「今日の若旦那、落ち着きないですね」 「え？　そうかぁ？」 「そうかぁって、朝から時計ばかり見てます」 　そう言って来たのは、長年旅館で働いてくれている支配人の板(いた)だった。 　板は、旅館を継いだばかりの鉄平の教育係として常に近くにいる存在で、時に厳しく、時に優しく、ちゃんと鉄平が一人前の若旦那として働いて行けるように日々指導してくれている第二の父のような男だった。 「えー？　そ、そうかー？」 　と、言いながら口元が緩んでしまうのが自分でも分かった鉄平は、フロントに立ちながら玄関をチラチラと何度も見てしまった。 「ほら、また……」 「板、仕方ないわよ。一昨日からこの子の頭はお花畑なんだから」 「女将さん」 「母さん」 「だってそうでしょ？　あの子が来るの今日なんでしょ？　あら、噂をしたらーーー」 「！」 　その言葉と共に、一台のタクシーが玄関先でピタッと止まった。それを見た鉄平は、急いで玄関先まで行くと、ドキドキしながらタクシーのドアが開くのを待った。 「鉄平さん！」 「新壱」 　そのタクシーに乗っていた人間は新壱で、新壱は鉄平と約束した時間通りにここへと来た。 「時間通りだな」 「そりゃそうですよ。お父様とお母様に認めて貰う為には時間は厳守です！」 「ハハッ。さっすが俺のよ……ぐおっ！？」 　ドコッと音がするほど後ろからタックルされた鉄平。その瞬間、鉄平の身体が前に軽くよろける。 「新壱君！　いらっしゃーい！　長旅疲れたでしょー？　こんな山奥までごめんねー！」 　その突進して来たのは母親で、母親は新壱がここに来てくれた喜びのあまり鉄平に突進して来たのだった。 「お、お母様！　今日からよろしくお願いします！　俺、なんでもします！　頑張ります！」 　新壱は鉄平だけではなく鉄平の母親までもが出迎えてくれるとは思ってもいなかったらしく、母親の姿を見て急に背筋をピンッと張って緊張し始めた。 「しんちゃんは立ってるだけでいいのよー！　でも、少し慣れて来たら若女将として私の仕事も覚えて貰うから、その時は頑張ってね！」 「は、はい！　ご指導よろしくお願い致します！」 　そう言って、新壱は今日から義理の母親になる女性に深く頭を下げた。 「ささっ、パパもあなたが来るのを待ってたのよー。早く行きましょう」 「は、はい」 「ちょっと、俺の嫁攫って行くなよ！」 　鉄平は、母親の浮かれた姿に笑いながらそう言い放った。 「鉄平さん。鉄平さんも、早く」 　そんな母親の言葉を聞き、こんなにも歓迎されるとは思ってもいなかった新壱は、とても嬉しそうにしながら幸せの笑みを浮かべていた。 　そんな新壱を見て、鉄平は嬉しさのあまり新壱の手首を掴んでしまう。 「五分！　いや、三分！　二人にさせて！」 「え？」 　そう言って、鉄平は呆れた顔をする母親と板を置いて、新壱を攫って行ったのだった。 　そして、人気の無い場所へと連れて行く。 「久しぶり。無事着いてよかったよー！」 「はい。俺もここに来て、ようやくホッとしました」 　そう言って、新壱はニコッと幸せそうに笑った。 「色々ゴタゴタしてたので、ここに来るのに少し時間が掛かりましたが……全部終わらせたので俺はもう自由です」 「そうか。お疲れさん……」 「はい！　だから、俺、今すごく幸せです！」 　その顔は今まで見て来た中で一番の輝かしい笑みで、鉄平の顔も新壱と同じくらい幸せに満ちていた。 「これからは家族だな」 　そう言って、新壱の両手を握り締める鉄平。 「はい。　不束者ですが末永くよろしくお願いします！」 　その手を握り返し、幸せそうに笑った新壱。 「二人で、色んな事を乗り越えて行きましょう！」 「あぁ。我慢なんかせず、言いたい事はちゃんと言って二人で頑張って行こうな」 「はい！」 　我慢するのは馬鹿らしい。 　それを、身に染みている鉄平と新壱は、これから先、二人にとって長く共に歩んで行ける方法を手探りながら歳を重ねて行く道を選ぶ。 　それが、二人にとっての幸せであり、周りの幸せでもあると知っているから。