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第7案【怪文書に似ています】 前編

 ──というわけで、俺は好きな人の羊になった。  ──やったな、俺。メェ、メェ。  ……いや、なんだこれ。すまない、俺にもよく分からない。だから、そんな不思議そうな顔で俺を見ないでくれ。  俺だって、頭の中は疑問符でいっぱいなんだぞ?  王命という名の無茶振りを受けた、その翌日。井合課長は宣言通り、一週間後に会議を開くよう他の課長達へ約束を取り付けたらしい。  そこで井合課長が提案した条件は【自分の課で、一番の新米が用意した企画書が通れば、会社と提携する】というもの。一番の新米とは、四月に異動してきた俺のことだ。  ちなみに、今は六月。まだまだ、新人中の新人と評されても仕方ないポジションだろう。  それを聞かされた日、俺は井合課長に問い掛けた。 『──井合課長が提案した方が、皆が納得する商品になるのではないでしょうか?』  課内だけではなく、社内でもトップクラスの頭脳を持つ井合課長の提案。  そんな凄すぎる相手と、異動して二ヶ月目の俺の提案を比べてみろ。発想力も想像力も、雲泥の差じゃないか。  けれど、井合課長はあっけらかんとした態度でこう答えた。 『──こっちをあえて不利にした方が、相手は聴く耳を持つだろう?』  こちら側を不利にすることで、相手側に余裕を持たせる作戦らしい。要約すると『可哀想だし、まぁ少しなら耳を傾けてあげてもいいですよ』と。相手にそう思わせる、作戦。  こちらはどこまでも下手に出て、あくまでも立場が上なのは、相手。相手にこそ【選ぶ権利を持つ優位な立場】という強すぎる権利を与えたのだ。  井合課長は、提携について考えてもらう場を用意したかった。そのためなら、藁にも縋る思いだったのだろう。  会議の場には、俺を左遷させた上司も、勿論居る。井合課長の申し出を一番に承諾したのは、営業課の課長だったらしい。  ──完全に【鳴戸怜雄を下に見ているからこそ】快諾したのだろう。  営業課から左遷され、企画開発課の下っ端として働いて、たったの二ヶ月。実際のところ、俺にはこれといった才能は無い。なんだったら、今まで俺が企画した案件は全て却下されている。ここでの業績も、底辺なのだ。  ……それでも、諦めるわけにはいかない。  アダルトグッズなんて全く知識が無いし、そもそも関心すら持っていなかった。……正直、今も関心は無い、けれど。  ──好きな人が、信じてくれているのだから。【後退】の二文字は、あってはならない。  ここ数日、寝ても覚めてもアダルトグッズのことばかり考えているけれど。  スマホで画像検索をして、背後から同じ課の職員に見られ、生温かい視線を向けられているとしても。  それでも俺は、進み続けるしかないのだ。  偉い人には馬鹿にされ、見下され。  課内では【業務中にエロサイトを閲覧している変態】と認識され、若干割に合わない気もしてきているが。  それでも、俺に【後退】の二文字は、ないッ! 「──うわ……っ。さすがに会社のパソコンでエロ検索は、引くな……っ」  職場のパソコンで設定されている、ネットの閲覧規制にかからないギリギリのサイト。ややピンクなサイトを見ていると、背後から井合課長の声が聞こえた。……その声は、ほんのりと侮蔑を孕んでいる。  ……すぅっ。  ──あぁぁッ、クソッ! 割に合わねぇぇッ!  頭を掻きむしりたくなるし、それでも【後退】できないと分かっているのだがッ!  ──だがそれでもッ! 俺は今すぐ【交代】したいッ!  なんとか叫びたい衝動を抑えながら、俺は井合課長を無視した。

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