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第1話 モーニング

 昔、かなり昔。ランドセルを買ってくれると言う祖父母に付いて行き、百貨店へと向かった。  車に揺られながら、幼き日の甘笠鉄平(あまがさてっぺい)は、頭の中でランドセルの色は何にしようかと考えていた。  けれど、広いグラウンドの横を車が通過した時に、その意識は一瞬で変わった。 「うわー! サッカーしてる!」  車の窓の向こうで、大人達がサッカーの試合をしているのが見えたのだ。  鉄平はその姿を目で追った。  車は赤信号で数分止まり、鉄平は一人の選手がゴールを決める瞬間もたまたま見る事ができ、一人興奮した。  その姿はテレビで見るヒーローよりもかっこよくて、緑色のユニホームを着た仲間達がそのゴールを決めた選手にザッと集まるのも見ていて、すごいなっと思った。  こんな風に一つのボールを追いかけてゴールを決めてみたい。その気持ちがその数分の間に生まれた鉄平は、車が動き出した瞬間にランドセルよりもサッカーボールが欲しいと祖父母に駄々を捏ね、二つとも買って貰った。  サッカーを始めた鉄平は、あの時感じた気持ちを薄める事無くのめり込み、初めて試合に出て初めてのゴールを決める事もできた。  すると、あの時車から見た時のように仲間が鉄平にワッと集まり、肩を組んで一緒になって喜んだ。  あの時のゴールを忘れられずに成長した鉄平は、大学を卒業後も実業団のチームに所属し、今もサッカーを続けていた。  プロにはなれなかったが、実業団として働きながら未だにサッカーを続けれる今の環境はとても喜ばしく、毎日が楽しかった。  仕事も上司や部下にも恵まれて、営業マンとしての成績も上々。  仕事もプライベートも充実した日々の鉄平は毎日がとても幸せだった。  それはどれも恋人のお陰かもしれない。 「鉄平さーん」 「ん……」 「ご飯できましたよ。起きて下さい」 「う……うーん……」  ゆさゆさと身体を優しく左右に揺すられ、心地良い声が鉄平の事を起こそうとしていた。  この声は勿論彼しかいない。 「んー……しんちゃーん」  槌谷新壱(つちやしんいち)。会社の後輩で鉄平の最愛の可愛い可愛い恋人。 「えー……まだ眠いよぉ」 「駄目。今起きないと朝練に間に合わない」 「……ん? ……朝練? あーそうだ……」  そう言われ、静かに頭が覚醒して行く。  来週の試合の為に一昨日から朝練が始まっていたのだった。それを鉄平はすっかり忘れていた。  でも、しっかり者の新壱はそんな鉄平の事を熟知しているので、部屋まで起こしに来てくれたようだ。  さすが頼れる恋人。 「朝ご飯食べる時間はあるから、お腹空いてるなら食べて行って下さい」 「和食ぅ? 洋食ぅ?」 「和食。味噌汁にナス入ってます」 「おお! いいねー! やる気出る」 「なら起きて……んっ!?」 「……ふふっ。寝起きからのちゅー。嬉しい?」 「……馬鹿」  そう。この照れた感じ。一番可愛い。 「さ、その先も……うっ!」 「間に合わない」 「……はーい」  お腹に打撃を受け、鉄平はへらへらと笑いながらベッドから出る。  こう言う朝をもう半年は続いている。  なんて最高な目覚めだ。 「おー、シャケだ!」  歯を磨いてジャージに着替えた鉄平は、テーブルに並んだ朝食を見て笑みが溢れる。 「朝と夜は栄養のあるやつ食べた方が良いと思って。昼は外食が多くなりますからね」 「まーなー。営業マンですからね」  お昼を食べる時間なんか決まってなどいない。  空いた時間があれば食べるし、無ければ食べない事もある。だからこそ、朝からこんなちゃんとした朝食を食べれるのは鉄平にとって、とてもありがたい事でもあった。 「でもさー、いいんだぞ。お前も一緒に起きなくても」 「え……?」 「だってさ、俺は朝練があるから五時起きだけど、お前は七時とかでもいいわけだし。俺の為にこんな朝からすげー朝食作んなくてもさ。大変じゃない?」  鉄平は朝練があるからこんなに早く起きなければいけないが、普通に出社する新壱にとったらまだ寝てていい時間だ。  しかも、朝食を作っているのなら、きっと四時半くらいには起きて作っているはずだ。  一昨日の日は「たまたま起きたから」と言っていたが、今日も作ってくれているならそれはきっと、いや、確実に鉄平に合わせて作ってくれている。 「いつもなら一緒に出社できるから朝食とか作るのもっと遅いわけじゃん。でも、朝練の時は別に作らなくても……」 「いいんです。俺が作りたいの」  そう言って、新壱は茶碗にご飯山盛りに盛り、はいっ、と鉄平に渡して来た。 「……俺が鉄平さんの力になりたいの」 「!!」 「俺のご飯が少しでも鉄平さんの力になるなら……何時でも作りたい」 「しんちゃん……」  なんて優しい恋人。いや、嫁だろうか。  今まで付き合って来た彼女達はこんなにも鉄平の事を想ってはくれなかった。  このマンションに同棲していた元彼女でさえ、そんな事を言ってくれた事は一度も無い。 「ここに来た時は飯も炊いた事すら無かったのになー。今ではこんなにもすんばらしい朝食を作れるようになって、夕飯もバリエーション豊富になってぜーんぶ美味くなって……それってさ、全部俺の為にって事だよな?」 「……さー。どうでしょう」 「それ思うとさ……朝からやばいよな」 「え? やばいって?」 「やりたくなる……」  昨日したばかりなのに、下半身はもう熱くなる。  新壱の顔を見ると抱きたくなる。  鉄平のここはまだまだ二十代前半のようだ。 「! な、何を!?」 「せっ……ふがっ!」 「だ、黙ってお茶でも飲んで下さいっ」  でも、そんな台詞に赤面して目を逸らす新壱だった。  何度身体を重ねても、こんな台詞にこのウブな反応を返して来る。それが鉄平にはたまらない。 「……このツンデレめ」 「……そういうのは夜するものです」  そして、この計算も無い本音の一言。  なんでこんな可愛い子が今まで彼女も彼氏もいなかったのだろうか。不思議だ。 「よ、夜ぅッ! おっけー! その言葉忘れんなよー!」  そして、こんな三十の男を好きになってくれたのか。ほんと、謎で奇跡だ。 「今日も頑張って下さい」 「はーい!」 「良い返事」  はい。やっぱり夜までなんて待てません。  今、ちょっとだけでいい、触りたい。 「駄目だッ! 一回、一回だけ!」 「うわっ! ちょっ、ちょっ……ンッ」  我慢なんて馬鹿らしい。したい時にしたい。 「少し、ほんの少し!」 「ちょっと、遅れます! わあっ!」  鉄平は勢い良く立ち上がり、俊敏に動いて新壱の身体を軽く抱き上げると、そのままソファーへと移動した。

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