前に一番に言いたかったから。 誰とも決して断交するわけでもないが、深く接しようとしてこなかった付き合いの中の一人だと思っていた男にそう言われてどんな顔していいか分からない清平に吉澤はただ一言「元気になったらまた一緒に部室で絵を描こうって言ってくれ」と痩せた笑顔で言った。 思えば、吉澤は積極的に関わりを持たない自分に対して深く立ち入りもせず、けれど決して一人にもしない清平にとって理想的な付き合いをしてくれていた。 こんな面倒な相手にどうして吉澤はそんなに暖かく接してくれて、まるで親しい友人に言うようなことを言ってくれたのだろう。 そっと蘇った思い出と優しさに胸がいっぱいになった。 その約束も転校しちゃったら叶わないじゃないか。でも、転校しなければ、治らない。 人と深く関わり合いにならないと誓ったはずなのに、一緒に部室で過ごした二年の間にいつの間にか繋がった絆は簡単には断ち切れないことを実感した。 半分破れた約束を胸に抱いて、帰る気分にも部室に顔を出す気分にもなれず目に溜まっていくものをどうすることもできず無気力のままただ窓の外を見た。 人の温もりに触れた時。 死の気配を感じた時。 急に気弱になってしまう自分が嫌になる。 3階角にある清平の教室は見晴らしがよく、沈む気持ちを誤魔化す効果を期待してわざとあちこちに目を向けた。 グラウンドで野球部たちが掛け声をあげながらランニングしてるところ。 ジャージを着て花壇の世話をする下級生。 自販機の前でたむろして笑い転げる人たち。 向かいの棟の二階のベランダで不自然にスマートフォンで写真を撮る男。 スマートフォンで写真を撮る男…?見覚えのある光景に目が離せなくなる。 「久住…?」 聞こえる訳ないのに、名前を呼ばれた男はまるで聞こえたかのように清平のことを見上げた。 意図せずぶつかった視線に体が硬直する。 溢れたまま放置していた涙を見られた気がして慌てて目を拭い、窓から離れた。 すぐ側の自分の席に腰かけて息を整えると見られてる訳もないのに過剰に反応してしまった自分に恥ずかしさがこみ上げる。 それにしてもあいつは何故いつも訳の分からない所で写真を撮っているんだろう…先月も大雨の中あんな風に写真を撮っていたし、それに校内でのスマートフォンの使用は禁止されている筈だ。 それをあんな風におおっぴろげてよく使えるものだ疑問が溢れ出るように一瞬でそんなことを考えた。 悲しい気持ちはいつの間にか久住への不可解さに変わって消えた。 もう帰ろう。律儀に窓を閉めようとさっきまでいた窓に近づくともう向かいには久住の姿は見えなかった。 もしかしたら目が合ったと思ったことも間違いかもしれない。 見えなくもないけれど、見えやすいわけでもない距離だし、すぐに目を逸らしたし、大丈夫だろう 大丈夫、大丈夫自分に言い聞かすようにしてから自分の荷物を持ち、廊下に出ると階段を急いで駆けあがってきた久住と会った。

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